だいぎょうじ|日蓮宗系の単立寺院。特定の檀家を持たず、安産祈願を行う寺。|長慶山
大巧寺神奈川県 鎌倉駅
午前9時~午後5時 (安産腹帯守授与 受付時間)
御朱印 | |||
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限定 | - | ||
御朱印帳 | - | ||
駐車場 | 小町大路側 ’ 正門 ’ 手前に駐車場あり。 12台。(解錠時間:午前9時~午後5時) |
(若宮大路側の赤い門を当寺院の公式Webサイトでも山門と称すようになりましたが、
嘗ての古は若宮大路側へ門を建てるのは不可だったそうで当寺院の石造門柱も
例えば「本覚寺」・「妙隆寺」の山門も小町大路側を向いています。)
編集中
長慶山正覚院大巧寺。
宗派ー日蓮宗単立。
本尊ー産女霊神(おんめさま)。
もともとは大行寺の名の真言宗の寺院で、十二所の梶原景時の屋敷内にあった源頼朝の祈願所であった。その寺で軍議が行われたところ、大勝利を収めたことから、源頼朝の命で「大巧寺」の名が与えられた。
御題目塔。参道
本堂
山門(裏門)
御縁
ムラサキシキブ
正式名:長慶山正覚院大巧寺
通称:おんめさま
神奈川県鎌倉市小町にある日蓮宗系の単立寺院。特定の檀家を持たず、安産祈願を行う寺として知られる。旧本山は、比企谷妙本寺。
大巧寺はもともと大行寺と称する真言宗の寺院で、当初は十二所の梶原景時の屋敷内にあった。創建年や開山などは不明だが、源頼朝の祈願所とされた事から、鎌倉時代初期頃までには創建されていたと推測される。
この寺で頼朝が軍議を行った結果、大勝利を収めたため、頼朝の命により「大巧寺」という名称に改名した。
文永11年(1274)、日澄により日蓮宗に改宗、これに基づき現在では開山を日澄としている。
元応2年(1320)2月に現在地へ移転した。
天文元年(1532)、五世住職の日棟が難産で死んだ女の霊を成仏させるという伝承が生まれ、この伝承が広まって以降、安産祈願に験のある寺として知られるようにる。
慶応2年(1866)10月15日、本堂・庫裏が火災により焼失し、明治3年(1870)に再建されるものの、大正12年(1923)の関東大震災で倒壊。本堂は昭和6年(1931)、庫裏は昭和7年に再度再建された。そして昭和26年(1951)2月16日に単立寺院となり現在に至る。
23.05.18。先の寿福寺より徒歩13分。鎌倉駅近くの市内小町1丁目にある日蓮宗系の単立寺院。
山号 長慶山
院号 正覺院
寺号 大巧寺(だいぎょうじ)
創建 不詳(天文元年・1532年とも)
本尊 産女霊神(うぶめれいしん)
【由緒】〜当寺HPの原文のママ〜
『往古ハ鎌倉十ニ所梶原屋敷内ニ在リ長慶山正覺院大行寺ト称シ真言宗ナリ、嘗テ源頼朝当寺ニテ、軍ノ評定セシニ、其ノ合戦勝利ヲ得タレハ大巧寺ト改メタリ其ノ後元慶ニ年ニ月現地ニ移転 住僧某日蓮ニ帰依改宗シ妙本寺ノ院家ニ属ス天文元年四月当町大倉ノ住人秋山勘解由ノ室難産獄苦ニ沈メルヲ当寺日棟教化得脱セシメ産女ノ塔(うぶめの塔)ヲ建テ安産守護ノ霊神トシテ祠ル、開山ヲ日澄(中老)トシ天正十九年十一月徳川家ヨリ御朱印地七貫ニ百文ヲ賜フ』
過去何回か参詣するも、書き手の御住職は外出が多く御朱印拝受が叶いませんでした。本日も不在でしたが、書き置きでやっと拝受できました。
参道の植栽に癒されるお寺さんですね!
