ふじのもりじんじゃ
藤森神社
京都府 墨染駅
社務所:9:00~17:00
御朱印 (4種類)
藤森神社でいただける御朱印は4種類あります。
藤森大神の御朱印
真ん中に神紋の「藤に一文字」の印、その下に神社印が押されています。
2つの印に重ねて「藤森大神」と墨書きされています。
鶴丸国永の御朱印
日本刀「鶴丸国永」の写しが藤森神社に奉納されて2年になるのを記念して2020年に奉製され通常授与されるようになりました。
鶴が舞う姿が透けて見える白い台紙が使われ、右上に金色の鶴丸紋が配置され、その下に刀剣が描かれています。
真ん中に「鶴丸国永」と墨書きされ、その下に印が押されています。
左下に社紋の「藤に一文字」黒色の印、藤森神社の墨書き、更に神社印が押されています。
※日付は入りません
鶴丸国永特別御朱印
二面見開きの御朱印です。
真ん中に「鶴丸国永」の名が墨書きされています。墨書きに重ねて「藤森神社」印が押されています。
名前の周囲を鶴が広く囲い、四隅に黒・橙・紫を使ったレース模様をあしらっています。
左下に「刀」の文字が描かれています。
※令和3年も授与はありますが、台紙の意匠が少し変更されています
【京都刀剣御朱印めぐり】
粟田神社(小狐丸)
豊国神社(骨喰藤四郎)
藤森神社(鶴丸国永)
建勲神社(宗三左文字・薬研藤四郎)
上記4社で授与されている特別御朱印を並べると、中央に「京都刀剣」と文字が繋がります。
紫陽花の御朱印(季節限定)
藤森神社の境内の紫陽花の開花期間にいただける御朱印です。
右から「京都伏見」の緑色の印が押され、真ん中に押された神社印に重ねて「紫陽花宮」と墨書きされ、左に年号・日付が墨書きされています。
青の台紙には赤紫色の、赤の台紙には青色の紫陽花が描かれています。
※年によりデザイン、色が変わります
御朱印帳 (3種類)
藤森神社でいただける御朱印帳は3種類です。
淡い藤色の御朱印帳
表面に「御朱印帳」の文字と神紋の「藤に一文字」の一部が銀色で箔押しされています。
裏面は縦に神紋と「京都 藤森神社」が銀色で箔押しされています。
藤の花を連想させる地紋を使った御朱印帳です。
紺色御朱印帳
御朱印帳を広げた状態にすると、右上から左下にかけて桜が風に舞っている様子になっています。
表面に刀身が描かれ、その周りを桜が舞っています。
裏面に「京都 藤森神社」の文字と神紋が銀色で箔押しされています。
濃紺の生地に銀色をメインにした文字や絵で、品のある印象を受けます。
白色御朱印帳
「御朱印帳」「京都藤森神社」の文字は紺色で、表面の神紋と刀身は銀色で、裏面の馬は金色で箔押しされています。
全面白色で、その中にうっすらと鶴が舞っている模様が浮かび上がります。
鶴丸御朱印帳
表面に「鶴丸」と大きく金色で文字が描かれています。
裏面に社紋と「京都 藤森神社」と金色で表記されています。
白地に金色で書かれた文字が映えて美しい仕上がりになっている御朱印帳です。
授与場所・時間
御朱印、御朱印帳はともに授与所でいただけます。
受付時間は9時~16時。
詳しくは公式サイトをご確認ください。
過去の限定御朱印
舎人親王 特別御朱印
御祭神の舎人親王が編者として作られた「日本書紀」が編纂されて1300年を記念して、2020年1月13日~12月31日まで授与されていました。
右に「日本書紀編纂一三〇〇年」と墨書きされています。
真ん中に菊紋と「崇道盡敬天皇之御璽」印が押され、その上に「学芸の祖」「舎人親王」と墨書きされています。
※崇道盡敬天皇之御璽…舎人親王の諡号(死後に送られる名前)
御朱印 | |||
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限定 | - | ||
御朱印帳 | |||
駐車場 | 有料駐車場あり |
近年ではゲーム・アニメ作品「刀剣乱舞」とのコラボ企画も。
京都2日目は目覚ましを掛けたのに、朝から出遅れました。
墨染駅から歩いた所に藤森神社はあります。結婚式とお宮詣りでにぎわっていました。
らんちゅうの品評会が行われていました。
京都市伏見区にある神社です。
刀剣乱舞が好きな方なら知っている神社だと思います。
また、競馬ファンにも有名です。
御祭神がとても多いです。
本殿 - 素盞嗚命、別雷命、日本武命、応神天皇、神功皇后、武内宿禰、仁徳天皇
東殿 - 天武天皇、崇道尽敬皇帝(舎人親王)
西殿 - 崇道天皇(早良親王)、伊予親王、井上内親王
本殿は正徳2年(1712年)に中御門天皇より下賜された宮中賢所(内侍所)であり、現存する賢所としては最も古く、東殿・中央・西殿の三座から成っています。
