はせでら|真言宗豊山派総本山|豊山( ぶさん )
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楽しみ方長谷寺のお参りの記録一覧(3ページ目)

奈良県桜井市にあります、
長谷寺に参拝しました。
真言宗豊山派の総本山の寺院。山号は【豊山】院号は【神楽院】本尊は【十一面観世音菩薩】
開山は道明とされる。
西国三十三所 第8番札所。
真言宗十八本山 第16番札所。
神仏霊場巡拝の道 第35番札所(奈良第22番)。
昨年12月始めに、久方ぶりの西国三十三所巡りの為に長谷寺に訪れ参拝させて頂きました。訪れた時は大変天気も良く、紅葉🍁も見頃だったので朝からでも参拝客が多数訪れており大変賑わっておりました。








花と紅葉🍁がとても綺麗でした。












本堂すぐ近くの愛染堂

本堂すぐ近くの大黒堂





青空が広がり、少々ひんやりとした空気。絶好のお参り日和でした。🙌
近鉄長谷寺駅で下車。改札を出ると、リュックを背負っている方々。グループごとに人を待っているご様子。ハイキング日和でもあります。🙌
門前通りには、お店が並んでいます。昔(お参り始めた頃)とあまり変わらないので、ここに来るとホッとします。🤭
西国三十三所観音霊場 第8番札所
山号:豊山
宗派:真言宗豊山派
御本尊:十一面観世音菩薩
創建:伝686年(朱鳥元年)

【長谷寺正面】
総受付とありますが、休憩場所です。

【仁王門】
現在の建物は、1894年(明治27年)再建されたものです。

【登廊(のぼりろう)】
ここからゆっくりとした石段が続きます。399段だそうです。



【道明上人御廟塔】


【手水舎】

【嵐の坂】
菊の花が季節を教えてくれます。通り抜けできます。

【紀貫之の歌】

【本堂】
御本尊十一面観音さんに手を合わせます。🙏国宝・重要文化財指定の木造彫刻の中では最大だそうです。右手に数珠と錫杖をもち、左手には水瓶。"長谷寺式十一面観音"
と呼ばれています。


【本堂】
懸造です。


【本堂内陣】

【五重塔】

【大黒堂】

【開山堂】
徳道上人が祀られています。

いただいた御朱印です。

真言宗豊山派総本山は奈良県の桜井市にある長谷寺だ。
自分の育った集落は選択の余地なく真言宗豊山派であった。村の中にいくつもの無人寺があり、1人の住職が10近くも兼務していたのだ。
そんな環境であったためか、真言宗豊山派の広報誌がよく届く。
都内でも真言宗豊山派の寺院にはよく行くし、話こむ。
その時に言われることとと言ったら、もう!
「奈良県の長谷寺に行ったらいいよ」である。
よし!行くぞーーーー!ついでに、朝のお勤めにも参加しようじゃあないか。ということで、長谷寺の前にある宿を予約したのであった。
3時半頃に長谷寺駅に到着。宿の方に迎えに来ていただく。
宿の部屋に荷物を置き、軽い身で長谷寺にゴイゴイスー!
とにかく、見るべきものが多く、閉門の時間を気にしながら走り回ってしまった。
やはり、昼間は観光客も多く慌ただしい。
長谷寺というと、花の寺!その思い込みできたのであるが、季節が悪かったのか、日頃の行いが地獄餓鬼畜生だからなのか、花も紅葉も見ることもなかった。涙。
さてさて、翌朝は、6時半に同じ宿に泊まった人たちと朝の勤行に。
観光客のいないお寺の静けさが又気持ちよい。
前日に見落としていたのだろう。
石段に菊の鉢が置かれ、若い修行僧が手入れをしていた。
境内を丁寧に掃除する姿。
実を言うと、私は9月末で仕事の契約は打ち切りとなり、無職オバサンとして好き放題に生きようと思っていたのだ。時間も出来たし、の旅でもあった。
けれども、この若き僧たちの姿から、丁寧な生き方をしようか、などと思ったのであった。
勤行はもちろん初めてである。実を言うと、私は宗派関係なく、葬儀の席では必ず寝てしまう。座布団に正座して居眠りだ。朝早く、寝てしまわないか。ちと不安でもあった。
だが、そんな心配はなかった。
若い修行僧の太鼓を叩く迫力。まるで、LUNA SEAの真矢みたいだった。 親戚などの法事では常に寝ている私だが、気持ちよく参加出来た。
私の前には、大きな十一面観音菩薩がおられる。
最後の法話でも少し話があったが、怒り、悲しみ、笑いなどの人の感情を表しているのだという。
自分なりにこの十一面観音菩薩と対面しながら考えた事は、この菩薩像は、人の色んな感情、怒りや憎しみなどを十一面観音に表している。
けれども、最後は全てを受け入れて穏やかな顔になるのかな?ということだった。
多分、お寺の関係者、僧侶やらその家族らが聴いたら、「だからお前は地獄行きなんだなあーー」「そんな考えはおかしい」と責められるであろう。
まあ、私が勝手に思ったことだから仕方ない。
最後は本堂から縁に出て、一同が立ち、周りの山に向かい、その山に祀られている神様に祈るのであった。
そういえば、前日に、近くの山の神社を見たな、あ、あそこは行ってない、など思いながらも、地域の為に祈る尊さに感動したのであった。
改めて、神仏習合が良い!と思うのであった。
参道や 菊で埋まりし 勤行よ
https://note.com/shaludone1/n/n836c79c2ce34
こちらに詳しくあります。






