れんげおういん(さんじゅうさんげんどう)|天台宗
蓮華王院(三十三間堂)のお参りの記録一覧(4ページ目)
建仁寺から六道珍皇寺、六波羅蜜寺そして豊国神社ときて最後に三十三間堂へ。
今日は京阪三条から歩いてゴール(東福寺駅経由の京阪七条)まで12kmちょっと歩きました(ほとんど平坦ですが)。
三十三間堂本堂
通し矢を行うところですね。
南大門
御朱印
第七十七代後白河天皇が退位後上皇として、この地に御所を造営して院政を行なわれました。
長寛2年(1164年)に平清盛に命じて、蓮華王院の本堂として造営されましたが、80年後に焼失してしまったそうです。
しかしまもなくして、後嵯峨上皇によって1266年に再建されたとのこと。
桃山時代には豊臣秀吉によって建立された大仏殿方広寺の境内に取り込まれ、南大門や太閤塀が築かれました。
三十三間堂は子供の頃に行ったような記憶がうっすらとあるのですが、1001体の観音様を見た記憶が・・・ない!
ということで今回はしっかりと脳裏に焼き付けてまいりました。
しかし1001体の金色の観音様はさすがに圧巻ですが、これを忘れるとは思えないんですよね。
子供の時の記憶ってそんなもんなんでしょうか。
本堂内は撮影禁止だったため本堂の外側のみの写真となりましたが、実は本堂内は結構拝観者が多く、さらに修学旅行生とも被ってしまいました。
一体一体顔が異なる観音様や、迫力の風神雷神様、二十八部衆像をもう少しじっくり見たかったですがあまり長く立ち止まることができず。
御朱印は本堂内でいただけるのですが、御朱印帳を持っていってたものの、秋限定のイチョウの御朱印帳を見た瞬間衝動的に手に取ってしまい、そちらに御朱印をいただきました。
東大門
東大門から南大門方向
南大門(重文)
慶長5年(1600年)の建造。
豊臣秀吉がここから北に約500mのところにある方広寺の南門として建てたものだそうです。
太閤塀(重文)
豊臣秀吉によって寄進された築地塀で、軒丸瓦には豊臣家の家紋である五七ノ桐を見ることができます。
最初の太閤塀は慶長伏見地震で倒壊したため、現在の太閤塀は豊臣秀頼により再建されました。
本堂正面
と言ってもここからは入れません。
本堂への出入りは本堂北側の拝観入口のみとなります。
それでは本堂の周りを一周してみます。
本堂南側
本堂西側にまわってみます。
毎年1月中旬にここで通し矢が行なわれます。
今ではニュースなどで成人を迎えた晴れ着姿の男女が弓矢の腕前を競っていますが、江戸時代には各藩で競い合い負けると切腹なんていうこともあったとか。
東庭池泉(南側)
東庭池泉(北側)
鐘楼
法然塔
夜泣泉
稲荷社
久勢大明神
南大門と太閤塀を内側から
境内のマンホール
これも有名ですかね。
季節限定御朱印帳
御朱印
三十三間堂を参拝。圧巻でした。1体1体顔が違うとは聞いた事はありますが、同じ様に見えるね、と娘と話していたら館内のPC💻でちゃんとお顔を見る事ができます。やはり1体1体お顔が違いました。当たり前ですね。
御朱印です。直書きしていただきました。サラサラサラ〜と美しく書いていただきため息しか出ません。
蓮華王院(三十三間堂)を訪れました。 本堂の中は当然、撮影禁止なので写真はありませんが、風神雷神像、観音二十八部衆像、約千体の観音立像、は皆が言うように圧巻の一言です。 さすがにそれだけの像を納めるお堂は三十三間(1間は1.82mとして約60m)あるだけに本堂全景を写真に収めるのは苦労します(汗)。
帰りに胡桃入り羊羹「月影」がおいしそうだったので買って帰りました。
蓮華王院(三十三間堂)・入口の説明札
蓮華王院(三十三間堂)・普門閣(拝観受付)
蓮華王院(三十三間堂)・本堂(北面)
蓮華王院(三十三間堂)・北門と回廊
蓮華王院(三十三間堂)・夜泣泉
蓮華王院(三十三間堂)・本堂(正面)
蓮華王院(三十三間堂)・本堂(南面)
