なんぜんじ|臨済宗南禅寺派
南禅寺のお参りの記録一覧
京都府 蹴上駅
なんぜんじ|臨済宗南禅寺派
京都府 蹴上駅
こちら、なかなか来る機会なくて、
近くまでは行くんやけど、
どーしてか、行かなかったお寺。
ガレージ1000円 高かった!
拝観料もいるお寺 一般600円
こちら、
おばあちゃんが、
長いこと働いてはったのよ😊
では、TOPの御朱印から!
右 南禅寺の御朱印
左 山門の御朱印
ガレージ近くの蓮の花
中門
苔が綺麗! 緑も綺麗!
三門
法堂
天井の龍
名勝庭園
瑞宝殿
水路閣
南禅寺派宗務本所
桃山文化の粋 って言うのと
天授庵 特別拝観は
時間の都合でやめといた。
御朱印頂きました😊
ベンチ?
大玄関庭園
三門に上がれるみたいで
それは行った!
これも、1人600円
三門の御朱印も頂きました😊
Pさん チビのくせに
頭打ってた。。
風が気持ちいい!
座って、涼んでる人が沢山いた!
よい眺め
降りる時、
私、階段がトロいから、
後ろにいた人に
先行ってください言うたら、
まだ、見てるんです〜やて
すんません💦
売店でアイス買って帰りました。
日は照ってなかったけど、
暑かった💦
南禅寺
~亀山上皇を偲んで②~
山号 瑞龍山
宗派 臨済宗南禅寺派
寺格 大本山
京都五山および鎌倉五山の別格上位
御本尊 釈迦如来
創建年 正応4年(1291年)
開山 無関普門(大明国師)
開基 亀山法皇
正式名 瑞龍山 太平興国南禅禅寺
~・~・~・~
ニ度にわたる元寇(蒙古襲来)など多難な問題に直面した亀山天皇は、後嵯峨天皇の第4皇子で兄の後深草天皇の後を継いで正元元年(1259)11歳で即位されます。
元寇(元軍来襲)の際、「我が身を以て国難に代わらん」と「敵国降伏」を祈願されました。「敵国降伏」とは、武力で敵を降伏させるのではなく、徳の力をもって導き、相手が自ら靡き伏するという意味です。
積極的な行動派の賢帝とされていましたが、25歳で皇子の後宇多天皇に譲位し上皇となった後も、意欲的に政務に取り組まれました。 40歳になった正応2年(1289)離宮で出家して法皇となり、その離宮を寄進して禅寺とされます。その離宮の遺跡が、赤レンガの水路閣をくぐって石段を登ったところにある南禅院で、南禅寺発祥の地です。
平成16年(2004)は亀山法皇の700年忌となり、4月7日から17日まで盛大な大法要が営まれました。
皇家の人間ながら、当時の新興宗教である禅宗・律宗を手厚く保護されました。
五山別格とされ臨済宗寺格第一である南禅寺は、無関普門(大明国師)に帰依した亀山天皇の勅願によるものです。また、真言律宗の開祖である西大寺の叡尊(興正菩薩)にも深く帰依されました。禅律振興政策は孫である後醍醐天皇、及び後醍醐を敬愛された足利尊氏に継承されました。
境内には亀山法皇の遺言によって分骨埋葬された御廟があります。
~・~・~・~
日本最初の勅願禅寺であり、京都五山および鎌倉五山の上に置かれる別格扱いの寺院で、約700年以上昔当時最も傑出した禅僧が歴代住持として住山し、五山文学の中心地となるなど、禅界最高の格式を持ちます。
南禅寺を別格とし、その下に天竜寺・相国寺・建仁寺・東福寺・万寿寺が位置します。
南禅寺境内の東の奥に建つ方丈(国宝)は、もともと別の建物であった大方丈と小方丈がひとつにまとめられています。入母屋造、柿(こけら)葺きの大方丈は、豊臣秀吉が天正17年(1589)に造営して寄進した御所の清涼殿を慶長16年に移築したもので、寝殿造りの美しい形を今に伝えています。
左甚五郎が彫った両面透かし彫りの欄間が掲げられ、縁側の欄干の金具には南禅寺の山号の瑞龍の紋が彫刻されています。
