かしまじんぐう
鹿島神宮のお参りの記録一覧(18ページ目)
母の実家はこちらの氏子です。
関東というよりも日本で最も古い神宮のひとつですが、あまり知られてないのが悲しいです。。。
拝殿、奥宮、楼門はそれぞれ徳川秀忠、家康、水戸徳川家の奉納だそうです。
特に本殿は立ち入り禁止ですが、遠くから見てもわかるくらい日光東照宮と同じ造りで豪華です。
鹿島の七不思議を聞いたり、アントラーズ選手たちの奉納絵馬も境内にあるのでご覧ください。
参道沿いに最近ご神水を使った小さなブリュワリーも出来上がり、またひとつ楽しみが増えました。
奥宮、要石へ続く参道の太古から変わらない森も個人的に好きです。
今年は蜂の巣が多いようです。
奥宮参拝の際は気を付けてください。

國譲りの主役のひとり。天つ神アマテラスが送り込んだ3人目の使者「武甕槌命」(タケミカヅチ)の神社です。タケミカヅチは出雲に降りた際に突き刺した剣の剣先にあぐらをかいて國譲りを迫ったという剣の神様。もうなんとも強そうじゃないですかっ^^
その後豪族として繁栄する藤原氏(中臣氏)の祖神と言われてますね。
森林に囲まれた広い敷地に入ると時代をトリップした感があります。
囲まれていて一部しか見えませんが、拝殿奥の本殿のなんともまぁすばらしさ!^^ 立派な千木とすだれのような細い紐が周りを囲む、神聖な社殿です。
地震を押さえているという要石は参道を進んだ奥宮のさらに奥です。
末社には大国主、素戔嗚尊、稲荷神も祀られています。武甕槌命が乗ってきたと言われる鹿もいますよ。他にもいっぱい見所ある神社です。
拝殿
本殿です。後ろに見えるのはご神木です
タケミカヅチの像です。見えてませんが足でナマズを押さえています。がんばって〜
奥宮 社務所ではこちらの御朱印も頂けます。
地元の雄、鹿島神宮です。大船津にある一の鳥居を見てきました。
東関東自動車道を潮来インターで降り鹿島方面へ向かうと、まず、目に飛び込んでくるのはこの鳥居ではないでしょうか。近くから見ると鉄製です。次は、鉄つながりでいろいろまわってみようと思います。
近くにある案内板
よく読むと、東西南北に設けられた一之鳥居の一つ、西の鳥居だそうです。では、残り三つ北東南の鳥居ってどこ?新たな謎が生まれました。
前回発覚した残り三つの鳥居の謎を解く為、ふたたび鹿嶋市へ。西の鳥居が湖に面しているということは、東の鳥居は海に面しているのでは?そういえば、昔そんなの見たような・・・。
鹿島サッカースタジアムのすぐそば、旧国道51号線明石の信号を海側に曲がりまっすぐ進むと防潮堤に面したところに鳥居があります。割と簡単に見つかりました。(道なりではなく途中側道にそれます。)
鳥居の手前には二つの石碑があります。
国譲りの後、鹿島様はここから鹿島の地へ上陸したそうです。
案内板をみると四つの鳥居について記述があります。西は大船津、東は明石の浜、南は息栖神社(どんだけ広いんじゃ?!)北は神戸(ごうど)の森。息栖神社はわかるけど神戸のもりって何?また新たな謎が生まれました。
以前撮影した鹿島神宮西一之鳥居から見た富士山です。富士山が見える最東端に鹿島神宮を作ったと聞いたことがあります。(最西端が伊勢神宮だとか。)
ホトカミを知る以前に撮影した画像です。鳥居の右の四角い建物のさらにちょい右です。
冬乾燥した時期、条件が合えば富士山を見ることが出来ます。年に数回しか見れません。
位置を南側に変えて撮影。
こちらは、筑波山です。鳥居のある大船津から北へ数キロ離れた場所から撮影しました。鹿島神宮と関係が深いとされる宮中野古墳群の真下辺りです。もしや?と思いグーグルマップで調べてみると最大の前方後円墳である夫婦塚古墳の延長線上に筑波山がありました。小さな発見ですが、こんなことにあーでもない、こーでもないと思いを巡らすのが史跡廻りの楽しみでもあります。
地元茨城の一ノ宮、鹿島神宮です
茨城に住んでいながら
訪れたのは一度か二度
しかもお参りと言うより
塚原卜伝ゆかりの地を訪れることが
主な目的でした
ですが、
いざ訪れてみると、
緑豊かな林の中にあって
散策するには、もってこいの神社
海は近いし、緑が綺麗だし
地元の良いところ再発見!!