社伝では、203年、三韓征伐から凱旋した神功皇后が、山城国深草の里の藤森に纛旗( いくさ旗)を立て、兵具を納め、塚を作り、祭祀を行ったのが当社の発祥であるとしています。
兵具に関連したことから、建勲神社、粟田神社(鍛冶神社)、豊国神社とともに、京都名刀御朱印めぐりにの神社となっています。(北野天満宮にも名刀鬼切丸があります)
これが刀剣乱舞のファンを引き付けている理由ですね。
駆馬や菖蒲からの尚武・勝負の連想、武神が多く祀られていること、また明治時代から第二次世界大戦終了まで周辺が軍用地であったことから、馬と武運の神社として信仰を集めています。
競馬ファンがお参りするのは、このことからですね。
宝物殿には、馬にまつわる品が収められていました。
蒙古塚には、蒙古将兵と戦利品の兵器を収めたとされます。
京都名刀御朱印めぐり第1弾
京都名刀御朱印めぐり第2弾
京都名刀御朱印めぐり第3弾
京都名刀御朱印めぐり第4弾
京都名刀御朱印めぐり第5弾
京都名刀御朱印めぐり第6弾
京都名刀御朱印めぐり第7弾
京都名刀御朱印めぐり第8弾
京都名刀御朱印めぐり第9弾
京都名刀御朱印めぐり第10弾
京都洛南深草の里に、平安遷都以前より祀られている古社であり、古来、朝廷から武家、庶民にいたるまで崇敬厚く、歴史ある社である。歴史をさかのぼれば、近郊にあった三つの社が合祀され、現在の藤森神社となった。
■本殿中央(中座)御祭神は素盞鳴命、別雷命、日本武尊、応神天皇、仁徳天皇、神功皇后、武内宿禰の七柱。
神功皇后が摂政3(203)年、新羅より凱旋の後、山城の国深草の里藤森の地を神在の聖地として撰び纛旗(軍中の大旗)を立て、兵具を納め、塚を造り、神祀りされた、それが当社の起こりである。現在、本殿東にある旗塚がその塚である。延暦13(794)年、桓武天皇より弓兵政所の称が授けられ、遷都奉幣の儀式が行われた。
■本殿東殿(東座)御祭神は舎人親王、天武天皇の二柱。
天平宝字3(759)年、深草の里藤尾の地に鎮座。藤尾は現在の伏見稲荷の地である。永享10(1438)年、後花園天皇の勅により、時の将軍足利義教が山頂の稲荷の祠を三麓の藤尾の地に移し、藤尾大神を藤森に遷座し、東殿に祀り、官幣の儀式が行われた。舎人親王は、日本書紀の撰者であり武道にも優れた文武両道の神であった。皇室や藤原一門の崇敬厚く、貞観2(860)年、清和天皇の宝祚に際し奉幣の神事が行われた。これが藤森祭(深草祭)の初めである。
■本殿西殿(西座)御祭神は早良親王、伊豫親王、井上内親王の三柱。
早良親王は皇太子となられた後、蝦夷で反乱が起こったので征討将軍として当神社に詣で戦勝を祈願され、出陣しようとされたところ、これを伝え聞いた反乱軍は畏怖し、乱は戦わずして平定された。英武の方であられたが、延暦4年、事に座して淡路に流される途中で亡くなられた。延暦19年、親王は崇道天皇と追号され、塚本の地(京都市東山区本町十六丁目)に祀られた。
天長3年、伊豫親王、井上内親王の二柱を合祀し、官幣の儀式が行われた。塚本の宮は、たびたびの火災により小天王の地(深草西出町)へ移り、応仁の乱で焼失したため三柱は藤森に遷され、西殿に祀られた。
毎年5月5日に行われる藤森祭は菖蒲の節句発祥の祭と言われ、各家々に飾られる武者人形には藤森の神が宿るとされている。菖蒲は尚武に通じ、尚武は勝負に通じるので、勝運を呼ぶ神として信仰を集めている。
日本書紀の編者であり、日本最初の学者である舎人親王を御祭神としてお祀りしていることから、学問の神として信仰されている。
藤森祭に奉納される駈馬神事が馬の神事であることから馬の神として信仰され、馬主、騎手、競馬ファンの祭典が毎年行われて多くの人々の参拝がある。
名称 | 藤森神社 |
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読み方 | ふじのもりじんじゃ |
参拝時間 | 社務所:9:00~17:00 |
参拝にかかる時間 | 約15分 |
参拝料 | なし |
トイレ | あり |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | あり |
電話番号 | 075-641-1045 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ホームページ | http://www.fujinomorijinjya.or.jp/ |
おみくじ | あり |