鎌倉駅東口より3分の入り口
(裏参道側)
寺号標
山門
参道
山あじさい
いわふじ
蓮
ユーホルビア
ドクダミ
表側の門柱
水屋
水は細く出ています。
本堂
↓
寺務所・庫裡
こちらで寺務のご婦人より書き置きの御朱印を拝受しました
< 大巧寺さま公式Webサイトからの引用 _ http://onmesama.ec-net.jp/history.html >
往古ハ鎌倉十二所梶原屋敷内ニ在リ長慶山正覚院大行寺ト称シ真言宗ナリ、
嘗テ源頼朝当寺ニ於テ、軍ノ評定セシニ、其ノ合戦勝利ヲ得タレハ大巧寺ト改メタリ
其ノ後元應二年二月現地ニ移転 住僧某日蓮ニ帰依改宗シ妙本寺ノ院家ニ属ス
天文元年四月当町大倉ノ住人秋山勘解由ノ室難産ニ死シ獄苦ニ沈メルヲ当寺日棟
教化得脱セシメ産女ノ塔(うぶめの塔)ヲ建テ安産守護ノ霊神トシテ祠ル、
開山ヲ日澄(中老)トシ天正十九年十一月徳川家ヨリ御朱印地七貫二百文ヲ賜フ
名称 | 大巧寺 |
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読み方 | だいぎょうじ |
通称 | おんめさま |
参拝時間 | 午前9時~午後5時 (安産腹帯守授与 受付時間) |
参拝にかかる時間 | 15分 |
参拝料 | なし |
トイレ | なし(ヒント:近隣の「本覚寺」さま参拝と併せてトイレ借用可能です。’ 若宮大路 ’ 沿いと’ 小町大路 ’ 沿いではトイレ探しが困難です)) |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
電話番号 | 0467-22-0639 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ホームページ | http://onmesama.ec-net.jp |
ご本尊 | 産女霊神象 |
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山号 | 長慶山 |
院号 | 正覚院 |
宗旨・宗派 | 日蓮宗系の単立寺院。特定の檀家を持たず、安産祈願を行う寺。 |
創建時代 | (参考として:創建は不明だが、源頼朝の祈願所とされた事から 鎌倉時代初期頃までには創建されていたと推測される。文永11年<1274年>、日澄により日蓮宗に改宗した。) |
開山・開基 | 開山:日澄により日蓮宗に改宗したことに基づき、現在では開山を日澄としている。 |
文化財 | ・ 曼荼羅2幅 :うち1幅は日蓮の筆によるものとされ、2幅とも妙本寺の霊宝殿に保管されている。
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ご由緒 | < 大巧寺さま公式Webサイトからの引用 _ http://onmesama.ec-net.jp/history.html > 往古ハ鎌倉十二所梶原屋敷内ニ在リ長慶山正覚院大行寺ト称シ真言宗ナリ、
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体験 | 御朱印お守り重要文化財花の名所伝説 |
概要 | 大巧寺(だいぎょうじ)は、神奈川県鎌倉市小町にある日蓮宗系の単立寺院。特定の檀家を持たず、安産祈願を行う寺として知られる。旧本山は、比企谷妙本寺。 |
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歴史 | 歴史[編集] 大巧寺はもともと大行寺と称する真言宗の寺院で、当初は十二所の梶原景時の屋敷内にあった[1]。創建年や開山などは不明だが、源頼朝の祈願所とされた事から、鎌倉時代初期頃までには創建されていたと推測される。この寺で頼朝が軍議を行った結果、大勝利を収めたため、頼朝の命により「大巧寺」という名称に改名した。文永11年(1274年)、日澄により日蓮宗に改宗する。[2]これに基づき現在では開山を日澄としている。元応2年(1320年)、2月に現在地へ移転した。[3] 天文元年(1532年)、五世住職の日棟が難産で死んだ女の霊を成仏させるという伝承が生まれる。[4]この伝承が広まって以降、...Wikipediaで続きを読む |
引用元情報 | 「大巧寺」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%A4%A7%E5%B7%A7%E5%AF%BA&oldid=97975244 |
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