れんげおういん(さんじゅうさんげんどう)|天台宗
蓮華王院(三十三間堂)のお参りの記録一覧(4ページ目)
お堂の東面、南北に伸びるお堂内陣の柱間が33あるから、通称「三十三間堂」。
堂内の千体千手観音立像は、実際には、本尊の千手観音坐像の裏にもう一体あるので、1,001体である、とのこと。ちなみに、2018年に国宝に指定されたのを機に、東京・京都・奈良の各国立博物館に寄託されていた5体が戻っているので、全部揃っている。
お堂西縁で行われていた「通し矢」も有名で、名古屋市中区大須三丁目にある三輪神社には、かつて尾張藩が、この通し矢のための練習場を作っていたことがあり、その周辺の旧地名及び地下鉄名城線の駅名「矢場町」はそこに由来する。
北側から、お堂東縁を望む。
南側から、お堂全景を望む。
豊臣秀吉が寄進したといわれる、太閤塀。
豊臣秀吉がキしたといわれる、南大門を、境内より望む。
「通し矢」が行われていた、お堂西縁を、南側から望む。
御朱印。
修学旅行で訪れて以来なので三十数年振りの参拝です、当時は何も感じることなくただ眺めていたのだろうと。歳を重ねると見方も変わるものだなぁとつくづく思います。
こちらでも突然雪が降り出し、関東では経験することない晴れ時々雪を初体験できた一日でした。
三十三間堂。正しくは蓮華王院(れんげおういん)蓮華王とは千手観音のこと、蓮華王院本堂の内陣の柱間(はしらま)が33あることことから、「三十三間堂」と呼んでいる。現在の三十三間堂は建長元年(1249)の火災後に再建された2代目。
東に面して南北120メートルに伸びる長大な空間に仏像がひしめく光景は、一度見たら忘れられない光景。じつはここには後白河法皇の極楽往生を望む執念がつまっているのだ。
三十三間堂に安置されているのは、中尊である丈六の「千手観音菩薩坐像」、守護神の「風神・雷神像」、眷属(けんぞく=従者)の「二十八部衆像」(いずれも国宝)、そして「千手観音立像」1001体(重文)と合わせて、その数1032体!
これだけの仏像がどういう風に並べられているかというと、国宝の中尊の左右それぞれ10段に、千手観音像が各段50体ずつ階段状に並べられ、中尊の後ろにも1体安置されている。
出口付近にある売店で奈良時代から同じ製法で作られてるお菓子を購入しました、昔は貴族した食べれなかった貴重なものをいただける貴重な経験を京都の最後にさせていただきました✨帰宅後に間違いなく食べる機会は無かったと思われるご先祖様にもお仏壇に備えさせていただきました。
建仁寺から六道珍皇寺、六波羅蜜寺そして豊国神社ときて最後に三十三間堂へ。
今日は京阪三条から歩いてゴール(東福寺駅経由の京阪七条)まで12kmちょっと歩きました(ほとんど平坦ですが)。
三十三間堂本堂
通し矢を行うところですね。
南大門
御朱印
第七十七代後白河天皇が退位後上皇として、この地に御所を造営して院政を行なわれました。
長寛2年(1164年)に平清盛に命じて、蓮華王院の本堂として造営されましたが、80年後に焼失してしまったそうです。
しかしまもなくして、後嵯峨上皇によって1266年に再建されたとのこと。
桃山時代には豊臣秀吉によって建立された大仏殿方広寺の境内に取り込まれ、南大門や太閤塀が築かれました。
三十三間堂は子供の頃に行ったような記憶がうっすらとあるのですが、1001体の観音様を見た記憶が・・・ない!
ということで今回はしっかりと脳裏に焼き付けてまいりました。
しかし1001体の金色の観音様はさすがに圧巻ですが、これを忘れるとは思えないんですよね。
子供の時の記憶ってそんなもんなんでしょうか。
本堂内は撮影禁止だったため本堂の外側のみの写真となりましたが、実は本堂内は結構拝観者が多く、さらに修学旅行生とも被ってしまいました。
一体一体顔が異なる観音様や、迫力の風神雷神様、二十八部衆像をもう少しじっくり見たかったですがあまり長く立ち止まることができず。
御朱印は本堂内でいただけるのですが、御朱印帳を持っていってたものの、秋限定のイチョウの御朱印帳を見た瞬間衝動的に手に取ってしまい、そちらに御朱印をいただきました。
東大門
東大門から南大門方向
南大門(重文)
慶長5年(1600年)の建造。
豊臣秀吉がここから北に約500mのところにある方広寺の南門として建てたものだそうです。
太閤塀(重文)
豊臣秀吉によって寄進された築地塀で、軒丸瓦には豊臣家の家紋である五七ノ桐を見ることができます。
最初の太閤塀は慶長伏見地震で倒壊したため、現在の太閤塀は豊臣秀頼により再建されました。
本堂正面
と言ってもここからは入れません。
本堂への出入りは本堂北側の拝観入口のみとなります。
それでは本堂の周りを一周してみます。
本堂南側
本堂西側にまわってみます。
毎年1月中旬にここで通し矢が行なわれます。
今ではニュースなどで成人を迎えた晴れ着姿の男女が弓矢の腕前を競っていますが、江戸時代には各藩で競い合い負けると切腹なんていうこともあったとか。
東庭池泉(南側)
東庭池泉(北側)
鐘楼
法然塔
夜泣泉
稲荷社
久勢大明神
南大門と太閤塀を内側から
境内のマンホール
これも有名ですかね。
季節限定御朱印帳
御朱印
三十三間堂を参拝。圧巻でした。1体1体顔が違うとは聞いた事はありますが、同じ様に見えるね、と娘と話していたら館内のPC💻でちゃんとお顔を見る事ができます。やはり1体1体お顔が違いました。当たり前ですね。
御朱印です。直書きしていただきました。サラサラサラ〜と美しく書いていただきため息しか出ません。
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