はせでら|真言宗豊山派総本山|豊山( ぶさん )
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楽しみ方長谷寺のお参りの記録一覧(4ページ目)
【能阿弥さんは、茶道・華道・和歌・絵画など、
「日本文化」の礎を築いた総合プロデューサー】
今日は、真言宗豊山派総本山であり、源氏物語にも登場する奈良の長谷寺へ1年ぶりの参拝。
武者小路千家第15代家元後嗣である千宗屋さんが代表をつとめ、長谷寺で最期に亡くなられた能阿弥さんをたたえるお茶会に参加しました。
感動しました!
これまで能阿弥さんの存在はもちろん存じ上げていましたが、
現代の我々がいわゆる「日本文化」と思っている、茶道・華道・和歌・絵画などに大きな影響を与えた、日本文化総合プロデューサーとしての能阿弥さんは知りませんでした。
能阿弥さんは、75歳で最期は長谷寺で亡くなったことが、
550年前の興福寺のお坊さんの日記に残っています。
そして最期に描かれたのが、この「蓮図」です。
水墨画は基本的に漢詩が添えられていますが、
和歌が詠まれています。中国から入ってきた水墨画に、日本の和歌が詠まれているのは珍しいです。
同じく室町時代の村田珠光さんが、「茶道では、和漢のさかいをまぎらかすことが大事だよ」と仰っていますが、この蓮図こそ、です。
また、私は辞世の句マニアです。
辞世の句に、その人の生き様が表れるからです。
起業していちばん初めの中心事業は、真田幸村や石田三成の辞世の句をしたためたふんどしを売っていたほどです。
(即完売でしたが、他人の褌で相撲を取っては未来がないと思い、紆余曲折あり、ホトカミを始めました。)
というなか、日本文化の総合プロデューサーたる能阿弥さんが最期に描かれた、残した「蓮図」には、本当に感動しました。
また、千宗屋さんが本当に能阿弥さんのことをリスペクトされていて、その功績を現代の人々、そして、未来の人たちに伝えていきたいという熱い想いが伝わってきたことも感動しました。
献茶式での能阿弥さんを讃えるお話も、お茶室での蓮図の解説も、感動して鳥肌が立ったほどです。
ご挨拶させていただいたところ、ホトカミのことも知って下さっていました。
最後に、最近は神主さんお坊さんに限らず、いろんな道のプロの方とお会いしたり、お話する機会が増えました。
私はIT企業の経営者なので、文化の道では、なんでもない素人です。
しかし、自分が良いな!面白い!と思った文化や歴史を伝えたい、体験して欲しいというのが、事業を考える際の根底にあります。
論語に「これを知る者はこれを好む者に如かず。これを好む者はこれを楽しむ者に如かず」という一説があります。
いまは、好む者ではあるけど、楽しむ者には如かず、といったところ。
いや、もっと楽しむ者になるための努力をしようと思いました。
楽しむためには、より能動的である必要があり、そのためにはスキルや知識が必要で、身につけるための努力をする。
その方が、より良い事業が生み出せる気がしました。
能阿弥さんに想いを馳せていたら、意識が高まってきた。笑
お誘いくださった、清水焼・陶あんの女将さん、本当にありがとうございました。
#長谷寺
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#ホトカミ







