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清荒神清澄寺ではいただけません
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きよしこうじん せいちょうじ|真言三宝宗蓬莱山

清荒神清澄寺
兵庫県 売布神社駅

清荒神清澄寺について

日本第一清荒神


荒神さんとして関西では絶大の参拝客があります。お正月三が日中の参拝は長い参道に人が溢れ途切れることはありません。

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四季
四季
2022年06月05日(日)
495投稿

清荒神清澄寺(きよしこうじんせいちょうじ)

山号  蓬莱山
宗派  真言三宝宗
寺格  総本山
御本尊 大日如来(重要文化財)
創建年 寛平8年(896年)
開山  静観僧正
開基  宇多天皇(勅願)
別称  清荒神

札所等
真言宗十八本山第3番
摂津国八十八箇所第72番
役行者霊蹟札所
西国七福神(布袋尊)
神仏霊場巡拝の道第79番(兵庫第14番)

文化財
木造大日如来坐像、絹本着色千手観音菩薩像、絹本着色釈迦三尊像(重要文化財)
富士山図 富岡鉄斎筆(市指定有形文化財)

宝塚市にある真言三宝宗の総本山の寺院。
山号は蓬莱山。本尊は大日如来。
境内には三宝荒神社もあり、神仏習合の形態が色濃く残ります。
境内には鉄斎美術館があります。

寛平8年(896年)11月18日に宇多天皇の勅願寺として静観僧正により旧清(もときよし)と呼ばれる山の尾根に建てられました。
鎮守神として現在地である西の谷の地に三宝荒神社も建立されました。
宇多天皇より「日本第一清荒神」の称号を下賜され、最盛期には七堂七十二坊の荘厳な伽藍を誇りました。

平安時代末期の治承・寿永の乱や戦国時代の有岡城の戦いに巻き込まれて炎上しましたが、三宝荒神社は被害を免れました。

江戸時代の安政年間(1855年 - 1860年)には清澄寺本堂が旧清から現在地に移築され、浄界和上によって清澄寺が再興されて伽藍が整えられました。

1947年(昭和22年)に「三宝三福」の教理に基づいて真言三宝宗が開かれ、当寺はその総本山となりました。

荒神影向の榊
こちらに供えられたお賽銭は持ち帰り可能です。 
次回参詣されたときに、そのお賽銭を倍にしてお返しするという風習があり、いただいたお賽銭を紙に包んで財布に入れて持っているとお金に不自由をしないとの謂われがあります。

山内には画家富岡鉄斎の作品を集めた鉄斎美術館「聖光殿」が1975年(昭和50年)設立。

関西では「荒神さん」と呼び慣わされ、かまど神の一種として、こちらで受け取ったお札を台所の神棚にお祀りしています。

門前の緩やかな坂道には、屋台を含め200近い店舗が軒を並べて門前市を形成していました。

弁護士になられたことで話題になった大平光代氏の更生のきっかけとなった寺としても有名。大平氏は初めて訪れた日から17年間毎日通われたそうです。

宗派一覧
東寺真言宗(総本山:東寺。真言宗全体の総本山でもあります。教王護国寺)
高野山真言宗(総本山:金剛峯寺)
真言宗善通寺派(総本山:善通寺。大本山:随心院)
真言宗醍醐派(総本山:醍醐寺)
真言宗御室派(総本山:仁和寺)
真言宗大覚寺派(大本山:大覚寺)
真言宗泉涌寺派(総本山:泉涌寺)
真言宗山階派(大本山:勧修寺。「かじゅうじ」)
信貴山真言宗(総本山:朝護孫子寺)
真言宗中山寺派(大本山:中山寺)
真言三宝宗(大本山:清荒神清澄寺)
真言宗須磨寺派(大本山:須磨寺)
新義真言宗(総本山:根来寺)
真言宗智山派(総本山:智積院)
真言宗豊山派(総本山:長谷寺)
真言律宗(総本山:西大寺。大本山:宝山寺)

