じょうらくじ|臨済宗建長寺派|粟船山(ぞくせんざん)
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限定 | - | ||
御朱印帳 | - | ||
駐車場 | あり。7台ほど。 |
常楽寺について
鎌倉へ招かれた蘭渓道隆は
鎌倉禅宗発祥とされる「常楽寺」住持として禅宗を広め、
後の建長5年(1253年)に創建された建長寺が鎌倉禅宗の中心となりました。
仏殿背後に、開基 北條泰時公の墓があります。
山門左横から民家と接する道をへ進むと、” 木曽塚 ”(伝・木曽義高墓所)の高台へ上ることができます。
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「鎌倉殿の13人」で坂口健太郎さんが演じた北条泰時ゆかりのお寺です。
緑がきれいなお寺です。
茅葺きの山門が歴史を感じさせます。
ご住職がご不在だったので書き置きの御朱印をいただきました。
鎌倉殿の13人で、最も好きな、坂口健太郎じゃなかった、北条泰時の創建した寺院で、北条泰時のお墓もあります。
又、寺の裏山を登って行くと、悲劇のヒロインと若き悲しみの人。源頼朝の娘、大姫(あくまでも伝説なのであるが)の墓と、木曽義高のお墓があります。
1184年に亡くなった義高のお墓には、なんと!令和4年に描かれた卒塔婆がありました。常楽寺の僧侶が書かれて、山登りして弔っているのでしょう。
感動しました。
現実には、結ばれなかった義高と大姫が、この地で幸せにと願うのでした。
工事中につき、僧侶のいる場所に入れず。御朱印はいただけず、残念でした。
右が北条泰時の墓になります。
大姫の墓の説があります。
山登りして、木の根に転びそうになりながらも、義高のお墓に。
山の上にあった可愛らしい稲荷神社。
義高のお墓に。
令和4年の卒塔婆です。
まだまだ鎌倉のイチョウは緑です。
工事中・・・・
名称 | 常楽寺 |
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読み方 | じょうらくじ |
参拝にかかる時間 | 境内参拝ならば20分ほど。” 木曽塚 ”(伝・木曽義高墓所)の高台へ上ると40分程度。 |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
電話番号 | 0467-46-5735 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
詳細情報
ご本尊 | 本尊; 本 尊阿弥陀三尊 |
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山号 | 粟船山(ぞくせんざん) |
宗旨・宗派 | 臨済宗建長寺派 |
創建時代 | 創建: 嘉禎3年(1237年) |
開山・開基 | 開山: 感誉存貞 開基: 北条泰時 |
文化財 | 梵鐘 _ 国の重要文化財
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体験 | 仏像御朱印重要文化財武将・サムライ有名人のお墓伝説 |
Wikipediaからの引用
概要 | 常楽寺(じょうらくじ)は、神奈川県鎌倉市大船にある臨済宗建長寺派の寺院である。山号は粟船山(ぞくせんざん)。本尊は阿弥陀三尊。嘉禎3年(1237年)の創建で開基は北条泰時、開山は退耕行勇である。 |
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歴史 | 歴史[編集] 常楽寺はもと「粟船御堂」(あわふねみどう)と呼ばれ、北条泰時夫人の母の追善供養のために建てたものであった[1]。創建当時は密教系寺院、また、浄土系寺院でもあったとされているが、次第に禅宗色が強まり、後に臨済宗の寺となった。 建長年間、時の執権・北条時頼によって宋の禅僧、蘭渓道隆が鎌倉に招かれた。蘭渓ははじめ常楽寺の住持となり中国風の禅宗を広め、寺には多くの僧が蘭渓の教えを乞うために訪れた。 その後、建長寺が創建され(落慶供養は建長5年(1253年))、同寺が鎌倉における禅宗の中心寺院になったが、それ以降も臨済宗建長寺派においては「常楽は建長の根本なり」と重視されつづけた。 ...Wikipediaで続きを読む |
アクセス | 交通[編集] 大船駅より徒歩15分、もしくは江ノ電バス常楽寺バス停より徒歩5分。車の場合は神奈川県道21号横浜鎌倉線常楽寺交差点より大船駅方面へ向かう市道に入り、100メートルほど先を右折すると山門にあたる。 |
引用元情報 | 「常楽寺 (鎌倉市)」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%B8%B8%E6%A5%BD%E5%AF%BA%20%28%E9%8E%8C%E5%80%89%E5%B8%82%29&oldid=99631429 |
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