いそのかみじんぐう
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楽しみ方石上神宮のお参りの記録一覧(6ページ目)

石上神宮(いそのかみじんぐう)は、奈良県天理市にある神社。式内社(名神大)、二十二社(中七社)。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。
『古事記』や『日本書紀』にも記載がある古社で、特に神宮号に関しては伊勢神宮と同じく最古から記載がある。社伝によると、崇神天皇7年(紀元前91年)に物部氏の伊香色雄命(いかがしこおのみこと)が、武甕槌命(たけみかづち)・経津主(ふつぬし)二神による葦原中国平定の際に使われた天剣(平国之剣(くにむけしつるぎ))に宿る神霊・布都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ)を「石上大神」として祀ったのが当社の創建。
大和時代、奈良時代を通じて朝廷などから信仰を集め、日本後記によると平安初期に当社天神庫の神宝類を移転するのに16万人近くの人員を要したと記されている。平安時代の868年に、主祭神の布都御魂大神は最高位の神階である正一位となっている。また、927年の延喜式神名帳では、「大和国山辺郡 石上坐布留御魂神社 名神大 月次相嘗新嘗」と記載されている。なお、境内摂社の<出雲建雄神社>についても、「大和国山辺郡 出雲建雄神社」の論社となっている。
中世以降は、興福寺の荘園拡大や守護権力の強大化に晒され度々抗争したが、戦国時代には織田尾張勢の乱入により社頭は破却され神領も没収され衰微した。
明治期に入り官幣大社に列し、1883年には神宮号の復称が許された。なお、当社にはもともと本殿がなく、神宝が埋斎されている拝殿奥の聖地(禁足地)を「布留高庭」「御本地」と称して祀っていたが、大正時代の1913年に本殿が造営された。
当社は、JR桜井線(万葉まほろば線)、近鉄天理線の・天理駅の東方2kmの高台に位置している。駅から当社まで、公共交通機関だと1日4本の天理市コミュニティバスしかないようなので、観光者にとっては道のり3kmを歩くかタクシーしかない(タクシーだとおよそ1,300円)。もともと境内は広かったようだが、低い場所の多くは石上神宮外苑公園となっていて、参拝して廻るエリアは広くはない。
参拝時は週末の昼ごろで、土砂降りの雨にもかかわらず、一般参拝者や祈祷を受ける家族連れなどがけっこういた。

鳥居と社号標。社殿までの参道は東向きだが、鳥居までの参道は北からと西からとがあり、社号標は北参道に向いているため、ちょっと変なアングル。

鳥居と「布都御魂大神」の扁額。

参道進んで左側の<社務所>。

参道挟んで社務所の対面にある<神池>。

社殿と参道。参道左側が社殿で、右側が小高い場所とその上にある摂末社。石上神宮の公式HPトップページ写真や由緒書パンフレットの表紙写真もこのカット。

社殿前参道の右側にある<手水舎>。屋根がなく素朴なもの。

手水舎の右手にある<撫で牛>。

社殿全景の写真が撮りにくく、撮ったとするとこんな感じ。

左側は、神域入口の<楼門>。鎌倉時代後期の造営。国指定の重要文化財。

楼門をくぐる。

楼門をくぐると国宝<拝殿>のはずが、絶賛工事中...涙 拝殿は鎌倉時代前期の造営。

拝殿内では、たまたま祈祷中だった。

工事していなければ、こんな外観(写真はWikipediaより引用)。

拝殿から振り返ると、<楼門>の裏側。

右前方を向くと<授与所>。御朱印はこちら。

左前方を向くとちょっとした展示場所。

展示場所にあった国宝<七支刀>(実寸大?)を印刷したもの。<七支刃>は古墳時代の作で、石上神宮伝世品。

南側の摂末社のある小高い場所の階段を登ると、楼門の2階部分がよく見える。

階段を登り切ると、右手にある国宝<摂社出雲建雄神社拝殿>。鎌倉時代後期の1300年造営。

左手にある<出雲建雄神社>(左)と<猿田彦神社>(右)の鳥居。

摂社<出雲建雄神社>の社殿。出雲建雄神(草薙剣の荒魂)を祀る。式内論社。

摂社<猿田彦神社>の社殿。猿田彦大神、住吉大神、高靇神の3柱を祀る。

さきほどの2摂社の左手に別の鳥居と階段がある。

左側にある摂社<天神社>。高皇産霊神、神皇産霊神の2柱を祀る。

右側にある摂社<七座社>。生産霊神、足産霊神、魂留産霊神、大宮能売神、御膳都神、辞代主神、大直日神の7柱を祀る。

<天神社>のあたりから見た石上神宮全景。工事のテントが...

