こだまじんじゃ
児玉神社
神奈川県 片瀬江ノ島駅
10:00〜16:00
週末、神奈川県の江ノ島、鎌倉へ梅を見に出掛けました。
江の島にある児玉神社は、日露戦争で満州軍総参謀長を務めた児玉源太郎を祀っています。前回お参りしたのは6年前でしたが、神楽殿が取り払われ、随分と境内の風景が変わっていました。
目を引いたのは、日露戦争で使われた28センチりゅう弾砲の砲弾です。日露戦争では、ロシア艦隊の拠点だった中国東北部・旅順を巡って激戦がありました。日本軍は東京湾防衛のために要塞に据え付けていた28センチりゅう弾砲を解体して現地に運び、旅順砲撃に使用しました。しかし照準が定まらず効果が上がりません。砲撃の観測点として注目が高まったのが二〇三高地でした。旅順攻撃の第三軍司令官は、児玉源太郎と同じ長州出身の乃木希典。二〇三高地を落とせない乃木に児玉は業を煮やし、現地入りして乃木の指揮権を事実上、はく奪する形で自ら指揮を執って二〇三高地を占領し、旅順を陥落させたとされます。
日露戦後、児玉は精根を使い果たしかのように急死。乃木は学習院長を務め、明治天皇に殉じて自死します。乃木もまた神として乃木神社に祀られています。
砲弾の台座にはめ込まれたプレートには縷々、宮司の解説がありましたが、乃木の名前は一切触れられていませんでした。
プレート
児玉神社は江の島に鎮座する神社です。御祭神児玉源太郎命(1852〜1906)は、明治陸軍ならびに政府の中枢として縦横の働きをされた偉人です。卓越した軍略の才と政治手腕をもって知られ、陸軍大臣・陸軍大学校長・文部大臣・内務大臣・台湾総督等、国家の要職を歴任。また教育文化の面でも成城学校第七代校長を務める他、郷里徳山に私費で図書館(児玉文庫)を設立なさる等、前途有為な青少年の育成に尽力されました。
明治37~38年(1904~1905)、圧倒的武力で日本を占有しようとする帝政ロシアに対し、日本の国民が一丸となって戦ったのが日露戦争です。列強が世界中を植民地化していた時代に、我が国だけが最強国のロシアに勝ち、尊厳ある独立を守り抜いたのです。日本の勝利に東アジアの諸民族は歓喜し独立の気運に沸き立ちました。
この戦争の勝敗を決したのが旅順攻略です。旅順は極東侵攻を見据えた露の軍事的要衝で、鍵となる二百三高地占領に日本は苦戦を強いられました。その時 御祭神が司令部から直接戦場へ赴いて指揮を執り、巨大な二十八センチ榴弾砲を用いて猛攻をかけ、二百三高地を確保、旅順港停泊中のロシア艦隊をも全滅させました。
手水舎
拝殿
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