なんぜんじ|臨済宗南禅寺派
南禅寺
京都府 蹴上駅
12月1日~2月28日 午前8時40分~午後4時30分 3月1日~11月30日 午前8時40分~午後5時
御朱印 (2種類)
南禅寺でいただける御朱印は2種類です。
金剛王宝殿(御本尊)の御朱印
右上に「奉拝」、真ん中に「金剛王宝殿」、左下に「南禅寺」と墨書きされています。
右下に日付印が押されています。
真ん中に寺印と「大本山南禅寺」の印が墨書きに重ねられています。
利益衆生の御朱印
右上に「奉拝」、真ん中に「利益衆生」、左下に「南禅院」と墨書きされています。
右下に日付印、真ん中に寺印が「利益衆生」に、「開基廟堂 南禅院」印が「南禅院」の墨書きに重ねられています。
※水路閣の御朱印帳をいただくと1枚目にこちらが記入されています
御朱印帳 (2種類)
南禅寺でいただける御朱印帳は2種類あります。
群虎図の御朱印帳
南禅寺の小方丈にある、狩野探幽が描いた障壁画「群虎図」(重要文化財)がデザインされた御朱印帳です。
※小方丈(こほうじょう)は、南禅寺の建築物の一つで、国宝に指定されています
水路閣の御朱印帳
表面は境内にある水路閣の写真、裏面は寺紋と「大本山 南禅寺」と金色で箔押しされています。
みずみずしい青葉と由緒ある水路閣の構図が印象的な御朱印帳です。
授与場所・時間
御朱印・御朱印帳は拝観受付でいただけます。
受付時間は
12月1日~2月28日 8時40分~16時10分
3月1日~11月30日 8時40分~16時40分
詳細は公式サイトをご確認ください。
御朱印 | |||
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限定 | - | ||
御朱印帳 | |||
駐車場 | - |
京都市左京区にあるお寺です。
山号は瑞龍山
宗旨宗派は臨済宗南禅寺派
寺格は大本山、京都五山および鎌倉五山の別格上位
ご本尊は釈迦如来
です。
方丈は国宝に指定されており 境内は国の史跡に 方丈庭園は国の名勝に指定されています。
前にお参りした時は 突然の雨に襲われ 三門の上で時間つぶしをしました。
それはそれで風情があったのですが やはり晴天の南禅寺を参拝したくて お参りしました。
しかし暑すぎでした。
塔頭も多く 歴史もあり 立派な建物は圧巻です。
三門
柱の台座が面白いと思いました
本殿 天井の龍
方丈庭園
方丈庭園
方丈庭園
欄間 変わっています
欄間 変わっています
小方丈庭園
これ 硯ですよね
境内の外にあります 大寂門
南禅寺は臨済宗南禅寺派の大本山の寺院。山号は瑞龍山。本尊は釈迦如来。開山は無関普門(大明国師)、開基は亀山法皇。正式には太平興国南禅禅寺と号する。日本最初の勅願禅寺であり、京都五山および鎌倉五山の上に置かれる別格扱いの寺院で、日本の全ての禅寺の中で最も高い格式を持つ。
~ウィキペディアより抜粋~
昼から訪れたこともあり、観光客で賑わっていました😄
中門
慶長6年(1601)松井康之より、伏見城松井邸の門を勅使門として寄進されたもの。
勅使門(重要文化財)
寛永18年(1641)明正天皇より、御所にあった「日の御門」を拝領したもの。
南禅寺の由緒書き
三門の由緒書き
三門(重要文化財)①
三門とは仏道修行で悟りに至る為に透過しなければならない三つの関門橋を表す、空、無相、無作ね三解脱門を略した呼称。南禅寺の三門は別名「天下竜門」とも呼ばれる。
三門②
開創当時のものは永仁3年(1295)西園寺実兼の寄進によって創立。歌舞伎「楼門五三桐」の石川五右衛門の伝説で有名。
法堂
法式行事や公式の法要が行われる場所であり、南禅寺の中心となる場所。
疎水
琵琶湖から京都市内に向けて引かれた水路。疎水の工事は1885年に始まり、1890年に竣工した。
南禅院
亀山天皇は、正応2年(1289)離宮で出家して法皇となられ、離宮を寄進して禅寺とし大明国師を開山とされた。ここは離宮の遺跡であり、南禅寺発祥の地。