南禅院は応仁の乱の兵火で焼失した後、しばらくそのままになっていましたが、元禄16年(1703)徳川5代将軍・綱吉の母・桂昌院が方丈を再建して寄進されます。方丈の襖絵は狩野養朴父子の筆による水墨画が描かれ、軒丸瓦は菊の紋が象られています。 方丈内陣に安置されている法皇の木像(国・重文)は、椅子に座る法体姿で、玉眼をはめた写実性豊かで落ち着いた雰囲気の像です。納衣には飛雲、袈裟には霊鳥と草花の文様が金泥で描かれており、崩御から間もない時期に製作されたと思われます。
南禅寺山を背後にした庭園は、京都に残る鎌倉時代の代表的な池泉回遊式庭園で、亀山法皇自らの作庭とも言われます。大方丈の6室の襖には、狩野永徳や狩野元信ら狩野派絵師らの筆による中国の孝子説話「二十四孝図」や麝香の間の2匹と3匹の麝香猫の親子が対峙している「牡丹麝香猫図」のほか「宮嬪の図」など、壮麗な極彩色の襖絵(国・重文)120面が描かれています。禅宗風襖絵とは異なる桃山時代の金碧画として注目されています。
小方丈の3室は「虎の間」と呼ばれ、狩野探幽の筆による「竹林と虎」を主題にした虎の襖絵が42面描かれ、中でも水を呑む虎とそれを眺める虎の美しい姿態の「水呑みの虎」の絵が名高くあります。
周囲を深い樹林で包まれた静かな庭園は、国の史跡・名勝に指定されていて、新緑と紅葉の時期はことに深い趣があります。
庭園の大小の池の上池は曹源池と呼び、竜の形に作られ、中央に蓬莱島があります。下池は池を心字形にしないで島を心字島にしたところに特色があります。築庭当時の庭には吉野の桜、難波の葦、竜田の楓が移植され、井手の蛙も放たれていたとの記録があるそうです。
三門は禅寺の仏殿前にある三解脱門、すなわち空門・無相門・無作門に例えて言い、禅宗七堂伽藍のひとつに入る重要な建物です。
創建当時の三門は永仁3年(1295)太政大臣・西園寺実兼が寄進、後に改築されましたが文安4年(1445)の火災で焼失。 現在の三門は寛永5年(1628)藤堂高虎が、大坂夏の陣で戦死した侍たちの冥福を念じて寄進されました。
禅宗様式の豪壮な建物は、巨大な門を支える列柱群が力強さを示し、日本三大門のひとつです。楼上の2階部分には縁がぐるりと取り巻いています。
南禅寺の三門は歌舞伎「楼門五三桐」で、楼上に住みついた大盗賊の石川五右衛門が、楼上からの眺めを「絶景かな、絶景かな、春の眺めは値千金とは小さなたとえ、この五右衛門の目からは万両」と言った名台詞の伝説があまりにも有名です。
今もこの台詞の通り楼上から京都市街、御所方向を見渡す眺めは素晴らしいとのことです。
京の三大門は、
知恩院の三門・南禅寺の三門・仁和寺の二王門です。
南禅寺法堂から境内を南へ進み南禅院前へ出ると、レンガ造りのアーチ型の水路閣が現れます。明治18年(1885)長等山と東山にトンネルを掘り、琵琶湖の水を京都へ引き入れる大胆な計画が実行に移されました。この琵琶湖疏水事業の一環として造られた水路が南禅寺境内にある水路閣で、今日もこの長さ93mのアーチ橋の上を琵琶湖の水が流れ続けています。 100年以上たった今では、レンガの色も古色に変化して周囲の景色に溶け込み、南禅寺を代表する景観のひとつとして参詣者の目に馴染んでいます。
文化財
方丈、亀山天皇宸翰禅林寺御祈願文案(国宝) 三門、勅使門、絹本著色大明国師像ほか(重要文化財) 境内(国の史跡) 方丈庭園(国の名勝)
南禅寺の主な塔頭
金地院 / 南禅院 / 天授庵 / 聴松院 / 慈氏院
境内北側にある南禅寺塔頭の薝蔔林寺(せんぷくりんじ)。