実を言うと、受付から本堂までのこの石段。段差が短すぎて歩くのが非常に疲れるのだ。歩幅を短くされてしまうというか。
1段飛ばしに走ったら楽になれた。



























奈良県内の寺院巡りの4寺目は、3寺目と同じく桜井市に在る豊山 神楽院 長谷寺です。
西国三十三所観音霊場 第8番札所。
真言宗豊山派総本山で、本尊は十一面観音。
この本尊・十一面観音立像と脇侍の難陀龍王立像、雨宝童子立像は重文です。
この寺院へは過去何度も参拝しており、昨年4月以来の参拝となりますので1年3ヶ月振り。
過去2回投稿しておりますので今回は簡単に。
花の寺としても有名なので、いつ来ても人出が多いのですが、今はアジサイも終わり、殆ど花は咲いていないし、日も傾いた時間帯なので空いていると思い伺いました。案の定、駐車場はガラガラ、500円支払って悠々駐車。山門(仁王門)前に着いても参拝客は私のみ。入山料(500円)を納め仁王門をくぐって境内へ。
静かでいいですね、登廊は貸切り状態、牡丹の時期は登廊の両側に咲き誇っていますが今はなく、両側に在る塔頭(中には入れませんが)の写真を撮りながら上がります。登廊がクランクする所に蔵王堂、最後の登廊を上がって行くと三百余社があり鐘楼の真下で上がり切りとなります。(鐘楼と気付かない人が殆どかと思います。)
すると結構な人、皆さんバッチを着けています。クラブツーリズムのツアーですね。
本堂外舞台へ行ってみると誰も居ませんね、こちらも貸切り状態。それから堂内に入り(実際は本尊が祀られている正堂と礼堂の間を通り抜け出来る所)、左側の赤精童子立像、中尊の十一面観音立像、右側の難陀龍王立像に手を合わせました。高さ10mを超える十一面観音は何度観てもデカい。左手に錫杖を持っていますが、この錫杖を持っている十一面観音を長谷寺式と読ばれています。納経所で御朱印を頂き、境内を少し巡り(本坊、奥の院へは行かず)、下山しました。

御朱印(軸装納経帳)

仁王門(重文)

登廊(重文)・下段部分

道明上人御廟塔

歓喜院

宗宝蔵(清浄院跡地に建つ、春と秋に宝物公開)

梅心院

慈眼院

最初の手水(繋屋の下)

社?