お守り | あり |
絵馬 | あり |
SNS |
ご祭神 | 《本殿中央座》 素盞鳴命(すさのおのみこと) 別雷命(わけいかずちのみこと) 日本武尊(やまとたけるのみこと) 応神天皇 (おうじんてんのう) 仁徳天皇 (にんとくてんのう) 神功皇后 (じんぐうこうごう) 武内宿禰 (たけのうちのすくね) 《本殿東座》 舎人親王 (とねりしんのう) 天武天皇 (てんむてんのう) 《本殿西座》 早良親王 (さわらしんのう) 伊豫親王 (いよしんのう) 井上内親王(いがみないしんのう) |
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創建時代 | 神功皇后摂政三年(203年) |
創始者 | 神功皇后 |
本殿 | 切妻造 |
札所など | 京都十六社朱印めぐり
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ご由緒 | 京都洛南深草の里に、平安遷都以前より祀られている古社であり、古来、朝廷から武家、庶民にいたるまで崇敬厚く、歴史ある社である。歴史をさかのぼれば、近郊にあった三つの社が合祀され、現在の藤森神社となった。 ■本殿中央(中座)御祭神は素盞鳴命、別雷命、日本武尊、応神天皇、仁徳天皇、神功皇后、武内宿禰の七柱。
■本殿東殿(東座)御祭神は舎人親王、天武天皇の二柱。
■本殿西殿(西座)御祭神は早良親王、伊豫親王、井上内親王の三柱。
毎年5月5日に行われる藤森祭は菖蒲の節句発祥の祭と言われ、各家々に飾られる武者人形には藤森の神が宿るとされている。菖蒲は尚武に通じ、尚武は勝負に通じるので、勝運を呼ぶ神として信仰を集めている。
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体験 | 祈祷おみくじお祓いお宮参り絵馬七五三御朱印お守り祭りアニメなどサブカル武将・サムライ花の名所札所・七福神巡り伝説 |
概要 | 藤森神社(ふじのもりじんじゃ)は、京都市伏見区深草にある神社。旧社格は府社。伏見区の深草地区、東山区の本町・福稲地区の産土神である。 5月5日に行われる駈馬神事や、菖蒲の節句の発祥地として知られる。6月から7月にかけて紫陽花苑が公開され、3,500株にもおよぶ紫陽花が見もの。 |
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歴史 | 歴史[編集] 創建年代や祭神には諸説ある。社伝では、神功皇后摂政3年(203年)、三韓征伐から凱旋した神功皇后が、山城国深草の里の藤森に纛旗(とうき = いくさ旗)を立て、兵具を納め、塚を作り、祭祀を行ったのが当社の発祥であるとしている。当初の祭神は、本殿中央に祀られる7柱で、本殿の東には纛旗を立てたといわれる旗塚がある。 本殿は正徳2年(1712年)に中御門天皇より下賜された宮中賢所(内侍所)であり、現存する賢所としては最も古く、東殿・中央・西殿の三座から成る[1]。 本殿中央には、元からこの地に祀られていた三韓征伐にまつわる7柱を祭る。 東殿は、天平宝字3年(759年)に藤尾(京都市...Wikipediaで続きを読む |
アクセス | 交通[編集] JR奈良線JR藤森駅、もしくは京阪本線墨染駅から徒歩5分。 |
行事 | 神事[編集] 5月5日に「藤森祭」(別名「深草祭」)が行われる。武者人形を飾る菖蒲の節句の発祥の祭とされている。祭りの模様は『都名所図会』にも見られる[1]。この祭りは鎌倉時代末期の14世紀前半には行われていた記録がある由緒あるもので、当時から武者行列が有名であった[2]。 神幸祭(しんこうさい) - 「中座・宮本下ノ郷」「東座・深草郷」「西座・東福寺上ノ郷」の3基の神輿が氏子地区を渡る 武者行列 - 「朝渡(あさわたり、早良親王の軍装)」「皇馬(こんま、清和天皇の軍装)」「七福神」「払殿(ほって、神功皇后)」の4種の行列が、3基の神輿とともに氏子地区を巡る。 駆馬神事(かけうましんじ...Wikipediaで続きを読む |
引用元情報 | 「藤森神社」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E8%97%A4%E6%A3%AE%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=94553611 |
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