こうふくじ なんえんどう|法相宗大本山興福寺境内御堂
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楽しみ方興福寺 南円堂のお参りの記録一覧
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中金堂・東金堂と参拝しましたら 興福寺全体を巡りたくなりました。
南円堂は西国三十三所巡りで参拝される方も多いですね。
お堂前で参拝している人は10人ほどしかいませんでしたが 寺務所はすごいことになっていました。
御朱印を待つ人の行列が20mほど。
御朱印は後回しにして参拝。
境内から下りるとお堂の石柱もありました。
御朱印は興福寺をすべて巡ってからにしましたが それでも行列はすごかったです。
書き手が3人いらっしゃったのですが 20分ほど待ちました。
ネット情報です。
南円堂は「西国三十三所」の第九番札所として人々の参拝が多い御堂です。
この堂は弘仁4年(813)藤原冬嗣(ふゆつぐ)が父の内麻呂(うちまろ)追善のために建立しました。
基壇築造の際には地神を鎮めるために 和同開珎や隆平永宝を撒きながら築き上げたことが発掘調査で明らかにされました。
また鎮壇には弘法大師空海が大きく関わったことが伝えられています。
当時の興福寺は藤原氏の氏寺でしたが 藤原氏の中でも摂関家となる北家の力が強くなり 北家の内麻呂・冬嗣親子ゆかりの南円堂は興福寺の中でも特殊な位置を占めました。
本尊である不空羂索観音菩薩(ふくうけんさくかんのんぼさつ)が身にまとう鹿皮(ろくひ)は 神に仕える鹿への信仰 つまり氏神である春日社との関係により 藤原氏の強い信仰を集めました。
現在の建物は創建以来4度目のもので 寛保元年(1741)に立柱 寛政元年(1789)に再建されました。
再建には古代・中世の北円堂などの円堂を参考にしたと考えられていますが 正面(東)には間口1間・奥行2間の「拝所」があり 唐破風(からはふ)が付いているなど 江戸時代の細部様式もよく表しています。
現在の内陣には本尊の不空羂索観音菩薩坐像を中心に 四天王立像 法相六祖坐像が安置され これらは全て慶派仏師の康慶(こうけい)一門による制作とされています。



いま、ふたたびの奈良へ🦌 ⑦
奈良旅、最後の目的地の興福寺。広い伽藍の中でも、特に賑わっている南円堂へ。すぐ隣に納経所があり、御朱印をいただくための長い列ができています。
南円堂は、西国三十三所巡礼の第九番札所として、今も多くの参拝者が訪れるお堂です。建立されたのは弘仁4年(813年)。藤原冬嗣が、父・藤原内麻呂の追善供養のために建てたと伝えられています。
基壇を築く際に地神を鎮める目的で、和同開珎や隆平永宝といった古代の銭が撒かれていたそうです。また、この鎮壇には弘法大師・空海が深く関わったという伝承も残っています。
当時の興福寺は藤原氏の氏寺でしたが、南円堂は北家の内麻呂・冬嗣親子とゆかりが深いようです。現在の南円堂は、創建以来4度目の建物で、寛政元年(1789年)に再建されたものです。
無事、御朱印をいただき、いよいよ迦楼羅像や阿修羅像の待つ国宝館へ向かいます…
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西国三十三所観音霊場第9番札所です。普段は扉が閉まっていて、お堂の外から手を合わせます。
年に1度開扉。9時から長い列ができます。13時から1時間程僧侶が集まり、法要が営まれるため、拝観はできませんが、14時半頃から再開されます。
ご本尊は不空羂索観世音菩薩。手に持つ羂索(縄)でいかなる人の願いも叶えてくれる仏さまです。その菩薩さまを囲む法相六祖。座っておられる姿、表情、手のしぐさ。個性豊かな6人の高僧···。どんな僧侶だったのだろう。想像を駆り立てます。
ご本尊は、康慶(運慶の父)一門の作。暗いお堂の中で凛としたお姿と品格の高さ感じさせる表情。鹿皮を斜めにかけておられるとのことです。お姿と表情に圧倒されたため、それに、とにかく広くはないお堂の中、人の流れに逆らうことも無粋。来年こそは!と潔く思いを断ち、お堂をあとにしました。
山号:なし
宗派:法相宗
ご本尊:不空羂索観世音菩薩
創建:813年(弘仁4年)


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