と、大満足なお参りでした
^ ^
さざれ石
鹿島アントラーズの必勝祈願のボードがありました
神社の林の中の一角に
鹿がいて、餌のニンジンを買って食べさせることができるみたいです
可愛いらしい巫女さんが受付に居て御朱印をいただきました
鹿島神宮へお詣りして来ました。仕事帰り前を通るとライトアップされていました。
楼門です。昼間とはまた違う雰囲気が楽しめます。
大鳥居です。暗いのでうまく写せませんでした。
先ずはルールに則り摂社高房社からお詣り。
本殿です。
本殿から先は、管理人さんへ声かけが必要なためここで引き返します。
軒先におみくじが置き売りされてます。最近はねづけやらパワーストーンやらバラエティ豊かです。
時代劇のワンシーンのようで思わず写真に収めました。
少し離れた場所から剣道の練習と思われる掛け声が聞こえてきます。武術が盛んな鹿島ならではです。(というか元武装集団)
帰り道、鳥居からみた参道です。夜カシマもいい感じです。
鹿島神宮の飛び地の境内地、高天原へ行って来ました。神宮の樹叢から東へ進んだ海岸手前の小高い丘で、通りに面して鳥居と案内板があります。鹿島七不思議のひとつ末無川(すえなしがわ)は、ここから海側に降りたくぼ地にあります。
この地域はだいぶ住宅開発が進み、この高天原のすぐとなりは大きな集合住宅の敷地になっています。
案内板です。鳥居は撮りわすれました。
鹿島の大神タケミカヅチノカミが国見をした場所といわれます。東方にある鬼塚は、鹿島の大神が東征をした際従わない鬼たちを退治して首を埋めたため鬼塚と云い、流れた血のために今でも土の色が赤いそうです。案内板に記述はありませんが鬼塚は80mクラスの前方後円墳であるとか、かつて鹿島神宮の本殿があった場所だとか、ホントは〇〇な高天原とかネットで検索するといろいろ出て来ます。
どう?行ってみたいと思いませんか?
では、行ってみましょう。
隣接する集合住宅の駐車場を横に見ながら進みます。以前、アタックしたときは草刈りもされずボサ藪状態だったのでなくなく諦めたのですが、今回は草刈り後があり何とか行けそうです。立入禁止の看板もないし、今、俺不審者じゃ無いよね!
ふと、横を向く。どう見てもボサ藪です。歩く道は、雑草、蜘蛛の巣、ゴミだらけ。確かここ、神宮の飛び地で境内地だよね!
さらに奥地へと向かう道が。依然蜘蛛の巣と雑草とゴミと。p(`Д´)q
ひと気無く、訳の分からないパワースポットで、先が見えない藪の中で、何度引き返そうと思ったか。
あれっ!何か人工物が。
礼拝所みたいな…。
ここから見ると更に高台が見えます。祠の類は見えません。ここから先は人が踏み入れてはいけないように感じがしまた。
ここで引き返し来た道を戻ります。ゴミ!蜘蛛の巣!雑草!
ヽ(`Д´#)ノ
鹿島の七不思議、水無川。
今は無い!
ネットの普及でガイドに載ってないところにも人がどんどん来るようになっています。もう少しなんとかしてほしい。
鹿島神宮にお詣りしてきました。
鹿島神宮にめずらしい木があるそうなので見に来ました。
楼門をくぐると正面に高房社右手に北向きの本殿があります。
はじめに高房社からお詣りするのが慣わしだそうです。注目は後ろの杉の木です。
幹の中ほどから別な種類の木の枝がにょきにょきと生えています。葉っぱの丸い広葉樹みたいです。
根元を見ると根上がりした杉の葉と、榊の木のが生えています。神職の方に伺ったところ、幹から生えているのは椎の木だそうです。杉の幹の中に根を伸ばして奇蹟的に成長しているようです。では、根元の榊は…?というと、よくお供えした榊を地面に刺しておくとのことでそれが成長したもののようです。「けっこう根付きますよ。」とおっしゃってました。
鹿島神宮の中の祖霊社にお詣りして来ました。
鹿島神宮のサイトには、『終戦後の昭和22年、成蹊学園内の鹿島神社の社殿を移築したもので、氏子中の戦没者・祖霊をお祀りしています。』とあります。本殿から北に向かった所にあります。
今日は、御手洗の池の近くに車を停めてお詣りです。塚原卜伝の小説を読むと、御手洗の池まで舟に乗って来たとあります。現在の地形からは想像も出来ません。境内に入ると東日本大震災で倒壊した西の大鳥居の土台部分がお祀りされていました。
祖霊社です。御手洗の池からだとけっこう歩きます。
観光客が押し寄せて来ない穴場なので、この落ち着いた雰囲気を独り占め出来ます。
地面の緑は、芝ではなく苔です。
更に足を延ばして西の二の鳥居付近の椎の巨木です。でかいです。
宿り木というか、木の窪みに溜まった土がプランター代わりになり別の植物が生えてます。
反対側は榊が根付いています。以前、お供えした榊がもったいないので地面に刺しておくという話を神職の方から聞いたのですが、今回は、『おいおい、むやみに刺すなよ!』と心の中でツッコミを入れました。
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