蔵王堂

登廊・上段部分

本堂の懸造り部分

三百余社(重文)

本堂横の手水

鐘楼

本堂(国宝)

本堂外舞台

本堂外舞台から見た本坊、仁王門

愛染堂

稲荷社

三社権現

大黒堂

御影堂

一切経蔵


本長谷寺

五重塔

開山堂

三部権現社

金蓮院

登廊・下段部分を上から

梅雨の合間の何とか天気良好な今日、あじさい見物ということで奈良、桜井へ。
まずは長谷寺。久しぶりの参拝です。早めに出たからか車は門前駐車場に止めれました。
さて回廊へ。結構人は多いです。地植えのあじさいは見頃でしたが、回廊の鉢植えはやや見頃過ぎてます。それでも見事です。若い人も多くていろんな情報ゲットして来てるんでしょうね。
本尊十一面観世音菩薩立像は10mを超えます。特別拝観で無事お足を撫でてきました。本堂のHPにある写真も近いものが撮れました。満足満足。
外人さんも多くて賑やかですが、次は落ち着いたころに来ます。さあ、岡寺へ。

あじさゐ回廊の御朱印いただきました。岡寺、壷阪寺の三寺あじさゐ回廊御朱印の台紙もありましたが、今回は御朱印のみいただきました。

本坊御影御朱印。

能満院日限地蔵さまの御朱印

仁王門

門をくぐると登廊へ。

ここから登廊。

舞台からの景色。

宗宝蔵。博物館です。無料。

宗宝蔵まえから登廊を望む。

登廊が右に折れるところから先は閉鎖されている時もありますが、今は両側が地植えのあじさい、階段部分に鉢植えのあじさいが一杯。ついでに人もいっぱい。

蔵王院前の三鈷杵。

本堂。左手は舞台になってます。

舞台横のところ。HPにもなってます。うまく撮れました。

舞台から本堂。

本堂の舞台側。この中は入れません。(奥を通って参拝します)。

能満院(日限地蔵さん)

能満院

能満院

能満院

大国さん。打ち出の小槌と福袋。

本長谷寺。

五重塔。

御影堂。

本堂から開山堂。この下を左に折れるとあじさい回廊。

あじさい回廊


本坊

本坊大講堂の観音大画軸。

西国三十三所巡りで訪れました。梅雨に入ってすぐでしたが アジサイが見たくて楽しみでした。
皆さん同じことを考えていらっしゃるのでしょう 駐車場はどちらも満車。ずいぶん離れた民間の川沿いのスペースに停められました。
いやぁ長谷寺の境内は広い広い。塔頭も多くあり 写真を撮りながらまわると 2時間以上かかりました。
本堂の御本尊大観音特別拝観は 本堂の内陣のさらに御本尊のところまで行かせていただけ 大観音様に触れることができます。
十一面観世音菩薩の特別拝観時には 拝観者のみ「結縁(けちえん)の五色線」というものを手首につけていただけます。観音様との縁が結ばれた証になるそうです。
堂宇については説明できません。多すぎて。
山号は豊山 院号は神楽院 宗旨宗派は新義真言宗豊山派 寺格は総本山 ご本尊は十一面観音(重要文化財) 創建年は伝・朱鳥元年(686年) 開山は道明 別称は花の御寺 札所等は西国三十三所第8番・真言宗十八本山第16番・神仏霊場巡拝の道第35番(奈良第22番)です。
由緒については
創建は奈良時代 8世紀前半と推定されるが 創建の詳しい時期や事情は不明である。
寺伝によれば 天武天皇の朱鳥元年(686年) 僧の道明が初瀬山の西の丘(現在、本長谷寺が建てられている場所)に三重塔を建立 続いて神亀4年(727年) 僧の徳道が聖武天皇の勅命により東の丘(現在の本堂の地)に本尊十一面観音像を祀ったというが これらのことについては正史に見えず 伝承の域を出ない。
長谷寺は平安時代中期以降 観音霊場として貴族の信仰を集めた。
万寿元年(1024年)には藤原道長が参詣しており 中世以降は武士や庶民にも信仰を広めた。
創建当時の長谷寺は東大寺(華厳宗)の末寺であったが 平安時代中期には興福寺(法相宗)の末寺となり 16世紀以降は覚鑁(興教大師)によって興され頼瑜僧正により成道した新義真言宗の流れをくむ寺院となっている。
天正16年(1588年) 豊臣秀吉により根来山(根来寺)を追われた新義真言宗門徒が入山し 同派の僧正専誉により真言宗豊山派が成立していった。
この後 本堂は焼失したが 徳川家光の寄進によって慶安3年(1650年)再建された。
寛文7年(1667年)には徳川家綱の寄進で本坊が建立されたが 1911年(明治44年)に表門を残して全て焼失した。
しかし 1924年(大正13年)に再建されている。
近年は子弟教育・僧侶(教師)の育成に力を入れており 学問寺としての性格を強めている。
十一面観音を本尊とし「長谷寺」を名乗る寺院は鎌倉の長谷寺をはじめ日本各地に多くあり 240か寺ほど存在する。
他と区別するため「大和国長谷寺」「総本山長谷寺」等と呼称することもある。
とありました。

