めいげついん|臨済宗建長寺派|福源山
明月院のお参りの記録一覧(4ページ目)
鎌倉三十三観音30番札所、明月院。
浄智寺から徒歩10分ほど。
鎌倉の紫陽花寺として有名ですね。
ご本尊は聖観世音様。
拝観料500円。
とても上品なお寺という印象です。
本堂へと続く鎌倉石の階段。
梅雨の季節には、両脇に紫陽花が咲き乱れます。
本堂。
ご本尊の聖観音様が祀られております。
周囲ではたくさんの野鳥の鳴き声が聞こえてきます。
エサ台を設置したりして、餌付けしているようですね。
直ぐ側にうさぎの飼育小屋もありました。
本堂右横の方丈には有名な円窓「さとりの窓」があり、フォトスポットになってますね。スマホでうまく撮れなかったので、以前参拝時に一眼で撮影した写真を投稿します。
鎌倉三十三観音30番札所、明月院の聖観音様の御朱印です。
お寺の雰囲気が上品なら、御朱印の書体も上品です^^
明月院ふたたび。
朝イチだったので、人もまばら。
花の設えも美しい円窓。
苔にはらはらと散りもみじ。しっとりとした風情。
『写真ばかり撮ってないで、心を落ち着けるにゃ!』『はーい!』
枯山水の庭園。
桂橋と総門方面を臨む。
色づき季節が深まってきています。
北鎌倉駅から歩いて10分。
「アジサイ寺」と呼ばれている臨済宗寺院。
5代執権北条時頼の墓所でもある。
ご本尊は聖観音。
御朱印は方丈横の納経所にて頂く事が出来ます。
北条時頼の御堂。
6月の紫陽花が有名ですが、「月の広場」ではバラが綺麗に手入れしておりました。
本堂である方丈です。
「悟り」を表しているのだろうか?
方丈裏の庭園が映し出されています。
方丈内の一室に入る事が出来ますが、時間が遅かったのか、内部拝観は終了していましたので外から撮影です。
方丈前庭。
「花想い地蔵」。アジサイの季節にはカラフルになります。
開山堂。
六地蔵。
北鎌倉・明月院へ。
本堂
明月院といえば、こちらの悟りの窓。
やぐら。
枯山水の庭園。
六地蔵さま。
開山堂。
花想い地蔵。
この、地を這うように伸びるのは笹リンドウ。鎌倉市のマンホールはこの柄。
暖かかったから、咲く時期を間違えちゃった?明月院ブルーと呼ばれる紫陽花。
紫陽花等 四季折々の風情が楽しめるお寺様 混雑ピークの時間帯にあたってしまい近場に空いてる駐車場がなく順番を変更して最後に訪れたのですがやはり混んでいました たまたま踏切待ちしてるところへひょこっと1台コインパーキングより出庫そこへすかさず駐車!して訪参 閉門近くにもかかわらず 中は参拝のお客様でいっぱいでした・・・ しっかり整備された庭園がみごとでした できればもっと空いてる時期に来てみたい所です
山門
石庭
ん~~~なかなかの風情!!
境内の紫陽花!
御朱印! 混雑時 御朱印をいただく列とは別に同じ様な所に丸窓の写真撮影の列が出来るので並ぶ際には要注意です(写真列のほうがはるかに長いです^^;)
あじさい寺として有名な明月院。かつては禅興寺という寺の塔頭だったものの、禅興寺が廃寺となり、子院の明月院のみが残ったのだそうです。
以前、梅雨の季節に参拝した時にはとにかく紫陽花の花が印象的でしたが、今回は「うさぎ🐇」が強く印象に残りました。
寺の名前に「月」が入っているのでうさぎを大切にしてるとか。
あちこちにうさぎのオブジェがありました。
正門到着
梅が咲いていました
玉澗橋の上に怪我したうさぎとかめ。競走してひねったのかもしれない
うさぎのオブジェと「月の広場」何か毛色が違う
鎌倉幕府五代執権 北条時頼公(八代目 時宗公の父)墓所
時頼公廟
時頼公廟
カフェ月笑軒 今回は我慢
中門
ウサギ共和国 ウサギ小屋は「宇宙ステーション」
モモちゃん
めいじくん(ちゃん?)
枯山水庭園
本堂
本堂
本堂。この左側の一角で御朱印を受け付けてらっしゃいました
繊細な文字が素敵な御朱印
六地蔵様 六つの迷界での苦しみを救ってくださる 天道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道(但し諸説ありと看板に書いてあった)
暖かそう
花想い地蔵
明月院やぐら
開山堂(宗猷堂)
瓶の井 鎌倉十井のひとつ。現在も使えるのだそう
掃いて集めて自然に帰そう
悟りの窓
玉澗橋 あれ?うさぎとカメがいなくなってる…
正式名:福源山明月院
通称:あじさい寺
神奈川県鎌倉市山ノ内にある臨済宗建長寺派の寺院で、紫陽花の名所として知られ、あじさい寺としても知られている。
首藤刑部太夫・山ノ内経俊が永暦元年(1160)に平治の乱で戦死した父・首藤刑部大輔・俊道の菩提供養として明月院の前身の明月庵を創建。
その後、康元元年(1256)鎌倉幕府五代執権・北条時頼が執権を北条長時に譲り、この地に最明寺を建立し出家生活をここでおくる。後に時頼の子で八代執権・北条時宗が最明寺を前身に蘭渓道隆を開山として禅興寺を創建した。
康暦2年(1380)足利氏満から禅興寺中興の命を受け、関東官領・上杉憲方は寺院を拡大し、塔頭も建てた。この時、明月庵は明月院と改められ支院の首位におかれた。
最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。
ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ
5
11