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まんぷくじ|真言宗大覚寺派龍護山 < 龍護山 医王院 満福寺 >

満福寺
神奈川県 腰越駅

御朱印について
御朱印
あり
限定
-
御朱印帳
-
パーキング
駐車場
あり

あり。

その他の巡礼の情報

新四国東国八十八箇所84番

おすすめの投稿

オモナ
2023年03月02日(木)
558投稿

満福寺の御朱印

満福寺_薬師如来

満福寺の御朱印

満福寺_弘法大師

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こばけん
2021年09月28日(火)
915投稿

 21.09.25。先の江島神社より徒歩約30分。鎌倉市腰越にある真言宗大覚寺派の寺院。

山号 龍護山 

院号 医王院 

創建 天平16年(744年)

開山 行基

本尊 薬師如来

札所 弘法大師相模二十一ヶ所霊場 第十五番
   新四国東国八十八ヶ所霊場 第八十四番

 元暦2年(1185年)、源義経が兄頼朝に怒りを買い、鎌倉入りを許されず腰越の地に留められた際に、頼朝に訴える「腰越状」を書いた寺として知られている。

 鎌倉でも古いお寺さんで有名である。小ぶりながら境内には見所もあり楽しく参詣出来ました。お彼岸中で墓参者も多く来られていたようです。

満福寺の御朱印

ご本尊

満福寺の御朱印

弘法大師相模二十一ヶ所霊場第15番

満福寺の建物その他

寺号標

満福寺の建物その他

山門遠景
手前は江ノ電の踏切です。

満福寺の山門

山門

満福寺の建物その他
満福寺の本殿

本堂

満福寺の本殿
満福寺(神奈川県)

慈悲観音

満福寺の手水

手水鉢

満福寺(神奈川県)

義経と弁慶

満福寺(神奈川県)
満福寺の地蔵

ぼけ封じ地蔵と笛供養碑

満福寺の建物その他
満福寺の建物その他

源義経公慰霊碑

満福寺(神奈川県)
満福寺の地蔵

水子地蔵

満福寺の建物その他
満福寺の建物その他

弘法大師碑

満福寺の像

弘法大師さま

満福寺の建物その他

鐘楼

満福寺の建物その他

梵鐘

満福寺の地蔵

鐘楼裏手に!

満福寺の仏像

山門付近に

満福寺の建物その他
満福寺(神奈川県)
満福寺(神奈川県)

義経宿陣之跡碑

満福寺の像

二宮金次郎像

満福寺の建物その他

墓地入り口
右手に「稲荷社」と「硯の井」、UP写真撮り漏れました。

満福寺の建物その他

寺務所
直書きの御朱印を拝受しました。

満福寺の周辺

山門から江ノ電を望む。

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歴史

奈良時代、関東に悪い病気が流行していたとき、
聖武天皇にこの病気を排除するよう命ぜられた行基が、鎌倉へきて、
前に広がった海原と後ろの山並みがとても美しいこの場所で祈りをささげると
不思議に病気がおさまったといわれ、
功徳をたたえてここに寺を建てることにしたといわれる。
.
また、1185年(元暦2)に平家を滅ぼし凱旋した源義経は、頼朝の命令にそむいたとの理由で鎌倉入りを拒まれ、
頼朝の怒りを解くことに努めたが許されず、逆に追われる身となったといわれる。

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9
名称満福寺
読み方まんぷくじ
参拝時間

9:00〜17:00

参拝料

境内:無料(志納) / 本堂展示室拝観料:大人200円、中学生100円、小学生以下無料

御朱印あり

限定御朱印なし
電話番号0467-31-3612
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
ホームページhttp://www.manpuku-ji.net

詳細情報

ご本尊薬師如来
山号龍護山 < 龍護山 医王院 満福寺 >
院号 医王院
宗旨・宗派真言宗大覚寺派
創建時代天平16年(744年)
開山・開基開山:行基
文化財

腰越状の下書き

ご由緒

奈良時代、関東に悪い病気が流行していたとき、
聖武天皇にこの病気を排除するよう命ぜられた行基が、鎌倉へきて、
前に広がった海原と後ろの山並みがとても美しいこの場所で祈りをささげると
不思議に病気がおさまったといわれ、
功徳をたたえてここに寺を建てることにしたといわれる。
.
また、1185年(元暦2)に平家を滅ぼし凱旋した源義経は、頼朝の命令にそむいたとの理由で鎌倉入りを拒まれ、
頼朝の怒りを解くことに努めたが許されず、逆に追われる身となったといわれる。

体験御朱印お守り武将・サムライ有名人のお墓札所・七福神巡り伝説

Wikipediaからの引用

概要
満福寺(まんぷくじ)は、神奈川県鎌倉市腰越にある真言宗大覚寺派の寺院。江ノ島電鉄の腰越駅を降りて海岸側に約250メートル行き、踏切を渡った所にある。
歴史
歴史[編集] 天平16年(744年)に行基が開山したとされている。 元暦2年(1185年)5月、源義経が兄頼朝に怒りを買い、鎌倉入りを許されず腰越の地に留められた際に、頼朝に心情を訴える腰越状を書いた寺として知られる[1]。寺には弁慶が書いた腰越状の下書きとされる書状が展示されており、境内には弁慶の腰掛け石や手玉石など、義経・弁慶ゆかりの品々が多数展示されている。 ^ 新編鎌倉志 1915, p. 112.
引用元情報満福寺 (鎌倉市)」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E6%BA%80%E7%A6%8F%E5%AF%BA%20%28%E9%8E%8C%E5%80%89%E5%B8%82%29&oldid=95731123

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