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ながやてんまんぐう

永谷天満宮
神奈川県 上永谷駅

御朱印受付時間:9時~16時

御朱印について御朱印
あり

菅原道真が自身の姿を彫刻した3体の木像のうちの1体が永谷天満宮にまつられていることから、「日本三躰…

限定
-
御朱印帳
あり
パーキング
駐車場
あり

あり

永谷天満宮について

菅原道真の息子 淳茂が足繁く通い遥か西方の太宰府に居る父を思慕したといわれる場所には、「菅秀塚」があります。淳茂自身の遺髪を納めたとも伝えられています。

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にっきー
にっきー
2020年11月30日(月) 14時03分47秒
255投稿

学問の神様である菅原道真と関わりのある神社。

おなじみの家紋でお迎えしていただきました!

敷地は小さいですが、神奈川では有名な神社の一つでもあり、そしてこれから受験シーズンということもありお焚き上げの箱はパンパンになっていてたくさんの方々がお参りに来ている事が伺えました。

この日も七五三の祈祷で数組のご家族がいらっしゃいました。

数台のみですが駐車場あります。

永谷天満宮の鳥居

入り口の鳥居。久々に小さな神社に来ましたが隠れ家的な雰囲気も趣があって好きです^ ^

永谷天満宮の周辺

入り口近くには用水路がありメダカや鯉が泳いでいました。桜の木も植っていて咲く時期にまた訪れてみたいです!

永谷天満宮の自然

敷地内にあるイチョウの葉が緑と黄色の素敵なツートンカラーになっていました♫

永谷天満宮の本殿・本堂

階段を登ったところに本殿です。

永谷天満宮の本殿・本堂

ちょうど御祈祷が行われておりました。七五三のご祈祷かと思われます。

永谷天満宮の狛犬

菅原道真公と関わりのある神社に置かれている牛さん。石碑に書いてあるルーツを読んで納得しました。

永谷天満宮の御朱印

御朱印は書き置き対応でした。

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例祭・神事

1月1日  元旦祭
1月14日  さいと焼
1月25日  初天神
2月3日  節分祭
3月25日  春季例祭
6月30日  夏越の大祓
9月25日  秋季例祭
11月15日 七五三祝祭
12月31日 年越大祓
毎月25日 月例祭

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歴史

相模国永谷郷(現在の上永谷ほか)座の天満大自在天神の御祭神である菅原道真公は、第六十代醍醐天皇の昌泰二年(899)、右大将に任ぜられた。
 道真公は更に、昌泰四年(901)年正月七日には従二位にも叙せられたが、その月二十五日に、筑紫の大宰府(福岡県)に員外帥(定員外の役人)として左遷されてしまった。
 道真公は大宰府に着任した翌年、鏡に向かってご自身の姿を三躰の木像に彫刻した。そしてその内の一躰は秀才淳茂に、一躰は筑紫大宰府安楽寺に、残る一躰は河内国(大阪府)土師村道明寺に安置されたのである。
 その後道真公は、延喜三年(903)二月二十五日、大宰府に於いて五十九歳で薨じている。
 
 さて、五男淳茂公は、はじめ播磨国(兵庫県)に配流となったが、後に関東に下向して永谷郷の下の坊に居館を構え、道真公自刻の御尊像を奉祀して朝夕崇拝したことが、永谷天満宮のはじまりであると伝えられている。
 その後御神躰は、菅原文時、藤原道長、上杉金吾らに伝わり、明応二年(1493)二月のある夜、相模八ヵ郷の領主、上杉刑部太夫、藤原乗国が霊夢を見たことをきっかけに、天満宮の社殿を造営し、御神躰を安置し奉った。天文十二年(1543)に宅間伊織之亮、藤原綱頼が社殿を修造し、天正十年(1582)に宅間規富は宮社を再築している。
 明治六年、村社となった永谷天満宮は、明治四十四年四月三十日に神饌幣帛料供進神社に指定された。
 御創建から五百余年、永谷天満宮は現在も多くの参拝者に親しまれ、霊験あらたかに私たちを見守り続けている。

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永谷天満宮の基本情報

住所

神奈川県横浜市港南区上永谷5-1-5

行き方

◆電車
横浜市営地下鉄上永谷駅より徒歩5分

◆バス
永野小学校前下車徒歩1分

◆車
環状二号線「上永谷駅入口」交差点過ぎてすぐ
※駐車場あり

アクセスを詳しく見る
名称

永谷天満宮

読み方

ながやてんまんぐう

通称

天神社

参拝時間

御朱印受付時間:9時~16時

参拝にかかる時間

30分

トイレあり
御朱印あり

菅原道真が自身の姿を彫刻した3体の木像のうちの1体が永谷天満宮にまつられていることから、「日本三躰」の印が押されています。

限定御朱印なし
電話番号045-844-7244
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
メールアドレスinfo@nagayatenmangu.or.jp
ホームページhttp://nagayatenmangu.or.jp/
おみくじ

あり

お守り

あり

絵馬

あり

巡礼の詳細情報

【公式】横浜御朱印めぐり

詳細情報

ご祭神《主》菅原道真
創建時代

明応二年(1493)

ご由緒

相模国永谷郷(現在の上永谷ほか)座の天満大自在天神の御祭神である菅原道真公は、第六十代醍醐天皇の昌泰二年(899)、右大将に任ぜられた。
 道真公は更に、昌泰四年(901)年正月七日には従二位にも叙せられたが、その月二十五日に、筑紫の大宰府(福岡県)に員外帥(定員外の役人)として左遷されてしまった。
 道真公は大宰府に着任した翌年、鏡に向かってご自身の姿を三躰の木像に彫刻した。そしてその内の一躰は秀才淳茂に、一躰は筑紫大宰府安楽寺に、残る一躰は河内国(大阪府)土師村道明寺に安置されたのである。
 その後道真公は、延喜三年(903)二月二十五日、大宰府に於いて五十九歳で薨じている。
 
 さて、五男淳茂公は、はじめ播磨国(兵庫県)に配流となったが、後に関東に下向して永谷郷の下の坊に居館を構え、道真公自刻の御尊像を奉祀して朝夕崇拝したことが、永谷天満宮のはじまりであると伝えられている。
 その後御神躰は、菅原文時、藤原道長、上杉金吾らに伝わり、明応二年(1493)二月のある夜、相模八ヵ郷の領主、上杉刑部太夫、藤原乗国が霊夢を見たことをきっかけに、天満宮の社殿を造営し、御神躰を安置し奉った。天文十二年(1543)に宅間伊織之亮、藤原綱頼が社殿を修造し、天正十年(1582)に宅間規富は宮社を再築している。
 明治六年、村社となった永谷天満宮は、明治四十四年四月三十日に神饌幣帛料供進神社に指定された。
 御創建から五百余年、永谷天満宮は現在も多くの参拝者に親しまれ、霊験あらたかに私たちを見守り続けている。

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