とうしょうじ あと|臨済宗|青龍山
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駐車場 | なし | ||
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御朱印 | - | ありません |
東勝寺跡について
1998年(平成10年)6月、「東勝寺跡」として国の史跡に指定されました。
発掘調査後に埋め戻され、現在は金網で囲まれた外から見られるのみ。
「東勝寺跡」と「北条高時腹切りやぐら」だけを目指して来られる方は少ないでしょうけれども、
’ 祇園山ハイキングコース ’ 入口/出口 の一つとして通過される方は多いと思います。
「宝戒寺」参拝の際に裏の ’ 宝戒寺橋 ’に寄って滑川(なめりがわ)の鯉を眺めたり、
近隣の ’ 東勝寺橋 ’ を渡って ここ「東勝寺跡」まで足を伸ばして歴史散策される方もおられるでしょう。
’ 東勝寺橋 ’ を渡って直ぐに右折して進むと、
トンネルを介して鎌倉市大町 ’ 名越(なごえ)地区 ’に抜けられて 「妙法寺」「安国論寺」「長勝寺」
(~鎌倉市材木座の寺社)を巡るコースを計画できると思います。
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鎌倉市小町にある史跡。
住宅街にひっそりとあるフェンスに囲まれたこの場所こそ執権北条氏と鎌倉幕府が終焉を迎えた場所です。
東勝寺は御成敗式目を制定した三代執権北条泰時によって創建された北条氏の氏寺。海と山に囲まれ守りが堅いと言われていた鎌倉でしたが新田義貞率いる官軍によって攻め込まれ東勝寺に籠った十四代執権北条高時とその一族郎党870余人が自刃しました。この様子は大河ドラマ「太平記」やアニメ化もされた「逃げ上手の若君」で描かれています。
現在は草と木が広がっているようにしか見えませんが発掘調査などで建物が焼け落ちた跡が見つかっています。
少し先にある北条高時腹切りやぐらは落石の危険があるため立ち入り禁止になっていました。
手を合わせてその場を後にしました。
説明板
東勝寺橋ひぐらし公園
東勝寺跡のある葛西ヶ谷
投稿550件目
鎌倉幕府第三代執権北条泰時の命で、退耕行勇(栄西の弟子)が開山。
元弘三年(1333)、新田義貞に攻められた第十四代執権北条高時が自刃した場所。
発掘調査後、史跡保存の為、再度埋め立てられた。
腹切りやぐら史跡。
落石の恐れがあるので立ち入り禁止。
ハイキングコース案内にある腹切りやぐらの写真。
歴史
1998年(平成10年)6月、「東勝寺跡」として国の史跡に指定された。
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<Wikipedia から抜粋引用>
かつて神奈川県鎌倉市葛西ケ谷にあった寺院で、
鎌倉幕府の執権として活躍した北条氏の菩提寺のひとつ。
関東十刹の一つであった。
執権となった北条泰時は鎌倉の鶴岡八幡宮境内の南東、
滑川をこえた葛西ケ谷の谷間に当寺を築き、北条一族の菩提寺とした。
この寺は、菩提寺であると同時に有事に備えた
城塞の意味をもった寺院であったと推測される。
1333年(元弘3年)、後醍醐天皇に呼応して鎌倉に攻め寄せた
新田義貞の軍勢を迎え撃つべく、北条高時ら北条氏一門が当寺に篭もったが
成すすべもなく自ら火を放って自刃した(東勝寺合戦)(北条高時腹切りやぐら)。
この時、建造物は焼失した。
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また北条高時一門が滅亡したのを悼み、
現在の藤沢市高倉に新たな東勝寺が建てられた(現在に至る)。
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< 引用終り: https://ja.wikipedia.org/wiki/東勝寺_(鎌倉市) >
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名称 | 東勝寺跡 |
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読み方 | とうしょうじ あと |
通称 | 腹切りやぐら / 腹切りやぐら の辺り |
参拝にかかる時間 | 10分 |
参拝料 | なし |
トイレ | なし |
御朱印 | なし |
詳細情報
山号 | 青龍山 |
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宗旨・宗派 | 臨済宗 |
創建時代 | 諸説あるが、主に 1225年(嘉禄元年)説 と 1237年説がある。 |
開山・開基 | 開山: 退耕行勇 / 開基: 北条泰時 |
文化財 | 国指定の史跡 |
ご由緒 | 1998年(平成10年)6月、「東勝寺跡」として国の史跡に指定された。
かつて神奈川県鎌倉市葛西ケ谷にあった寺院で、
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体験 | 重要文化財アニメなどサブカル武将・サムライ伝説 |
Wikipediaからの引用
概要 | 東勝寺(とうしょうじ)は、かつて神奈川県鎌倉市葛西ケ谷にあった寺院で、鎌倉幕府の執権として活躍した北条氏の菩提寺のひとつ。関東十刹の一つであった。 鎌倉幕府が滅亡した東勝寺合戦の場として知られる。 |
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歴史 | 沿革[編集] 開山は明菴栄西の弟子の退耕行勇、開基は北条泰時である。本朝高僧伝によると退耕行勇は、1241年(仁治2年)東勝寺で示寂している[1]。 1225年(嘉禄元年)、執権となった北条泰時は鎌倉の鶴岡八幡宮境内の南東、滑川をこえた葛西ケ谷の谷間に当寺を築き、北条一族の菩提寺とした。この寺は、菩提寺であると同時に有事に備えた城塞の意味をもった寺院であったと推測される。 元亨釈書によれば、桑田道海、約翁徳倹らがここに住しており、禅林僧伝によれば、1307年(徳治2年)南山士雲が住持している。この後、東明恵日、素安了堂、太清宗渭、普済善救らも住持している。 1323年(元亨3年)北条貞時...Wikipediaで続きを読む |
引用元情報 | 「東勝寺 (鎌倉市)」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E6%9D%B1%E5%8B%9D%E5%AF%BA%20%28%E9%8E%8C%E5%80%89%E5%B8%82%29&oldid=101118912 |
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