蓮華王院(三十三間堂)・太閤塀
蓮華王院(三十三間堂)・本堂(南面)
蓮華王院(三十三間堂)・西門
蓮華王院(三十三間堂)・南大門
京都市博物館
三十三間堂の側にあります。
御朱印
三十三間堂では撮影禁止、本堂内の千体の観音立像や風神雷神、観音二十八部衆像等見るものを圧巻する素晴らしい像でした。
三十三間堂拝観券、大人600円中学生400円。
拝観時に頂いた説明の冊子
拝観時に頂いた説明の冊子
三十三間堂で頂いた御朱印
御朱印の内容の説明の冊子
何とも素晴らしい仏様 いつまでも見ていられる
通し矢で有名ですが、千手観音様を見ているだけでものすごく落ち着きます
前回は40年以上前に市電で訪れましたが、改めて美しさに感動しました
あまりそれらしくない入り口
正面からの全景
庭側からの全景
通し矢の紹介
一応、ご遙拝に見えると言った所ですが・・・。
実際には、高校の修学旅行で、平成2年の9月にお詣りさせて頂いております。
廊下?から廊下?までの間が広く、「何のために造った建物なの?」と思ったものです。
先日、ちょうどNHKのテレビ番組で、コロナ過で行われた「新成人の弓道の通し矢の行事」を特集していました。
たかが「高校生」の小遣いで、「御朱印」や「御朱印帳」など頂戴出来るほど、財布の中身は入っておりませんでした。
「餞別」をもらった親戚たちへの、お土産選びと購入に、小遣いを使わなければなりません。
それ以外の「使途自由」と言うものは無かったですねぇ。
親戚向けに買った、京都の「生八つ橋」。
両親向けに買った、「清水焼」の「ご飯茶碗」や、自分向けに新幹線車内で買った、新幹線写真が写った「テレホンカード」。
両親は、うちわ向けに買った物を、親戚に「形のあるお土産」として渡し、大量の「生八つ橋」が、冷蔵庫の中でデッドストックになってしまいました。
その「生八つ橋」は、皮がひからびるまで、ワタシが食べるしかありませんでした。
ほろ苦い思い出です。
「御朱印」など、高価な高嶺の花。
小遣いが「形のあるお土産」だけに消える「高校生」にとっては、悲しいことでした。
御朱印
過去の参拝♪
情報はよく聞いてましたが初めて参拝しました。
圧倒されました💦💦
癒される、諭される、反省してしまう…感じかな。
達筆過ぎて、どこの分からなくなりそうです💦
どこもそうですが…💦
キレイな庭園でした♪
三十三間(?)あるんですよね😅
弓道の事始めみたいなのをニュースで見ました💦
はっきりしない情報ばかりでごめんなさい…。
境内は撮影出来ないので近くのポスターを撮影。
過去の参拝で、書いてなかったものを写真が見つかったので投稿。
コロナ渦でマンボウの時期でしたが、車で移動して、人と接触しないようにして旅行。
車で金閣寺から鳳凰堂に向かう途中、こちらの看板が見えたので、急遽立ち寄り。
中は写真不可ですので、外観だけ。
子供のころ、修学旅行で来たはずですが、あまり覚えていなくて(ほかのところもですが)、
大人になってなんでもっとちゃんと見ておかなかったのかな、と後悔。
それをやっと、でも急遽というのが何とも・・・(・_・;)
でも呼ばれたのだなと思い、拝観。
こんなにたくさんの仏像を見ると、やはり圧倒されます。
どれだけの人の祈りがこめられているのでしょうか。
残念ながら自分に似た仏像は見つけられませんでしたが、
改めて仏像に興味が出てきました。
蓮華王院に参拝しました。境内にはほとんど人がいません。静かすぎるほど。早く自由にお参りできますように。
何度目かの参拝ですが、初めて御朱印いただきました。
中の千体観音、風神雷神、二十八部衆が写せないのが残念です。参拝の人がほとんどいないので、ちょっと怖いほどでした。
池越しに。頭痛平癒守護お守りいただきました。
三十三間堂。長ーいです。
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