こうふくじ なんえんどう|法相宗大本山興福寺境内御堂
興福寺 南円堂奈良県 近鉄奈良駅
9:00~17:00
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楽しみ方興福寺 南円堂では5種類の御朱印がいただけます

いま、ふたたびの奈良へ🦌 ⑦
奈良旅、最後の目的地の興福寺。広い伽藍の中でも、特に賑わっている南円堂へ。すぐ隣に納経所があり、御朱印をいただくための長い列ができています。
南円堂は、西国三十三所巡礼の第九番札所として、今も多くの参拝者が訪れるお堂です。建立されたのは弘仁4年(813年)。藤原冬嗣が、父・藤原内麻呂の追善供養のために建てたと伝えられています。
基壇を築く際に地神を鎮める目的で、和同開珎や隆平永宝といった古代の銭が撒かれていたそうです。また、この鎮壇には弘法大師・空海が深く関わったという伝承も残っています。
当時の興福寺は藤原氏の氏寺でしたが、南円堂は北家の内麻呂・冬嗣親子とゆかりが深いようです。現在の南円堂は、創建以来4度目の建物で、寛政元年(1789年)に再建されたものです。
無事、御朱印をいただき、いよいよ迦楼羅像や阿修羅像の待つ国宝館へ向かいます…
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奈良市登大路(のぼりおおじ)の興福寺南円堂にご参拝させていただきました☺️
北円堂から不動堂•延命地蔵尊(えんめいじぞうそん)をお昼 ちまっと巡らせていただきました。
真っ青な天空に白い雲が出てきて荘厳な青と白のコントラストがスカーっと気持ちよかったです。
お不動さまの前でしばらくまったりさせていただきました。お地蔵さまやびんずるさま、相変わらずの優しい表情にほっとしました。いつ来てもこころ落ち着くいいところです。お不動さまのそばのお札の通りご真言をご唱上させていただきました☺️
ちまっと出来るのもあとわずか、二月いっぱいで定年退職します。奈良の街 大変お世話になりました。ありがとうございました☺️
精進して また ぜひ ご参拝させていただけますように😊
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南円堂は「西国三十三所」の第九番札所として人々の参拝が多い御堂です。この堂は弘仁4年(813)藤原冬嗣(ふゆつぐ)が父の内麻呂(うちまろ)追善のために建立しました。基壇築造の際には地神を鎮めるために、和同開珎や隆平永宝を撒きながら築き上げたことが発掘調査で明らかにされました。また鎮壇には弘法大師空海が大きく関わったことが伝えられています。当時の興福寺は藤原氏の氏寺でしたが、藤原氏の中でも摂関家となる北家の力が強くなり、北家の内麻呂・冬嗣親子ゆかりの南円堂は興福寺の中でも特殊な位置を占めました。本尊である不空羂索観音菩薩(ふくうけんさくかんのんぼさつ)が身にまとう鹿皮(ろくひ)は、神に仕える鹿への信仰、つまり氏神である春日社との関係により、藤原氏の強い信仰を集めました。現在の建物は創建以来4度目のもので、寛保元年(1741)に立柱、寛政元年(1789)に再建されました。再建には古代・中世の北円堂などの円堂を参考にしたと考えられていますが、正面(東)には間口1間・奥行2間の「拝所」があり、唐破風(からはふ)が付いているなど、江戸時代の細部様式もよく表しています。
現在の内陣には本尊の不空羂索観音菩薩坐像を中心に、四天王立像、法相六祖坐像が安置され、これらは全て慶派仏師の康慶(こうけい)一門による制作とされています。












| 住所 | 奈良県奈良市登大路町48 |
|---|---|
| 行き方 | 近鉄奈良線近鉄奈良駅東口より徒歩5分
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| 名称 | 興福寺 南円堂 |
|---|---|
| 読み方 | こうふくじ なんえんどう |
| 参拝時間 | 9:00~17:00 |
| 御朱印 | あり 通常拝受できるのは、南円堂御本尊と御詠歌、一言観音堂御本尊と御詠歌、寺名の由来になったお経の言葉「令興福力」の5種類です。北円堂が開扉中のみ北円堂の御朱印がいただけます。 |
| 限定御朱印 | なし |
| 御朱印帳に直書き | あり |
| 御朱印の郵送対応 | なし |
| 御朱印帳 | あり |
| 電話番号 | 0742-22-7755 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
| ホームページ | http://www.kohfukuji.com/ |
| 絵馬 | あり |
| ご本尊 | 不空羂索観音菩薩 |
|---|---|
| 宗旨・宗派 | 法相宗大本山興福寺境内御堂 |
| 創建時代 | 813年(弘仁4年) |
| 開山・開基 | 藤原冬嗣 |
| 文化財 | 国宝
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| ご由緒 | 南円堂は「西国三十三所」の第九番札所として人々の参拝が多い御堂です。この堂は弘仁4年(813)藤原冬嗣(ふゆつぐ)が父の内麻呂(うちまろ)追善のために建立しました。基壇築造の際には地神を鎮めるために、和同開珎や隆平永宝を撒きながら築き上げたことが発掘調査で明らかにされました。また鎮壇には弘法大師空海が大きく関わったことが伝えられています。当時の興福寺は藤原氏の氏寺でしたが、藤原氏の中でも摂関家となる北家の力が強くなり、北家の内麻呂・冬嗣親子ゆかりの南円堂は興福寺の中でも特殊な位置を占めました。本尊である不空羂索観音菩薩(ふくうけんさくかんのんぼさつ)が身にまとう鹿皮(ろくひ)は、神に仕える鹿への信仰、つまり氏神である春日社との関係により、藤原氏の強い信仰を集めました。現在の建物は創建以来4度目のもので、寛保元年(1741)に立柱、寛政元年(1789)に再建されました。再建には古代・中世の北円堂などの円堂を参考にしたと考えられていますが、正面(東)には間口1間・奥行2間の「拝所」があり、唐破風(からはふ)が付いているなど、江戸時代の細部様式もよく表しています。
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