ほうおんいん|真言宗泉涌寺派
法音院京都府 東福寺駅
9:00〜16:30
御朱印・神社お寺の検索サイト
楽しみ方泉涌寺の塔頭寺院。
現在の本堂は英照皇太后御大葬の御須屋を賜ったもので本尊はあらゆる人を救う羂索[投げ縄]をもつ不空羂索観音。
昨年は明王の御朱印(五大明王・孔雀明王・愛染明王)を、今年は七観音の御朱印(千手、馬頭、十一面、聖、如意輪、准胝、不空羂索)を揃えたくなり、探してもなかなかなかった不空羂索観音の御朱印が法音院にあることがわかりお参りしました。法音院の御本尊の不空羂索観音様の春の書置き御朱印をいただくことができました。
宗旨:真言宗
宗派:真言宗泉涌寺派
本尊:不空羂索観音
創建年:嘉暦元年(1326年)
開山:無人如導
中興年:寛文5年(1665年)
中興:覚雲西堂
札所等:
洛陽三十三所観音霊場第25番
泉山七福神巡り第7番(寿老人)
御朱印:不空絹索観音
本堂
寿老人
春日三社明神
京都市東山区にあるお寺です。泉涌寺の塔頭の1つです。
泉涌寺の塔頭は公開されているお寺が多いので嬉しいです。
こちらは本堂に入ってのお参りはできませんでしたが ご住職とお話はさせていただけました。
鎮守社の三社明神があるのですが 屋根 ちょっと変わっていませんか。
法性寺の御朱印をこちらで拝受できました。
宗旨宗派は真言宗泉涌寺派 ご本尊は不空羂索観音 創建年は嘉暦元年(1326年) 開山は無人如導 中興年は寛文5年(1665年) 中興は覚雲西堂です。
ネット情報です。
鎌倉時代末期の嘉暦元年(1326年) 無人如導によって泉涌寺山内に創建されるが 応仁の乱により荒廃する。
江戸時代の寛文4年(1664年)と翌寛文5年(1665年)に江戸幕府や旗本である本多正貫夫妻に支援され 覚雲西堂の手により現在地に再建される。
以後 本多正貫の子孫である駿河国田中藩主本多家の京都における菩提寺となった。
境内には正貫が建立した徳川家康に仕えた父本多正重の石碑が 正貫夫妻やその家臣たちの墓とともに本多山より移されている。
山門
境内図と由緒書
本堂
鎮守社 三社明神
鎌倉時代末期、嘉暦元年(1326)無人如導宗師によって創建されるが、室町期応仁の乱により当院も兵災焼亡。
その後、江戸時代初期寛文五年(1665)幕府及び本多正貫・同夫人の支援を得、覚雲西堂師の手により再建される。
書院は伏見桃山城の遺構の一部である。
現在の本堂は英照皇太后(孝明天皇女御)御大葬の御須屋(御陵の上に設けた仮屋)を賜ったもので本尊は不空羂索観音。一面三眼八臂のお姿で、もれなく人々を救済加護し、あらゆる困難・苦難・災難から救ってくださる観音様である。
洛陽三十三観音霊場第二十五番札所であり、泉涌寺七福神では健康長寿・諸病平癒・富貴繁栄のご利益がある寿老人を祀る。
名称 | 法音院 |
---|---|
読み方 | ほうおんいん |
参拝時間 | 9:00〜16:30 |
参拝料 | なし |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
御朱印の郵送対応 | なし |
電話番号 | 075-551-0961 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ホームページ | http://www.houonin.com/ |
泉山七福神巡り 第7番 | 御本尊:寿老人 |
---|---|
洛陽三十三所観音霊場 | |
数珠巡礼 第46番 |
ご本尊 | 不空羂索観音菩薩 |
---|---|
院号 | 法音院 |
宗旨・宗派 | 真言宗泉涌寺派 |
創建時代 | 嘉暦元年(1326) |
開山・開基 | 無人如導宗師 |
ご由緒 | 鎌倉時代末期、嘉暦元年(1326)無人如導宗師によって創建されるが、室町期応仁の乱により当院も兵災焼亡。
|
体験 | 写経・写仏御朱印札所・七福神巡り |
ホトカミには、日本最大となる全国15万8千件の神社お寺の情報や、2万件以上の御朱印のオリジナルデータがあります。
ご利用になりたい法人様やメディア関係の方々は、こちらよりお気軽にご相談ください。
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。
ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ
12
0