えのしまじんじゃ
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江島神社の御朱印・御朱印帳
限定御朱印
真ん中に江島神社と書かれ、真ん中に社紋と社印が押されて御朱印です。
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| 限定 | |||
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| 御朱印帳にお書き入れ | |||
| 素材・技法 | |||
| 動物 | |||
| 御朱印の頒布場所 | ①辺津宮の八坂神社正面の御朱印所
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| 御朱印帳 | 寺社オリジナル | ||
| 参拝時間 | 8:30〜17:00 | ||
| 電話番号 | 0466-22-4020 | ||
御朱印・御朱印帳の詳細情報
御朱印(11種類)
江島神社では、「江島神社三宮総称」、「日本三大弁財天」、「辺津宮」、「中津宮」、「奥津宮」、「江島大明神」、「龍宮」、「八方睨みの亀」、「八臂弁財天」、「蘇民将来」、「弁財天」の11種類の御朱印をいただけます。
江島神社三宮総称御朱印

江の島にある三宮(辺津宮、中津宮、奥津宮)を総称して江島神社と呼びます。
日本三大弁財天の御朱印

江島神社の御祭神は、奥津宮の多紀理比賣命(たぎりひめのみこと)、中津宮の市寸島比賣命(いちきしまひめのみこと)、辺津宮の田寸津比賣命(たぎつひめのみこと)の三姉妹の女神で、現在は江島弁財天として信仰されています。
世にいわれる「日本三大弁財天」とは、安芸の宮島、近江の竹生島、江の島の弁財天のことを言います。
辺津宮の御朱印

辺津宮(へつみや)では田寸津比賣命(たぎつひめのみこと)が祀られ、江の島(神域内)で一番下に位置していることから下之宮とも呼ばれています。
「たぎつ」には水が激しく動くという意味があり、田寸津比賣命は海流の女神だったという説があります。
中津宮の御朱印

中津宮では市寸島比賣命(いちきしまひめのみこと)が祀られています。
市寸島比賣命は三姉妹の中でも最も美人と言われており、神仏習合により仏教の弁財天と同一視され、通称「弁天様」と呼ばれて広く信仰されています。
奥津宮の御朱印

奥津宮では多紀理比賣命(たぎりひめのみこと)が祀られています。
多紀理比賣命は三姉妹の一番上の姉神で、安らかに海を守る神様といわれています。
江島大明神の御朱印

江島大明神の文字は、後宇多天皇の御筆で江島神社の入口の鳥居に掲げられている扁額から写されたものです。
龍神様の御朱印

江島神社の奥津宮の隣にある龍宮(わだつのみや)には、龍宮大神(龍神)が祀られています。
八方睨みの亀の御朱印

奥津宮拝殿天井に描かれている「八方睨みの亀」は、江戸の絵師・酒井抱一によって描かれた後、1994年に片岡華陽が復元したもので、どこから見てもこちらを睨んでいるように見えます。
八臂弁財天の御朱印

八臂(はっぴ)弁財天は、鎌倉時代初期の作で、辺津宮隣の奉安殿に安置されています。
江戸時代には、勝運守護の神様として武家から庶民にいたるまで広く信仰を集めていました。
蘇民将来の御朱印

江島神社境内末社の八坂神社は、江戸時代まで天王社と呼ばれていましたが、明治6年(1873年)に八坂神社と改称されました。
蘇民将来(そみんしょうらい)とは、古くは備後国風土記に登場する人物の名前で、また、子孫長久は、速須佐雄能神(はやすさのおのかみ)が災難除けの方法を教えたことで蘇民将来一族が安全に暮らせたという物語にちなんだものです。
弁財天の御朱印 鎌倉江の島七福神

1982年に始まった鎌倉江の島七福神めぐりは、古都鎌倉の自然と歴史に触れながら由緒ある社寺を巡り、七福神に参拝して厄除け開運招福を祈願します。
鎌倉江の島七福神の霊場をすべて巡り終えると結願の印を押していただけます。
御朱印帳(4種類)
江島神社では、5種類の御朱印帳が頒布されています。
そのなかからホトカミに投稿された4種類を紹介します。
龍神の御朱印帳