【豊山(ぶさん)神楽院(かぐらいん)長谷寺(はせでら)】
本尊:十一面観音
宗派:真言宗豊山派
開基:道明(どうみょう)
~百寺巡礼:五木寛之氏が選んだ百の名刹 第2番~
長谷寺は、「隠国(こもりく)の泊瀬(はつせ)」と万葉集にうたわれているように、この地を昔は豊初瀬(とよはつせ)、泊瀬など美しい名でよばれていた。のちに「長谷」も使われるようになり、現在は、地名は初瀬、寺の名前は長谷となったという。
寺伝によれば、686(朱鳥(しゅちょう)元)年、第40代 天武天皇(在位:673-686)の勅願によって、河原寺(かわらでら)の僧・道明が「銅板法華説相図(どうばんほつけせつそうず)」を現在の五重塔の近くに安置した。これが「本長谷寺(もとはせでら)」。その後、第45代 聖武天皇(在位:724-749)の命を受けた徳道(とくどう)という僧が727(神亀(じんき)4)年、いまの本堂のところに伽藍を造営し、十一面観音立像をつくって祀った。これが「後長谷寺(のちはせでら)」で、この二つが一緒になって長谷寺が成立したと考えられている。
徳道上人は観音信仰にあつく、西国三十三所観音霊場巡拝の開祖となられた大徳(だいとく)であり、それ故に当山は三十三所の根本霊場と呼ばれている。
長谷寺は、今では関係寺院三千ヶ寺を有する真言宗豊山派の総本山として、また西国三十三所八番札所として檀信徒は約三百万人、四季を通じて「花の御寺(みてら)」として多くの人々の信仰をあつめている。
~『百寺巡礼 第一巻 奈良』五木寛之(講談社、2003)~
西国三十三所観音霊場(第8番札所)、大和路秀麗 八十八面観音巡礼 で参拝。
今の季節、花はないだろうと思っていましたが、冬の風物詩、わらぼっちをかぶった冬牡丹が花を咲かせていました。

【冬牡丹と登廊】

【参道】
~参道を歩いているときから、奈良の他の大きな寺の門前とは雰囲気が全然違う。両側に並んだみやげ物店や旅館なども、非常に庶民的だ。湯葉、吉野葛、三輪そうめん‥‥‥。店先で草餅を蒸している店から美味しそうな香りが漂ってくる。~

【寺号標】

【参道】

【手水舎】

【仁王門】

【仁王門】
「長谷寺」額字は後陽成天皇の御宸筆(しんぴつ)。

【仁王門】
仁王門をくぐると、すぐに登廊。

【登廊】

【登廊】

【手水舎】

【手水舎の龍】

【蔵王堂】

【登廊】

【登廊】

【愛染堂】

【手水舎】

【手水舎の龍】

【本堂】
国宝。1650(慶安3)年に徳川家光に造営された大殿堂。

【本堂】
10mを超す本尊(十一面観世音菩薩立像)を参拝する礼堂。
~長谷寺に詣でて、あの巨大な十一面観音菩薩と対面して両手を合わせる。そのとき、ふと声なき声を耳にする。「あなたは、こうして存在するだけでいいのだよ」「生きているだけで意味があるのだよ」誰かが自分を見つめ、そうやさしく語りかけてくれている気がする。そうすると、つらくて苦しい生活のなかでこころが落ち着く。もちろん、それでも人生の苦悩はつきない。では、いったいなにが変わるのか。たぶんそれは、苦しみながらもそれに耐えていける、ということではないか。~

【本堂】

【本堂】

【本堂】

【鐘楼】

【本堂】
懸造り(舞台造り)の大建築で観音堂、大悲閣ともいう。

【本堂】

【本堂】

【本堂から見る五重塔】

【本堂から見る開山堂】

【開山堂】

【開山堂内陣】

【大黒天】

【弘法大師御影堂】

【弘法大師御影堂扁額】

【本長谷寺】

【本長谷寺扁額】

【五重塔】

【三重塔跡】

【五重塔から見る本堂】

【本坊山門】

【本坊】

【本坊】

【本坊】

【本坊から見る本堂】

【参道】

【西国三十三所観音霊場御納経帳】

【十一面観音菩薩:参拝朱印帳】
★高さ10mを超える、霊験あらたかな観音さま★
日本最大級の木造仏で、10mを超す大きなお姿をしておられます。 右手に衆生を救う錫杖、左手に水瓶を持って、方形の大盤石という台座に立つ姿は、 全国に広がる長谷信仰の根本仏像としての威厳を十分に伺わせています。 6世紀初め、洪水が起きて琵琶湖のほとりにただならぬ巨木が流れ着きました。 それをもらい受けた徳道(とくどう)上人が、万民の幸せを願って十一面観音を造ることを誓い、 天平元年(729)に完成したと伝えられます。(HP大和路秀麗 八十八面観音巡礼より)
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