南禅僧堂、南禅寺専門道場ともいわれています。
南禅寺境内にある琵琶湖疏水の水道橋(水路閣)
湯豆腐は南禅寺周辺参道の精進料理が起源とされています。 山形県酒田市、鶴岡市では「南禅寺豆腐」というほぼ半球の形をした豆腐が名産。江戸時代に北前船に乗って京都から西廻り航路で伝わったといわれています。
~2月4日ROOT 京都駅迄~
🙋南禅寺福地町地蔵尊🙋
蹴上インクラインを渡る「南禅寺橋」
左の南禅寺参道と右の仁王門通に挟まれた「厭離庵」
このあたりから「琵琶湖疏水記念館」越しに吉田山、金戒光明寺の文殊塔が見えます
左の脇道に、厭離庵(左)と正面の南禅寺参道。
楽しい会話であっという間に京都タワーが見えてきました。
エメラルドにも見えるブルー(ワールドキャンサーデーの一環として)癒しの色でした。~
京都市左京区南禅寺福地町86
こちらの画像を見るとご一緒頂けて 楽しかった一時がよみがえります。ありがとうございました。
忍
亀山天皇分骨(御廟)
🙋南禅寺福地町地蔵尊🙋
蹴上インクラインを渡る「南禅寺橋」
「八千代」 小川治兵衛の庭を眺めながら南禅寺名物の湯豆腐や旬の食材を使い、継承の技を伝える京懐石が頂ける料理旅館です。八千代は 安土桃山時代に御所に出入りを許された魚問屋として始まり、天正16年(1588)聚楽第での盛宴の際にご用命を受けたと古い記録に残っているそうです。
~2月4日ROOT 京都駅迄~
🙋南禅寺福地町地蔵尊🙋
インクラインを渡る「南禅寺橋」
左の南禅寺参道と右の仁王門通に挟まれた「厭離庵」
このあたりから「琵琶湖疏水記念館」越しに吉田山、金戒光明寺の文殊塔が見えます
左の脇道に、厭離庵(左)と正面の南禅寺参道。
楽しい会話であっという間に京都タワーが見えてきました。
エメラルドにも見えるブルー(ワールドキャンサーデーの一環として)癒しの色でした。~
南禅寺御朱印帳
17時過ぎに伺った為、他の参拝客は少なく散策範囲は狭かったですが堪能できました😊御朱印は翌々日に再訪して頂いてきました。
帰り道に湯豆腐屋さんがあったので夕飯をいただいて帰ることに🤗
南禅寺とは、710年昔の1291年、亀山法皇が無関普門禅師を開山に迎えて開創した、臨済宗南禅寺派の総本山です。
足利義満によって、京都五山および鎌倉五山の上に置かれる「五山之上」とされ隆盛。さらに、当時最も傑出した禅僧が歴代住持として住山し、五山文学の中心地となるなど、禅界最高の格式を持ちます。
「絶景かな、絶景かな」とは、歌舞伎「楼門五三桐(さんもんごさんのきり)」で石川五右衛門が発する名台詞。春の桜を愛でながら大盗賊が見得を切る、その舞台こそ、南禅寺の「三門」楼上です。
高さ約22メートル、日本最大級の高さを誇る三門は、別名「天下竜門」。知恩院・久遠寺(山梨県)とともに「日本三大門」、知恩院・仁和寺とともに「京都三大門」(ともに諸説あり)に数えられるなど、日本を代表する名門です。
京都府京都市南禅寺に行きました
石川五右衛門が絶景かな絶景かなと言ったといわれる山門のある禅寺の別格寺院です。
奥にある法堂及び水路閣は見ごたえ有です
入口です。
石川五右衛門が絶景かな絶景かなと言ったといわれる山門です。
法堂の龍は見所有です
水路閣は映えスポットで皆さん写真撮られてました
欲しかった虎の御朱印帳です
久しぶりの南禅寺です。台風一過で秋晴れという天気予報でしたが、まさかの曇り気味。晴れ間を狙って写真撮りました。これまで何時も混んでましたが、今回はゆっくり良い参拝ができました。
ついに御朱印いただけました。何度も来てますが、初めてです。朱印がいい!
