ふしみいなりたいしゃ
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楽しみ方伏見稲荷大社のお参りの記録一覧(12ページ目)

京都旅行3日目7箇所目
東福寺から歩いてへ。
参道で何か食べてから・・・と思ったのですが、これというのを見つけられず、とりあえずお参りし、御朱印をいただきました。
そのまま奥へ進もうと思ったら、啼鳥庵という休憩所に稲荷茶寮というカフェがあるのをみつけたので、そこで冷たい抹茶そばをいただき、しばし休憩し、復活。
あらためて千本稲荷へ。
奥宮でこちらの御朱印もいただき、もう少し進んで戻ってきました。
このまま帰ろうかと思いましたが、先ほどのカフェのパフェが気になってたので、これはもう食べるしかないと思い、再度茶寮へ。伏見稲荷!という感じのパフェを堪能いたしました。なんか食べものレポになってしまい、申し訳ありません^^;












































前泊して早朝のお参りをしました。観光客であふれる前の静寂がとても清々しく、稲荷さまを近くに感じました。

おはようございます

前に誰もいなくて、私を迎えてくれているようでした

山のあちこちに

ちょっと寄り道

京都神社巡り2日目② 全国数万社といわれる稲荷神社の総本社、今回の京都神社巡りの目的の目玉でしたが、前日の酷暑と疲労。応援しているサッカーチームの惨敗による精神的ダメージに加え朝からの雨。冷静な判断が出来ないままの参拝でしたので見落としなどが多く、悔やまれる参拝でした。体調万全で、天気の良い日に又参拝したい神社です。但し、人が多いのは嫌なのですが・・・授与所で書置きの御朱印を戴きました。

裏参道の社号標
京阪伏見稲荷駅から来たので裏参道に出ました。荷物は駅のコインロッカーに預けて身軽になっての参拝

裏参道一番鳥居

鳥居

参道 昨日9時頃で随分と人がいたようなので朝8時に来ました。日曜日ですが、雨模様なので、あまり人がいません。参道沿いのお店もまだ開いていません

裏参道二番鳥居

社号標

灯籠

灯籠

やたらと羽倉攝津守の名前が刻まれた灯籠が目につきました
この人物は荷田春満の弟で国学者

裏参道三番鳥居


表参道二番鳥居
裏参道から来たので一番鳥居を見損ねてしまいました

楼門(随神門)(重要文化財) 天正17年(1589)に豊臣秀吉によって再建

楼門(随神門)扁額

楼門 背面より 南北の回廊は重要文化財 、元禄7年(1694)建立

随神様


鍵を咥えた眷属の狐

宝珠を咥えた眷属の狐

手水舎

外拝殿(舞殿)(重要文化財) 天保11年(1840)再建

こちらでもお賽銭を入れてお参りできますが、せっかくですから内拝殿へ

外拝殿背面

内拝殿
応仁の乱により昭七荒廃した伏見稲荷大社は秀吉の楼門寄進を始め下社の発展が目覚ましく賑やかになり、人気も全国規模になりました。そのおかげか、今はちょっと参拝するだけなら気軽に来られるようななりました。
半面、山中、山上は荒廃していくことのなった(納得!わわわざ上に登らなくても観光参拝なら十分ですものね)

内拝殿横から

本殿(重要文化財) 明応3年(1494)再建


伏見稲荷大社説明文

稲穂を咥えた眷属の狐

何も加えていませんが、尻尾に宝珠があります

権殿(重要文化財) 寛永十二年(1635)建立

平安時代に来た気分

お山全体の遥拝所?説明書きはありませんでした

巻物を咥えた眷属の狐

宝珠を咥えた眷属の狐

社務所

三番鳥居

少し石段を上ります

境内社 長者社(重要文化財) 上末社の一つ。明応八年(1499)以前の創建、伏見稲荷大社の創建者、秦氏の祖先を祀る

境内社 荷田社(重要文化財) 上末社の一つ。安元二年(1176)創建、元禄七年(1694)再建、伏見稲荷大社の社家、荷田氏の祖先を祀る

五社相殿(ごしゃあいどの)(重要文化財) 上末社の一つ。元禄七年(1694)建造(八幡宮社・日吉社・若王子社・猛尾社・蛭子社)