社殿前参道を進んだ奥にある寺院のような建物。用途は分からず。

【石上神宮】
初めての参拝。近鉄天理駅(JR天理駅とほぼ同じ場所)から徒歩約30分ほどで到着。本殿は修繕工事中でした。工事は約1年ほどかかると伺いました。




御本殿



摂社

国宝

摂社

立ち入り禁止

左右の片方だけでも良いようです。
直書き。
龍田大社の御朱印帳に拝受。

山の辺の道ハイキングの途中で参拝させていただいています。
これまで実は「神社の御朱印」に抵抗があったのですが、出雲や近畿の神仏霊場をすべて参拝しておきながら、そんなことを言うのはおかしいと思いなおしました。明治から昭和のイデオロギーで作られたものにこだわる理由のほうがないですよね。
善は急げで神仏霊場の御朱印帳をいただこうかと思ったのですが、すべての霊場で販売しているわけではないとのこと。
七支刀の御朱印が脳裏に焼き付いて離れないので、ぜひまたいただきに参ります。



こうやって伝統建築とその技術は受け継がれていきます。ただきれいなだけの外見ではなく、こういった修復の構図が見られるのもよきご縁と思っております。





誤って石上神社に投稿してました(御朱印にはっきり書いてある。気付けよ)。恥ずかしー。改めてこちらへ。初めての参拝です。

凛とした御朱印


大鳥居です。

廻廊と奥に楼門。

落ち着いた佇まいの拝殿。

【奈良県 天理市】(いそのかみじんぐう)
大和の國一の宮です。「いそのかみじんぐう」と読まれます。(お恥ずかしい話知りませんでした)山辺郡石上郷に属する布留山の西北麓に鎮座しています。
この神社には本来「本殿」は存在せず、拝殿の奥の聖地(禁足地)を「布留高庭」「御本地」などと称して祀り、またそこには2つの神宝が埋斎されていると伝えられていました。1874年の発掘を期に、出土した「刀(布都御魂剣)」や「曲玉」などの神宝を奉斎するため本殿を建造されました。「禁足地」は今も「布留社」と刻まれた剣先状石瑞垣で囲まれているそうです。参拝時期は「コロナ禍」でしたが、日曜日とあって多くの方々が訪れていました。

拝殿(国宝)

回廊

出雲建雄神社 拝殿(国宝)

出雲建雄神社 拝殿(国宝)

出雲建雄神社 本殿

参道・大鳥居

鶏と丑

石上神宮の神使


鎌倉時代末期、第96代後醍醐天皇の文保2年(1318)に建立されたことが知られ、重要文化財に指定されています。

いそのかみと読みます。

ニワトリは石上神宮の一番の人気者

拝殿としては現存する最古のものであり、国宝に指定

日本最古の神社の一つとされている奈良県天理市の石上神宮へ。国宝「七支刀」でも有名です。境内には神使である鶏が放されており、そこかしこで気の向くまま自由に行動しております。

石上神宮

石上神宮・大鳥居

石上神宮の神使、鶏

石上神宮・手水舎

石上神宮・拝殿

石上神宮・桜門

御朱印

御朱印・七支刀

酉の御神籤

《二十二社詣りその3》
夫婦そろって時間が空いたので、高速道路のアクセスがよいお社に参拝を。
ということで、石上神宮へお詣りしてきました。
ちょうど書き初め入選作の表彰式があったようで、制服を着たお子さまとご家族がチラホラ。
境内に入るとさっそく鶏の鳴き声が。
背の高い立派なご神木を見上げ、時の積み重ねを感じつつお詣りしました。
歴史ある神社の雰囲気はよいものですね。

社号標。明治16年の建立とか。

楼門(重要文化財)
歴史を感じるたたずまいに、足を止めてしばし見上げていました。

ちょうどニワトリさんの昼食時でした。

鳥居。

境内のご神木「神杉」。
樹齢は約400年だそうです。立派な姿です。

境内は広々として落ち着いた雰囲気です。

拝殿(国宝)
参拝者がいない瞬間にパシャリ。
拝殿と本殿の間の土中から御神体フツノミタマが顕現されたそうです。
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