こうふくじ なんえんどう|法相宗
興福寺 南円堂のお参りの記録一覧(2ページ目)
この日最後の参拝は、興福寺南円堂です。
近鉄奈良駅から徒歩往復です。十分歩ける距離ですが、1日の最後でしたので疲れました。鹿もあちこちにいて、奈良に来たなと感じました。
御朱印をいただきましたが、受付の時間間際にも関わらず、沢山の方がいらっしゃいました。
西国三十三所の第9九番札所として、興福寺と別登録となっていたので分けて投稿致します。 興福寺の現存する堂宇の一つで、猿沢の池(興福寺の放生池)の散策道から緩やかな石段を登ると美しい八角形の御堂が現れます。
南円堂は弘仁4年(813年)に藤原北家の藤原冬嗣(ふじわらふゆつぐ)が父・内麻呂(うちまろ)を弔う為に創建した八角堂で、内陣には本尊の不空羂索観音菩薩坐像(ふくうけんさくかんのんぼさつざぞう)を中心に、四天王立像(してんのうりゅうぞう)、法相六祖坐像(ほっそうろくそざぞう)が安置されていて、いずれも国宝指定を受けています。 毎年10月17日の大般若経転読会の時に年1回のみの開帳とされていますので、参拝した時も堂の扉は閉ざされた状態でした。 興福寺の他の堂宇と同様に幾多の災厄に見舞われ焼失しているので、現在の建物は創建以来4代目のものになり寛政元年(1789年)に再建されたそうです。 堂の前、納経所の正面に藤棚があり、季節になると美しい花を咲かせるとのこと。 その季節にまた訪れたいものです。
南円堂・参道
南円堂
南円堂
右手の藤棚に藤の花が咲いたら綺麗でしょうね。
南円堂
南円堂・手水舎
南円堂・手水舎
興福寺・興善院
一言観音堂
御朱印・南円堂
御朱印・一言観音
平成27年2月に三十三カ所めぐりのため御朱印をいただいておりましたが、今回興福寺の写真も撮ることができましたので、改めて投稿いたしました。
当時にはなかった金堂のお姿も確認いたしました。
南圓堂の御朱印です。平成27年2月22日となっています。
五重の塔。
新しい金堂のお姿です。
現在の南圓堂です。西国三十三カ所の九番札所になっており、たくさんの方がお参りされていました。
南円堂は「西国三十三所」の第九番札所として人々の参拝が多い御堂です。この堂は弘仁4年(813)藤原冬嗣(ふゆつぐ)が父の内麻呂(うちまろ)追善のために建立しました。基壇築造の際には地神を鎮めるために、和同開珎や隆平永宝を撒きながら築き上げたことが発掘調査で明らかにされました。また鎮壇には弘法大師空海が大きく関わったことが伝えられています。当時の興福寺は藤原氏の氏寺でしたが、藤原氏の中でも摂関家となる北家の力が強くなり、北家の内麻呂・冬嗣親子ゆかりの南円堂は興福寺の中でも特殊な位置を占めました。本尊である不空羂索観音菩薩(ふくうけんさくかんのんぼさつ)が身にまとう鹿皮(ろくひ)は、神に仕える鹿への信仰、つまり氏神である春日社との関係により、藤原氏の強い信仰を集めました。現在の建物は創建以来4度目のもので、寛保元年(1741)に立柱、寛政元年(1789)に再建されました。再建には古代・中世の北円堂などの円堂を参考にしたと考えられていますが、正面(東)には間口1間・奥行2間の「拝所」があり、唐破風(からはふ)が付いているなど、江戸時代の細部様式もよく表しています。
現在の内陣には本尊の不空羂索観音菩薩坐像を中心に、四天王立像、法相六祖坐像が安置され、これらは全て慶派仏師の康慶(こうけい)一門による制作とされています。
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