みつはちまんぐう
御津八幡宮大阪府 心斎橋駅
7:00〜18:00
【御津宮(御津八幡宮)(みつぐう、みつはちまんぐう)】
初めての参拝。今も若者が集まる町、アメ村の三角公園から少し南のほうへ。私も学生や学生気分が抜けないお年頃の頃はよく遊びに来ていたアメ村。その中に神社なんてあったかな?と、こちらのホトカミさんの投稿やネット情報で知ってからずっと行ってみたいと思っていました。念願叶っての参拝。桜の木があったので、桜の季節はとても素敵になりそうです。
御本殿も淡い水色と白が綺麗でした。階段も水色がかっていて個人的に好きです。
御朱印を書いて下さる方がご不在の時は書置き対応になるそうですが今日は直に書いて下さいました。季節の印も可愛くてまた参拝したいです。
直書き
石切さんの御朱印帳に拝受
由緒書
第58代清和天皇の時、貞観二年(860)、筑紫の宇佐の神を山城国男山に遷座の時、西海より初めて此の地に到る。その旧跡であるが故にここに祭った。
祭神は応神帝、仲哀帝の霊、あるいは八幡宮の勅願と言う。
また『埋もれた港』(千田稔著)によると、「天平時代(729~)に大仏殿建立にさいし、筑紫の宇佐より迎えた宇佐八幡を奈良に手向山八幡として祀ったが、本地にも祀り、社名は地名にちなんで御津八幡宮と称せられたことが伝えられている。
また『摂津徴書』所収として、「三津八幡記云神亀中(724~)行基菩薩八幡の御本堂を立て弥陀を安置し給ふ。世に三津の寺と云ふ。延久二年(1070)本社建立」とある。
文禄年中(1592~)に火災にあい、旧記焼失し、創建の年月、由緒は詳かではない。仁徳天皇の浪速に都をおいた頃、味原の郷にあったのを後世ここに奉祀したと伝わる。
住所 | 大阪府大阪市中央区西心斎橋2-10-7 |
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行き方 | OsakaMetro 御堂筋線・長堀鶴見緑地線「心斎橋」駅7番出口より、御堂筋を南(難波方面)へ約250m進み、「御堂筋八幡町」の交差点を右(西)へ曲がり約70m(徒歩4分) |
名称 | 御津八幡宮 |
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読み方 | みつはちまんぐう |
通称 | 御津宮 |
参拝時間 | 7:00〜18:00 |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | あり |
電話番号 | 06-6211-8655 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ホームページ | http://mitsugu.org/ |
お守り | あり |
絵馬 | あり |
ご祭神 | 應神天皇,仲哀天皇,比咩大神 |
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創建時代 | 伝・仁徳天皇朝 |
ご由緒 | 第58代清和天皇の時、貞観二年(860)、筑紫の宇佐の神を山城国男山に遷座の時、西海より初めて此の地に到る。その旧跡であるが故にここに祭った。
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体験 | 祈祷おみくじお祓いお宮参り絵馬七五三御朱印お守り祭り |
概要 | 御津宮(みつぐう)は、大阪市中央区西心斎橋にある神社。旧社格は郷社。御津八幡宮、島之内八幡宮とも称される。アメリカ村の中にある。 |
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歴史 | 歴史[編集] 社名は地名により、以前は三津と書く。『大阪府誌』には、仁徳天皇が浪速に都・難波宮を置いた頃、味原郷(現・大阪市天王寺区味原町付近)にあった社を後世ここに奉祀したとある。 社伝によれば、天平勝宝元年(749年)に、聖武上皇と孝謙天皇が東大寺と大仏を建立するにあたって筑紫国の宇佐八幡宮より東大寺の鎮守神として八幡大神を迎え、手向山八幡宮を建立しようとした。その際、八幡大神が瀬戸内海を渡って初めて上陸した行宮の跡に、後に改めて八幡大神を祀ったのが当社の始まりであるとする。 鎌倉時代には後鳥羽上皇勅願所となっている。 文禄年間(1592年 - 1596年)に兵火で焼失したという。 ...Wikipediaで続きを読む |
アクセス | 交通アクセス[編集] Osaka Metro御堂筋線心斎橋駅より徒歩4分 |
引用元情報 | 「御津宮」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%BE%A1%E6%B4%A5%E5%AE%AE&oldid=101797174 |
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