境内社 両宮社(重要文化財) 上末社の一つ。元禄七年(1694)建造、天正十七年(1589)以前には創建されていたようです

境内社 玉山稲荷社 明治八年(1875)造営、江戸時代中期、東山天皇が宮中にひし美以内大社を勧請、修学院村玉山に遷座。天皇崩御後、松尾月読神社社家・松室重興氏邸内に遷座。明治になり伏見稲荷大社に戻ってきたものです。


供物所 安政六年(1859)建立。稲荷山に坐す神々への供物をする所


神馬舎 文久二年(1862)建立

四番鳥居

更に少し石段を上ります

神馬舎 こちらは新しく昭和十三年(1938)建立

厳重に囲われている石造りの眷属の狐


境内社 白狐社(重要文化財)寛永年間の建造、唯一眷属の狐を祀る

奥宮(重要文化財) 創建は不明ですが、現在の社殿は天正年間の建造、元禄七年(1694)修復

境内社 大八嶋社 お山から下りてきて裏参道入り口付近に鎮座しています。こちらは社殿がありません。玉垣で囲われた山林そのものがご神体


京都市伏見区にある神社です。
伏見稲荷大社を巡るのって こんなに大変だなんて。。。
行ってみるまで知りませんでした。
千本鳥居が見たくて行ったのですが、正直登山ですよね。
四つ辻まではわくわくしていたのですが、楽しい気分はここまで。
看板を見て「まだ半分も行ってないやん。」と大きな独り言を言ってしまい、周りの方達に笑われてしまいました。
写真を撮っても、どこがどこか分からなくなってしまうしだい。
おまけに時間が遅かったこともあり、御朱印は本殿でしか頂けずじまい。
今度は1日かけてゆっくり巡ろうと心に決めたのでした。

山門?は工事中でした






圧巻の千本鳥居ですね


確か 三ノ峰



確か 間ノ峰

おそらく 二ノ峰

一ノ峰では 汗だくに

春繋社?

御剱社?

薬力の滝


奥村大神

御膳谷奉拝所


かっこいい

眼力社

大杉社

伏見豊川稲荷本宮

空を飛ぶ

荒木神社


末廣大神

中川家「礼二」の愛してやまない「京阪電車」に乗っていいぬみ稲荷にいく

デカ赤鳥居
くぐるときは一礼

攻略MAP

一礼いっぱい

ヤフー

・・・

心折れた

神様の集合住宅

そのニ

お疲れ様
一生分の鳥居見て、くぐった

御朱印
狐いない

日吉大社より降りたところから一旦バイパスに入り、大津市街方面へ1区間だけ「近江神宮方面」で降りて、「下鴨神社界隈」に出る、比叡山の南麓を山越えする道を行きました。
最初は上賀茂さまにお詣りして、南へ京都の街を攻めてゆくつもりでしたが、「伏見稲荷大社奥社は、授与所が閉まる時間が早い」という事を思い出し、お稲荷さまから、北へ攻めてゆくことにしました。
グーグルのナビはとんでもなく「ヘッポコ」です。細くて人通りの多い道をあっちこっちワタシを引きずり回します。
修学旅行の生徒が多いせいか、観光地という事なのか、境内から何から、とんでもなく蜜、いや誤変換、密でした。
お詣りと、御朱印を戴いたら、そこそこに奥社に登りました。

御朱印

京都盆地東山三十六峰最南端の霊峰稲荷山の西麓に鎮座する稲荷信仰の御本社で、稲荷山全体を神域とする。全国に約3万社あるといわれる稲荷神社の総本社である。
初め農耕の神として祀られ、のちに殖産興業の性格が加わって衆庶の篤い信仰を受けた。神が稲荷山に降り立ったという縁起から、2月の初午の日は古来より多くの参拝者で賑わう。
平安時代、東寺の造営にあたって鎮守神となるや、真言密教と結び付いてその信仰を拡大、次第に神位を高めて『延喜式』名神大社に列し、天慶5年(942)に正一位の極位を得た。
この間、延喜8年(908)に左大臣藤原時平が三箇社を修営、その後源頼朝や足利義教らが社殿の造営、修造に関わったが、応仁の乱にてすべて焼亡。乱後、社僧による勧進の下で再建が始まり、明応8年(1499)に至って遷宮を迎えた。
明治政府の神仏分離令によって、本願所のほか境内の仏堂がすべて廃寺となる一方、崇敬者による鳥居の奉納や私的な「お塚」の建立が稲荷山中で顕著化し、現在の伏見稲荷大社を特徴づけるものとなった。


















































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