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教恩寺ではいただけません
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きょうおんじ|時宗中座山(中座山大聖院教恩寺 ちゅうざさんたいしょういんきょうおんじ)

教恩寺
神奈川県 鎌倉駅

御朱印は9:00〜16:00

御朱印について
御朱印
あり
限定
-
御朱印帳
-
パーキング
駐車場
なし

なし

巡礼

その他の巡礼の情報

鎌倉三十三観音第12番札所

教恩寺について

鎌倉三十三観音第12番札所
’ 大町四つ角 ’ 周辺住宅街路地の奥なので、県道からの遠目では かなり判りづらいかもしれません。
山門上部に施された十六羅漢彫刻は必見です。

近隣には 鎌倉最古の厄除神社とされる「八雲神社」と ’ ぼたもち寺 ’ が在り、
同日中の参拝巡りが可能です。

神奈川県のおすすめ3選🎏

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おすすめの投稿

こばけん
2023年04月30日(日)
989投稿

 23.04.25。先の別願寺さんより徒歩7分。鎌倉市大町1丁目のバス通り沿いの小路を入った所にある時宗の寺院。

山号 中座山

院号 大聖院

寺号 教恩寺

創建 不詳(戦国時代)

開基 北条氏康

開山 知阿

本尊 阿弥陀三尊

札所 鎌倉三十三観音霊場 第十二番

【歴史】〜Wikipedia より引用〜
 元々は光明寺の境内に位置しており、現在地には光明寺の末寺の「善昌寺」があった。その後、善昌寺が廃寺となったため、延宝6年(1678)に善昌寺跡地の現在地へ移転した。本尊となっている阿弥陀如来と両脇侍立像は鎌倉時代前期の作といわれている。一説には運慶作ともいわれている。

 源平合戦で捕虜となった平重衡が鎌倉に抑留された際、源頼朝は重衡に「一族の冥福を祈るように」と、この阿弥陀如来を拝ませという逸話も伝わっている。

 本日は先の別願寺・安養院さんに続き、鎌倉33観音巡礼として参拝。今回で23ヶ所目となりました。今年中には結願をしたいところです。
 

教恩寺(神奈川県)
教恩寺(神奈川県)

山門

教恩寺(神奈川県)

寺院解説ボード

教恩寺(神奈川県)

参道

教恩寺の建物その他

山門をくぐり左手に《鬼瓦》

教恩寺(神奈川県)

山門をくぐり右手に《ペット供養塔》

教恩寺の自然

参道左側のツツジ

教恩寺(神奈川県)

本堂

教恩寺(神奈川県)

山号額

教恩寺(神奈川県)
教恩寺(神奈川県)

本堂前より振り返り

教恩寺(神奈川県)

勝軍地蔵尊

教恩寺(神奈川県)
教恩寺(神奈川県)

庫裡前の小庭

教恩寺(神奈川県)
教恩寺の建物その他

庫裡方向
右手に御朱印窓口があり、直書きの御朱印を拝受しました。

教恩寺(神奈川県)
もっと読む
mitch
2023年04月28日(金)
2164投稿

23.04.21C  鎌倉「教恩寺」参拝、源平合戦捕虜の悲恋ものがたり跡。
              ツツジとフジが咲く頃。 _ 鎌倉市大町
< 解説ボードから文字起こし > 
中座山大聖院教恩寺
[宗旨] 時宗 (じしゅう)
一遍上人がお聞きになった宗派で、
阿弥陀仏のお経をお唱えする事を本分とします。
総本山は藤沢にある遊行寺です。
【本尊 阿弥陀三尊】 (神奈川県指定文化財)
阿陀如来立・観音菩薩・姿勢菩薩の立像で
源頼朝が平重衡に平家の菩提を弔うように与えられたと伝わる。
【山門】
正面にに十六羅漢、裏面に牡丹彫刻がしてあるのが見所である。
【開基・開山】
開基は北条氏康
  (1515~1571年 ・小田原北条の三代目当主、
      元亀2年10月21日没 法名大聖院殿東岱公大居士)で、
開山は知阿上人と伝わる。
その昔は、浄土宗大本山である材木座の光明寺内にあったが、
延宝6年(1678年) 上人の ※※上人の時に現在地に移されたと伝わっています。
<※印)文字起こし時、判読不能>
【平重衛とのゆかり】
平重衛は、平清盛の子(5男)で、その容姿を牡丹の花にえられ、
ユーモアのセンスもある優しく爽やかで、
しかも凛々しくしく武勇を誇る平家の副将軍だったといいます。
重衡は、源平ので平氏が敗れ撤退の際、梶原景時に捕らえられ、
鎌倉へ護送されたのですが、
源頼朝の尋問に対しても武将らしい堂々たる態度と、
優雅な物腰の立派な人柄は頼朝を驚嘆させ、
捕虜の身でありながら特別な待遇を受け、
頼朝の仕女である干手(千住手の前)を侍らし酒宴を許されたという。
この酒宴が縁で重衡と千手の二人は恋に落ち、
重衡が護送されるまでのつかの間、
癒やされた日を過ごす事が出来たといわれます。
やがて、重衡は奈良へ送され、
文治元年(1185年) 6月23日、木津川のほとりで 斬首処刑されたのですが、
その後の千手の足取りは定かではなく、悲しみのあまり床に伏したとも、
又出家したともいわれ、
消息 不明となってしまったと言われる優しい悲恋の逸話があり、
そのまま生涯を閉じたとも、又出したともいわれ、
その酒宴をされた場所が今の教恩寺と伝わっています。