高徳庵①
高徳庵②
御朱印(書き置き)
三門の拝観受付で授与されています。
御朱印(書き置き)
方丈庭園拝観にある売店コーナーで授与されています。
南禅寺は今から710年あまり昔の正応4年(1291年)、亀山法皇が無関普門禅師(大明国師)を開山に迎えて開創されました。正応2年(1289年)、上皇は離宮禅林寺殿で落飾(出家)され、法皇になられました。諱(法名)を金剛眼と申されます。「文応皇帝外紀」によれば、まもなく離宮に妖怪な事が起こりましたが、無関禅師は雲衲(修行僧)と共に離宮に留まり、坐禅・掃除・勤行と、禅堂そのままの生活を送られただけで妖怪な事は終息してしまいました。 法皇は禅師の徳をたたえて深く帰依され、正応4年離宮を禅寺とされました。禅寺といっても、離宮には伽藍として機能するものは一つもありませんでした。従ってその建立が規庵禅師に課せられたわけですが、入寺からおよそ15年の歳月を費やし、暫くその完成をみるに到ったのでした。規庵禅師が創建開山と呼ばれる理由です。伽藍のほぼ完成した嘉元3年(1305)9月15日、亀山法皇は嵯峨の亀山殿で御歳57歳をもって崩御されました。御陵は亀山殿の跡地に建立された天龍寺境内にあります。
住所 | 京都府京都市左京区南禅寺福地町 |
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行き方 | 地下鉄で起こしになる場合は東西線をご利用ください。蹴上駅下車、徒歩10分です。「ねじりまんぽ」と呼ばれる隧道を抜けると境内への近道です。
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名称 | 南禅寺 |
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読み方 | なんぜんじ |
参拝時間 | 12月1日~2月28日 午前8時40分~午後4時30分 3月1日~11月30日 午前8時40分~午後5時 |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | あり |
電話番号 | 075-771-0365 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ホームページ | http://nanzen.net/ |
SNS |
ご本尊 | 釈迦牟尼仏・観世音菩薩等 |
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宗旨・宗派 | 臨済宗南禅寺派 |
ご由緒 | 南禅寺は今から710年あまり昔の正応4年(1291年)、亀山法皇が無関普門禅師(大明国師)を開山に迎えて開創されました。正応2年(1289年)、上皇は離宮禅林寺殿で落飾(出家)され、法皇になられました。諱(法名)を金剛眼と申されます。「文応皇帝外紀」によれば、まもなく離宮に妖怪な事が起こりましたが、無関禅師は雲衲(修行僧)と共に離宮に留まり、坐禅・掃除・勤行と、禅堂そのままの生活を送られただけで妖怪な事は終息してしまいました。 法皇は禅師の徳をたたえて深く帰依され、正応4年離宮を禅寺とされました。禅寺といっても、離宮には伽藍として機能するものは一つもありませんでした。従ってその建立が規庵禅師に課せられたわけですが、入寺からおよそ15年の歳月を費やし、暫くその完成をみるに到ったのでした。規庵禅師が創建開山と呼ばれる理由です。伽藍のほぼ完成した嘉元3年(1305)9月15日、亀山法皇は嵯峨の亀山殿で御歳57歳をもって崩御されました。御陵は亀山殿の跡地に建立された天龍寺境内にあります。 |
体験 | 坐禅(座禅)写経・写仏食事・カフェ御朱印国宝伝説 |
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