御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方
ホトカミを続けていくために、
あなたのサポートが必要です〈特典あり〉
四天王寺聖徳太子1400年限定御朱印大バナー2024年4月
甘縄神明神社(甘縄神明宮)ではいただけません
広告

あまなわしんめいじんじゃ(あまなわしんめいぐう)

甘縄神明神社(甘縄神明宮)
神奈川県 長谷駅

いつでも参拝可能です。

御朱印について
御朱印
あり
限定
-
御朱印帳
-
パーキング
駐車場
なし

なし

甘縄神明神社(甘縄神明宮)について

・ 鎌倉最古とされる神社です。
・ 管理元神社は、「大町 八雲神社」鎌倉市大町1-11-20 です。
・ 昭和7年に「甘縄神明神社」と改称されました。
  神奈川県神社庁Webサイトでは改称経緯が書かれていますが、
  神社庁でのタイトル表示は定着した通称 ” 甘縄神明宮 ” で
  流通している地図や紹介記事でも通称 ” 甘縄神明宮 ” が多いです。 

神奈川県のおすすめ3選🌸

広告

おすすめの投稿

mitch
2023年04月18日(火)
2156投稿

23.03.30H 鎌倉「甘縄神明神社(甘縄神明宮)」 桜が咲く頃 _ 鎌倉市長谷

甘縄神明神社(甘縄神明宮)の鳥居

すべての写真は過去ページのいずれかと重複しますが、私的な参拝年月日記録。
’ 桜が咲く頃 ’ と書いてはみたものの、境内の ’ 玉縄桜 ’ は既に散ってしまっていた・・・
・・・前回に長谷界隈を周った際に
「玉縄桜とソメイヨシノが同時に観られる頃合いに参拝しようゾ」と思ったが、遅かった。
01) 鎌倉最古の神社 ※「甘縄神明神社(甘縄神明宮)」 _ 鎌倉市長谷
和銅三年(710年) 染谷太郎太夫時忠(染谷時忠)創建
  山上に神明宮、麓に 神輿山円徳寺 を建立し後に寺号を甘縄院へ。
  ( cf. 染谷太郎太夫時忠邸跡 史跡碑
       https://mitch1.blog.ss-blog.jp/2018-05-29-1
源頼義公が当社に祈願して 八幡太郎義家を当地に生み、
  康平六年(1063)には当社を修復。
永保元年(1081)には八幡太郎義家公が当社を修復。
源頼朝公が崇敬し、文治三年(1186)十月 社殿を修理。
  頼朝公、政子、実朝公が参詣。
源頼朝側近 ” 安達盛長邸阯 ” 石碑あり(ただし、別の場所だったとの説あり)。
明治維新の神仏分離により、別当甘縄院は廃絶。
<※注:昭和7年に「甘縄神明神社」と改称された。
神奈川県神社庁Webサイトでは改称経緯が書かれているが、神社庁でのタイトル表示は
定着した通称 ” 甘縄神明宮 ” で流通している地図や紹介記事でも通称 ” 甘縄神明宮 ” が多い。
( cf. 念のため、向かって鳥居左方直近は 元川端康成邸_現在も個人宅なので立入り不可)
.
-------

甘縄神明神社(甘縄神明宮)の景色

02) 石碑、源頼朝側近 ” 安達盛長邸阯 ” (ただし、別の場所だったとの説あり)
.
---

甘縄神明神社(甘縄神明宮)の景色

03) 鳥居を潜って直ぐの、ソメイヨシノ近景。
.
---

甘縄神明神社(甘縄神明宮)の景色

04-1) 境内、参道階段。

甘縄神明神社(甘縄神明宮)の本殿

04-2) 拝殿
.
.
.
.
.
.
**********************************************
23.03.30H #鎌倉 「 #甘縄神明神社 ( #甘縄神明宮 )」 #桜 が咲く頃 _ #鎌倉市長谷 #2023桜 
https://mitch1.blog.ss-blog.jp/2023-03-31-3

もっと読む
投稿をもっと見る(39件)

歴史

< 神奈川県神社庁Webサイトからの引用 
 _ https://www.kanagawa-jinja.or.jp/search_dtl.php4?jid=396&cd=1205009 >
.
和銅三年(七一〇)八月行基の草創により
染谷太郎時忠が山上に神明宮、麓に神輿山円徳寺を建立、
後に寺号を甘縄院と名付けたことに始まるという。