教恩寺の景色

01-1) 時宗 「 中座山大聖院教恩寺 」   _ 鎌倉市大町
お約束?の山門前から、
境内参道を横切る桜の幹越しに本堂方向。
鎌倉観音巡礼 第12番札所(聖観世音)
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教恩寺の歴史

01-2) 教恩寺解説ボード
< 文字起こし > 中座山大聖院教恩寺
[宗旨] 時宗 (じしゅう)
一遍上人がお聞きになった宗派で、
阿弥陀仏のお経をお唱えする事を本分とします。
総本山は藤沢にある遊行寺です。
【本尊 阿弥陀三尊】 (神奈川県指定文化財)
阿陀如来立・観音菩薩・姿勢菩薩の立像で
源頼朝が平重衡に平家の菩提を弔うように与えられたと伝わる。
【山門】
正面にに十六羅漢、裏面に牡丹彫刻がしてあるのが見所である。
【開基・開山】
開基は北条氏康
  (1515~1571年 ・小田原北条の三代目当主、
      元亀2年10月21日没 法名大聖院殿東岱公大居士)で、
開山は知阿上人と伝わる。
その昔は、浄土宗大本山である材木座の光明寺内にあったが、
延宝6年(1678年) 上人の ※※上人の時に現在地に移されたと伝わっています。
<※印)文字起こし時、判読不能>
【平重衛とのゆかり】
平重衛は、平清盛の子(5男)で、その容姿を牡丹の花にえられ、
ユーモアのセンスもある優しく爽やかで、
しかも凛々しくしく武勇を誇る平家の副将軍だったといいます。
重衡は、源平ので平氏が敗れ撤退の際、梶原景時に捕らえられ、
鎌倉へ護送されたのですが、
源頼朝の尋問に対しても武将らしい堂々たる態度と、
優雅な物腰の立派な人柄は頼朝を驚嘆させ、
捕虜の身でありながら特別な待遇を受け、
頼朝の仕女である干手(千住手の前)を侍らし酒宴を許されたという。
この酒宴が縁で重衡と千手の二人は恋に落ち、
重衡が護送されるまでのつかの間、
癒やされた日を過ごす事が出来たといわれます。
やがて、重衡は奈良へ送され、
文治元年(1185年) 6月23日、木津川のほとりで 斬首処刑されたのですが、
その後の千手の足取りは定かではなく、悲しみのあまり床に伏したとも、
又出家したともいわれ、
消息 不明となってしまったと言われる優しい悲恋の逸話があり、
そのまま生涯を閉じたとも、又出したともいわれ、
その酒宴をされた場所が今の教恩寺と伝わっています。
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教恩寺の景色

02-1) 山門を潜った境内から、本堂方向。 本堂前で、拝礼 合掌。
入院中の友人が早期に退院できますよう祈念いたしました。
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教恩寺の景色

02-2) 立ち入り不可の、庫裡の前庭とを分かつ植栽。
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教恩寺の自然

02-3) 植栽の近景
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教恩寺の自然

03) 見える範囲で、庫裡の前庭左方。
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教恩寺の自然

04) 見える範囲で、庫裡の前庭右方。
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教恩寺の自然

05) もう散ってしまったかナ?とダメモトで観に来た墓地内の藤棚。
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教恩寺の自然

06) 期待以上にフジが咲いていた 
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教恩寺の自然

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教恩寺の自然

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教恩寺の自然

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教恩寺の自然

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23.04.21C #鎌倉 「 #教恩寺 」参拝、#源平合戦 捕虜の悲恋ものがたり跡。
#ツツジ と #フジ が咲く頃。_ 鎌倉市大町
https://mitch1.blog.ss-blog.jp/2023-04-26-4

/ #鎌倉観音巡礼札所 #2023ツツジ #2023藤 #藤 #鎌倉殿の13人 #平重衡 

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教恩寺の基本情報

住所神奈川県鎌倉市大町1-4-29
行き方

江ノ島電鉄線またはJR横須賀線「鎌倉駅」東口から ’ 大町四つ角 ’ を目指して、徒歩8分ほど。路地の奥なので、かなり判りづらいかもしれません。

アクセスを詳しく見る
名称教恩寺
読み方きょうおんじ
参拝時間

御朱印は9:00〜16:00

参拝にかかる時間

5分

参拝料

なし(志納)

トイレなし( ヒント: 「本覚寺」参拝と併せて、境内のトイレを借用可能です。)
御朱印あり

限定御朱印なし
電話番号0467-22-4457
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。

巡礼の詳細情報

鎌倉三十三観音霊場

第12番

御本尊:聖観音

御真言:

おん あろりきゃ そわか

御詠歌:

うえもなき 仏の法に あう身こそ 世々に尊き 恵みなりけり

詳細情報

ご本尊阿弥陀三尊
山号中座山(中座山大聖院教恩寺 ちゅうざさんたいしょういんきょうおんじ)
院号大聖院
宗旨・宗派時宗
創建時代不明< 参考:元々は材木座にある光明寺境内にあった寺院であったが、光明寺末寺の善晶寺が廃寺となり、年代に諸説あるが延宝6年(1678年)に跡地の現地に移されたそうです。>
開山・開基開山:知阿 / 開基:北条氏康
文化財

阿弥陀如来三尊(県指定文化財)

体験仏像御朱印重要文化財武将・サムライ札所・七福神巡り伝説

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