勅使門。さあ南禅寺へ。
日本三大門として有名な、さすがの三門。上に登れます。
三門から京都市内を望む。当時は絶景だったんでしょうね。
本坊。拝観受付はここです。
方丈から方丈庭園。苔が綺麗です。
法堂です。こちらも立派。龍の天井画が拝見できます。
そして水路閣。未だ現役で水が上を流れてます。
「絶景かな~絶景かな~!」と石川五右衛門が京の町を見渡し絶賛したことで有名な山門を有する南禅寺さんを参拝です。うだる暑さの中、笑う膝を酷使し、急勾配の山門階段を昇りきったら爽やかな夏風と緑鮮やかな景観が迎えてくれました。 そして、南禅寺と言えば水路閣。境内にありながらその景観を損なわないよう設計された琵琶湖疏水の水路閣はどこかノスタルジックな感じにさせてくれます。
南禅寺・勅使門
南禅寺・山門(天下竜門)
南禅寺・山門(天下竜門)
南禅寺・山門からの眺め
南禅寺・山門からの眺め
南禅寺・山門から法堂を望む
南禅寺・琵琶湖疏水の水道橋(水路閣)
南禅寺・法堂
南禅寺・本坊
御朱印
コロナ禍ながら暖かさに誘われて~
卒園式帰りなのか、袴・着物姿の
女性が目立ちました。
人出は少ないです。
南禅寺の御朱印帳~
狩野探幽筆の群虎図☺️
山門~拝観しました
山門拝観しました。階上内部は撮影禁止ですが絵画、仏像見応えありました
南禅寺はコロナ禍に限らず書き置きタイプだそうです。御朱印帳に限り一頁目に御朱印記帳されてます☺️
南禅寺本殿横の水路✨
次に南禅寺に参拝しました。
南禅寺にて御朱印帳を頂きました。
狩野探幽筆の方丈の襖絵の群虎図がデザインされています。
前から欲しかった御朱印帳です。御朱印帳のカバーもカッコいいです。
南禅寺にて「金剛王宝殿」の御朱印を頂きました。
普段は書置きですが、御朱印帳を頂くと最初の頁に浄書したものがが頂けます。
南禅寺は臨済宗南禅寺派のお寺です。
京都五山の別格扱いです。
まずは、勅使門から入り中門と続き、
有名な南禅寺の三門です。
寛永年間の建築で重量感がありますね。
石川五右衛門が絶景かなのセリフで有名ですね。
ということで三門にのぼってみました。
三門の楼上には宝釈釈迦像などが安置されています、
法堂には本尊の釈迦如来が祀られています。
方丈は大方丈と小方丈からなり、国宝に指定されています。
御所建替えの際に豊臣秀吉が移築されたものとされています。
方丈前庭は虎の子渡しの庭は小堀遠州作と言われています。
如心庭もあります。
南禅寺と言えば水路閣です。
レンガ造のアーチ橋で琵琶湖疎水が今でも流れています。
朝早く平日なので誰もいないので絵になります。
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御朱印帳カバー
御朱印
由緒書と入場券
勅使門
中門
三門
三門の楼上
法堂
方丈
虎の子渡しの庭
如心庭
水路閣
水路閣
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