また源頼義公が当社に祈願して八幡太郎義家を当地に生み、
康平六年(一〇六三)には当社を修復、
永保元年(一〇八一)には八幡太郎義家公が当社を修復したという。

「吾妻鏡」によれば、伊勢別宮として源頼朝公が崇敬し、
文治三年(一一八六)十月、社殿を修理し、四面に荒垣及び鳥居を建てている。
また建久五年(一一九四)までに頼朝公は三度、政子の方は二度、
実朝公は一度参詣している。

「相模風土記」には「神明宮、里俗甘縄明神と唱う」「別当臨済宗甘縄院」とある。

明治維新の神仏分離により、
別当甘縄院は廃絶し、神明宮は明治六年村社に列格された。
明治二十年五月、五社明神社を合祀し、明治四十年四月神饌幣帛料供進神社に指定された。

昭和七年社号を甘縄神明神社と改称した。
常には里人慣習で甘縄神明社宮と呼称している。

歴史をもっと見る|
11

甘縄神明神社(甘縄神明宮)の基本情報

住所神奈川県鎌倉市長谷1-12-1
行き方

・ (例えば、JR横須賀線「鎌倉駅」から)江ノ電にて「長谷駅」下車、徒歩約6分。
・ JR横須賀線「鎌倉駅」’ 西口 ’ から、徒歩15分ほど。(江ノ電待ち時間etc を考慮すれば、こちらを推奨。)

アクセスを詳しく見る
名称甘縄神明神社(甘縄神明宮)
読み方あまなわしんめいじんじゃ(あまなわしんめいぐう)
通称神明様
参拝時間

いつでも参拝可能です。

参拝にかかる時間

15分ほど

参拝料

なし

トイレなし(ヒント:長谷地区ではトイレに不自由するが、余裕があれば「長谷寺」の外トイレ借用が可能。)
御朱印あり

限定御朱印なし
電話番号0467-22-3347(ただし、管理元神社「大町 八雲神社」鎌倉市大町1-11-20 の電話番号)
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。

詳細情報

ご祭神主祭神:天照大御神
.
配祀神:倉稲魂命、 伊邪那美命、 武甕槌命、 菅原道真
創建時代和銅三年(710)
創始者伝、草創:行基、  創建:染谷太郎時忠
ご由緒

< 神奈川県神社庁Webサイトからの引用 
 _ https://www.kanagawa-jinja.or.jp/search_dtl.php4?jid=396&cd=1205009 >
.
和銅三年(七一〇)八月行基の草創により
染谷太郎時忠が山上に神明宮、麓に神輿山円徳寺を建立、
後に寺号を甘縄院と名付けたことに始まるという。

また源頼義公が当社に祈願して八幡太郎義家を当地に生み、
康平六年(一〇六三)には当社を修復、
永保元年(一〇八一)には八幡太郎義家公が当社を修復したという。

「吾妻鏡」によれば、伊勢別宮として源頼朝公が崇敬し、
文治三年(一一八六)十月、社殿を修理し、四面に荒垣及び鳥居を建てている。
また建久五年(一一九四)までに頼朝公は三度、政子の方は二度、
実朝公は一度参詣している。

「相模風土記」には「神明宮、里俗甘縄明神と唱う」「別当臨済宗甘縄院」とある。

明治維新の神仏分離により、
別当甘縄院は廃絶し、神明宮は明治六年村社に列格された。
明治二十年五月、五社明神社を合祀し、明治四十年四月神饌幣帛料供進神社に指定された。

昭和七年社号を甘縄神明神社と改称した。
常には里人慣習で甘縄神明社宮と呼称している。

体験御朱印重要文化財武将・サムライ伝説

Wikipediaからの引用

概要
甘縄神明神社(あまなわしんめいじんじゃ)は、神奈川県鎌倉市長谷に所在する神社。旧社格は村社。鎌倉市最古の神社とされている。 もと甘縄神明宮や甘縄神明社などと呼ばれていたが、1932年(昭和7年)に神社名となった。
アクセス
交通[編集] 江ノ電 長谷駅より徒歩約6分 駐車は不可
引用元情報甘縄神明神社」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E7%94%98%E7%B8%84%E7%A5%9E%E6%98%8E%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=98569683

この神社の神主様へ

公式アカウント(無料)にご登録いただくと、

ご自身の神社の情報を編集することができます。

無料登録して、参拝者が必要な情報を直接伝えてみませんか?

詳しくはこちら

最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう

利用開始をもって利用規約プライバシーポリシー
同意したものとみなします。

※購読はいつでも解除できます。

This site is protected by reCAPTCHA and the Google
Privacy Policy andTerms of Service apply.

御朱印背景
行きたい
投稿する
お問い合わせ
ホトカミを続けるために、あなたのサポートが必要です。

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから

お問い合わせ