御朱印・神社お寺の検索サイト

楽しみ方
【サポーター特典】幸せと健康を毎月ご祈願
100年後に神社お寺を残せる未来へ

にょいりんじ|浄土宗塔尾山

如意輪寺
奈良県 吉野駅

9:00~16:00
8:30〜17:00(観桜期)

御朱印について御朱印
あり
限定
-
御朱印帳
あり
パーキング
駐車場
あり

無料駐車場あり(200台)

巡礼

その他の巡礼の情報

近畿三十六不動尊第30番霊場
別持念仏道場大和25霊場

如意輪寺について

小楠公ゆかりの寺


天平二年(1346)、楠木正行公は大阪府四条畷の戦いの前に一族郎党と共に参詣し、遺髪を奉納し本堂と扉に辞世の句を刻み、四條畷に出陣した。宝物館に展示されている。

おすすめの投稿

ハイチュウ
ハイチュウ
2025年11月22日(土) 19時30分24秒
4223投稿

今回の吉野山ホトカミ巡りは、こちらの如意輪寺さんでとりあえず打ち止め。
思えば、帰りの電車の時間が気になって全体的じっくり見ることができませんでした。ちょっと、いや、だいぶ残念。次来る機会があるのならば、穴のあくほど見てまわりたいものです。ハイ。
如意輪寺さんは吉野山のメイン道路から外れているので、たいへんでした。

如意輪寺のその他建物
如意輪寺の山門・神門

山門
神仏分離令の際に、如意輪寺は廃仏毀釈による影響を天皇陵があることから免れたが、山門は焼かれそうになった為、火が掛けられた焦げ跡がある。廃仏毀釈を物語る当寺唯一の名残である。

如意輪寺のその他建物
如意輪寺の自然

山門の花玉が綺麗。

如意輪寺の本殿・本堂

本堂

如意輪寺の本殿・本堂

本堂

如意輪寺の本殿・本堂
如意輪寺の末社・摂社

不動堂
難切不動尊をお祀りする御堂。

如意輪寺の末社・摂社

難切不動尊

如意輪寺のその他建物
如意輪寺の芸術

弁内侍(べんのないし)
弁内侍は日野俊基の娘で、才色ひときわ勝れた美貌の持ち主で、いつどこで見初めたのか高師直が恋慕し、策を講じ誘い出し、都への拉致を図ります。折しも、正行が吉野に参内するため石川辺りに差し掛かった際、中から泣き声の聞こえる怪しげな駕籠に遭遇し、拉致された弁内侍を助け、吉野に送り届けました。
正行が四條畷の合戦で討死したことを知った弁内侍は、深い悲しみに沈みます。しかし正行への追慕の情を絶ち難く、ここ如意輪寺で黒髪を切り、
 大君に仕えまつるも今日よりは
       心にそむる墨染めの袖
と詠い、尼となって吉野山を下り、山口村龍門の西蓮華台院(現西蓮寺)に入り、寂滅するまで正行の菩堤を弔い、正行への貞節を護ったと云われています。

如意輪寺の山門・神門

御門
御霊殿の前の門で、この門は菊の紋があしらわれており、皇族の方が参拝されるときと後醍醐天皇のご命日に行われる後醍醐天皇御忌法要のときにのみ開かれる。

如意輪寺のお墓

御霊殿
後醍醐天皇が自身で自分を彫った木像とともに、後醍醐天皇から後亀山天皇までの南朝御歴代天皇の御尊牌(御位牌)が奉祀されている。

如意輪寺のその他建物
如意輪寺の手水舎

猫手水

如意輪寺の末社・摂社

猫不動

もっと読む
投稿をもっと見る|
40

歴史

専横の北条幕府を倒し、建武中興を成し遂げた後醍醐天皇は、足利氏との争いのため京都を逃れ、吉野山へ行幸以来四年間、吉野の行宮に過ごされました。延元四年(1239)病床に就かれ「身は仮へ南山の苔に埋まるとも魂魄は常に北闕(京都)の天を望まん」と都にあこがれ、遂に崩御されました。天皇の遺骸をそのまま北向きに葬ったのが、塔尾陵です。

歴史をもっと見る|
5

写真

写真をもっと見る|
337

如意輪寺の基本情報

住所

奈良県吉野郡吉野町大字吉野山1024

行き方

近鉄吉野駅 ロープウェイ「山上駅」下車
吉野大峯ケーブルバス「如意輪寺前」下車徒歩約15分

アクセスを詳しく見る
名称

如意輪寺

読み方

にょいりんじ

参拝時間

9:00~16:00
8:30〜17:00(観桜期)

参拝料

大人500円、中高生200円、小学生100円

トイレあり
御朱印あり
限定御朱印なし
電話番号0746-32-3008
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
ホームページhttp://www.nyoirinji.com/
おみくじ

あり

絵馬

あり

SNS

巡礼の詳細情報

役行者霊蹟札所

第2番

近畿三十六不動尊霊場

詳細情報

ご本尊如意輪観世音菩薩
山号

塔尾山

院号

椿花院

宗旨・宗派浄土宗
創建時代

延喜年間(901〜923)

開山・開基

日蔵道賢上人

文化財

金剛蔵王権現現木像(重要文化財)
吉野大曼荼羅(県指定文化財)

ご由緒

専横の北条幕府を倒し、建武中興を成し遂げた後醍醐天皇は、足利氏との争いのため京都を逃れ、吉野山へ行幸以来四年間、吉野の行宮に過ごされました。延元四年(1239)病床に就かれ「身は仮へ南山の苔に埋まるとも魂魄は常に北闕(京都)の天を望まん」と都にあこがれ、遂に崩御されました。天皇の遺骸をそのまま北向きに葬ったのが、塔尾陵です。

体験仏像御朱印博物館重要文化財武将・サムライ有名人のお墓札所・七福神巡り
「みんなでつくる御朱印・神社お寺の検索サイト」という性質上、掲載されている情報の正確性は保証されませんので、必ず事前にご確認の上ご利用ください。
神社寺院のホームページが無料でかんたんに作れる!

この寺院の僧侶様へ

公式アカウント(無料)にご登録いただくと、

ご自身の寺院の情報を編集することができます。

無料登録して、参拝者が必要な情報を直接伝えてみませんか?

詳しくはこちら

ホトカミのデータについて

ホトカミには、日本最大となる全国15万8千件の神社お寺の情報や、2万件以上の御朱印のオリジナルデータがあります。

ご利用になりたい法人様やメディア関係の方々は、こちらよりお気軽にご相談ください。

最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう

利用開始をもって利用規約プライバシーポリシー
同意したものとみなします。

※購読はいつでも解除できます。

This site is protected by reCAPTCHA and the Google
Privacy Policy andTerms of Service apply.

御朱印背景
行きたい
行った
お問い合わせ

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから

お問い合わせ