江島神社の奥津宮の隣にある龍宮(わだつのみや)には、龍宮大神(龍神)が祀られています。
波と富士山の御朱印帳

湘南、江の島から富士山を望む絶景は、葛飾北斎や歌川広重などの浮世絵にも描かれています。
天女(弁財天)の御朱印帳

平安時代の絵巻物「江島縁起」によると、552年に大地震が発生し海底より塊砂が噴出して21日間で江の島が誕生したとされ、その様子を「天女が十五童子を従えて現れ、江の島を造った」と表現しています。
瑞心門の御朱印帳

瑞心門とは、竜宮城を模して造られた御神門で、清々しい心で参拝していただけるようにとの願いを込めて命名されました。
授与場所・時間
御朱印・御朱印帳ともに、辺津宮の御朱印所でお受けできます。
御朱印の受付時間は9時~17時。
詳しくは公式サイトをご確認ください。
最新の御朱印・御朱印帳の投稿


神奈川県 藤沢市 江の島に鎮座する、江島神社(えのしまじんじゃ)当方は 道の駅 全国制覇者で、全国の寺社、霊場を巡礼してます、2024に鎌倉江ノ島七福神にて参拝致しました、辺津宮 中津宮 奥津宮と構成されてる神社、境内に鎮座する弁財天は日本三大弁天の一つに数えられ、景色も素晴らしい場所に在る神社、観光としても訪れる参拝者で絶えません、どの様な神社か引用を用いて調べて見ました、江戸時代までは弁財天を祀っており、江島弁天・江島明神と呼ばれた。
現在の祭神は明治の神仏分離の際に改められたもので、主祭神は 宗像三女神、北方の 辺津宮(へつみや)に田寸津比賣命、中央の 中津宮(なかつみや)に市寸島比賣命、島の西方の 奥津宮(おくつみや)に多紀理比賣命をそれぞれ祀り、江島大神 と称する、社格等は 旧県社・別表神社、創建は(伝)欽明天皇13年(552年)鎌倉江の島七福神(弁財天)社伝によれば、欽明天皇13年(552年?)、神宣に基づき欽明天皇の勅命により、江の島の南の洞窟に宮を建てたのに始まると伝える。神仏習合により当社は金亀山 与願寺と称する寺となった。『吾妻鏡』によれば、寿永元年(1182年)源頼朝の命により文覚が島の岩屋に弁財天を勧請したとあり、これをもって創建とすることもある。歴代の鎌倉幕府将軍・執権や、代々の領主から崇敬を受けた。江戸時代には弁才天信仰が盛んになり、多くの庶民が参詣するようになった、当社には岩本坊・上ノ坊・下ノ坊の3つの別当があり、それぞれ岩屋本宮(現在の奥津宮)・上之宮(現在の中津宮)・下之宮(現在の辺津宮)を管理していた。その中で岩本坊は総別当とされ、江島寺とも称した。慶安2年(1649年)に京都・仁和寺の末寺となってからは、岩本坊のみ院号の使用が認められて「岩本院」と称するようになった。三坊は競って当社の縁起を説いて回り、参詣者を集めた。そのうちに利権争いが起こり、寛永17年(1640年)、岩本院は幕府からの朱印状を得て上ノ坊を吸収した。後に下ノ坊も支配するようになり、岩本院が全島の権益を握ることとなった。
明治元年(1868年)の廃仏毀釈により三重塔の他多くの仏教施設や仏像などが破壊された。明治6年(1872年)には、仏式を廃して神社となり「江島神社」へ改称、県社に列せられた。同時に僧侶は全員僧籍を離れて神職となり、岩本院は参詣者の宿泊施設としても利用されていたことから、旅館となり「岩本楼」へ改称した
江島神社の御朱印・御朱印帳コレクション全1551枚
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