石柱

入山料を支払い

縁起を読み

手水で手を清め

特別拝観の看板を見て

境内地図を見て

いよいよ仁王門をくぐり

下登廊に進みます

雨が降っていても安心 両サイドには塔頭

下登廊から中登廊へ

あじさい回廊

蔵王堂

由縁

三鈷がかっこいい

蔵王権現がいらっしゃいいます

いよいよ本堂

花手水

急に空気が変わります

曽我地蔵

本堂と舞台の間に拝所?

本堂の舞台 清水寺ぐらいかな

扁額

素敵なながめ

鐘楼

特別拝観を終えて出たところ

結縁(けちえん)の五色線

愛染堂

由縁

拝所

御影堂

一切経蔵

由縁

五重宝塔

由縁

三重塔跡

納骨堂

由縁

開山堂

由縁

あじさい回廊を下りてみました

鉢植えもありました

ハイビスカスみたい

この色は初めて見ました

源氏物語に出てくる二本杉

由縁

樹齢何年?

蓮の鉢植えも

本坊にある閼伽井

由縁

本坊の山門

本坊

由縁

こちらにも大河ドラマの影響が

雌雄の鶴

説明

阿弥陀如来坐像と十祖像

説明

大御影大画軸

説明 書置き御朱印は品切れ

長谷寺縁起 六巻

指定有形文化財に指定されています

説明

本坊の中庭

寺事務所

各殿下御手植松

本坊から見た本堂

本坊下の池

塔頭ではないのですが お堂とは区別されていますので 別に投稿させていただきます。
長谷寺がもともとは本長谷寺の地に建立されたと言われているからです。
天武天皇の勅願により 道明上人がここに精舎を造営したことから 今の本堂(後長谷寺)に対し本長谷寺と呼ばれています。
朱鳥元年(686) 道明上人は天武天皇の御病気平癒のため『銅板法華説相図(千仏多宝仏塔)』を鋳造し 本尊としてお祀りされました。
本長谷寺の開創を道明上人 後長谷寺の開山を徳道上人として区別されているようです。
おそらくはレプリカだと思うのですが 銅板法華説相図を拝見できました。
光の当たり具合だと思うのですが 金色に見えます。

お堂というべきか

由縁

内陣

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三部権現社(長谷寺境内社)
奈良県桜井市にある長谷寺の境内社です。
仏法守護のため千神余の神仏を勧請総社明神として三部(仏部・蓮華部・金剛部)権現と称される。
寛永6年(1629)当山の鎮守として第4世秀算が根来寺より勧請次いで寛文12年(1672)第9世頼意が九社明神を勧請す。
と看板に書かれています。
橘宮社・春日社・弁財天社が祀られているようです。
場所は回廊を上がっていった突き当り 塔頭金蓮院の奥です。

境内案内図

長谷寺山門

長谷寺本堂

全景

由緒書

古いです

中央だけ大きいのが気になります

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馬頭夫人宮・八幡宮・住吉宮(長谷寺境内社)
奈良県桜井市にある長谷寺の境内社です。
本殿手前の斜面に 馬頭夫人宮・八幡宮・住吉宮の三社が並んでいます。
馬頭夫人宮には 長谷寺と縁のある言い伝えがありますので 馬頭夫人宮の由緒について調べてみました。
由緒を調べてみると(一部割愛)
陽成(ようぜい)天皇の御代(八七六〜八八四) 大唐国に王がおり 名を僖宗(きそう)皇帝といった。
皇帝には后が多くおられるが その中の第四の后に馬頭夫人(めずぶにん)がいた。
夫人(ぶにん)は顔が長く 鼻の形はすこぶる馬に似ていた。
けれども 夫人は情が深く 奥ゆかしい様子であったので 王は優美に思い 他の后に心を移すことのないほどの寵愛(ちょうあい)を受けた。
しかし 他の数多くのお后方は馬頭夫人を妬み なんとかして王の前で夫人に不十分なところを見せ 仲を裂いてしまいたいと考えた。
そこで花の盛りの明るい日中に宴(うたげ)を催し 夫人の顔を王によく見てもらおうと計略した。
花が盛りを迎えるまで十五日しかなく 馬頭夫人はなんとかして王に不十分なところを見せることなく 宴を終えたいと思い医師に相談をした。
すると医師は生まれつきの容貌を薬で治療することはできないので 修行を積み 道理に明るい素神という仙人がその願いを満たせてくれると言った。
そこで 密かに仙人を召して願いを伝えると仙人は 「これは仙術の及ぶところではなく神仏に祈るべきですと答え 殊に威厳が優れた仏として日本国においでになる長谷寺の観音様が極位の菩薩である。東方に向かい はるか遠くから悲願を念じ 香華(こうげ)を備えて 祈願なさいませ。」
と言った。
馬頭夫人は教えに従い道場をもうけ 真心をこめて祈願した。
七日七夜を経た暁 夢とも現実ともなく 東方から霊妙不可思議な様子の貴い僧が現れた。
香染の袈裟を纏い 紫雲に乗り 手に良い香りのする瓶水(びょうすい)を持って来て顔に注いでくれたように思い 鏡で顔を見てみると端正で威厳のある 女性らしい顔立ちに変わっていた。
それから例の宴席では人々はこぞって馬頭夫人を賞美し 憎み妬んでいた后も言葉に出来ないほどの美しい夫人の様子を見て かえって仲睦まじい付き合いをするようになった。
そして王の寵愛はますます深いものとなった。
これは長谷寺の観音様のおかげであると喜び 海辺から種々の宝物を入れた小舟を海に浮かべた。
その小舟は播磨国明石の浦に着いて 仔細(しさい)あって無事長谷寺にもたらされた。
長谷寺は神名帳(じんみょうちょう)に名を入れ 鐘楼堂の東に社を造って馬頭夫人を祀った。
とありました。

長谷寺境内案内図

長谷寺山門

長谷寺本堂

祠が3基

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三百余社(長谷寺境内社)
奈良県桜井市にある長谷寺の境内社です。
1650年造営で 「長谷寺 9棟」として国の重要文化財に指定されています。
ご祭神は不明です。
本殿のすぐ手前に鎮座しています。
大きくはないのですが とても立派な造りになっていて 金板がいくつも貼り付けられています。
さすが重要文化財です。
由緒について調べたのですが 詳しいことは分かりませんでした。

境内案内図

長谷寺山門

長谷寺本堂

立派な祠
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