宝塚市米谷字清シ1

清荒神清澄寺の山門
清荒神清澄寺の山門
清荒神清澄寺(兵庫県)
清荒神清澄寺の建物その他
清荒神清澄寺の像
清荒神清澄寺の狛犬
清荒神清澄寺(兵庫県)
清荒神清澄寺(兵庫県)
清荒神清澄寺(兵庫県)
清荒神清澄寺の建物その他
清荒神清澄寺(兵庫県)
清荒神清澄寺の建物その他

鐘楼堂

清荒神清澄寺(兵庫県)
清荒神清澄寺の建物その他
清荒神清澄寺(兵庫県)
清荒神清澄寺の周辺
清荒神清澄寺(兵庫県)
清荒神清澄寺の建物その他
清荒神清澄寺の建物その他
清荒神清澄寺(兵庫県)
清荒神清澄寺の建物その他
清荒神清澄寺の地蔵
清荒神清澄寺(兵庫県)
清荒神清澄寺の建物その他
清荒神清澄寺の建物その他
清荒神清澄寺(兵庫県)
清荒神清澄寺(兵庫県)
清荒神清澄寺の建物その他
清荒神清澄寺(兵庫県)
清荒神清澄寺の建物その他
清荒神清澄寺(兵庫県)
清荒神清澄寺(兵庫県)
清荒神清澄寺(兵庫県)
清荒神清澄寺(兵庫県)
清荒神清澄寺(兵庫県)
清荒神清澄寺の本殿

約5年程前の画像です

清荒神清澄寺(兵庫県)
清荒神清澄寺(兵庫県)
清荒神清澄寺の御朱印
清荒神清澄寺の御朱印
清荒神清澄寺(兵庫県)
清荒神清澄寺(兵庫県)

清荒神清澄寺 御朱印帳

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歴史

清荒神清澄寺は平安時代の初め、宇多天皇の創意による理想の鎮護国家、すなわち諸国との善隣友好を深め戦争のない平和社会、万民豊楽の世界を開く勅願寺の一つとして創建されました。天皇は讃岐国の名工、定円法眼に命じて曼陀華の香木で本尊大日如来像を刻ませ、寛平8年(896)に、叡山の高僧静観僧正を迎え、開山の祖としました。
当時は猪名の平野や武庫の浦が一望に見渡せる旧清と呼ばれる山の尾根に清澄寺を、そして西の谷に鎮守神として三宝荒神社を祀りました。山号である蓬莱山の由来とする現在の長尾山系の七嶺七渓に、七堂七十二坊の荘厳な伽藍を造営し、宇多天皇より日本第一清荒神の称号を与えられ蓬莱山清澄寺としておおよそ300年栄えました。
その後、平安時代末期の源平合戦や、天正年間の荒木村重の乱などの戦火により何度も焼失しましたが、荒神社のみはいずれも難を免れ、やがて清澄寺も西の谷である今の地に再建され、江戸時代末期、一代の名僧浄界和上の諸堂再興により現在の山容が形づくられ伽藍が発祥しました。
浄界和上の諸堂再興に続き、先々代 第37世法主 光浄和上に至り寺運ようやく開け、昭和22年「三宝三福」の教理に基づく真言三宝宗を開き、荒神信仰の総本山清荒神清澄寺として新しく法幢をかかげました。

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清荒神清澄寺の基本情報

住所兵庫県宝塚市米谷清シ1番地
行き方

阪急宝塚線・清荒神駅下車 徒歩約15分
日曜祝日のみ阪急宝塚駅からバスが出ています。「宝塚」→「清荒神清澄寺」
9:35 10:35 11:35 12:35 14:35 15:35
「清荒神清澄寺」→「宝塚」
10:05 11:05 12:05 14:05 15:05 16:05

アクセスを詳しく見る
名称清荒神清澄寺
読み方きよしこうじん せいちょうじ
参拝時間

9:00〜17:00

参拝にかかる時間

約30分

参拝料

なし

トイレあり
御朱印あり

限定御朱印なし
御朱印帳あり
電話番号0797-86-6641
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
ホームページhttp://www.kiyoshikojin.or.jp/
絵馬あり

巡礼の詳細情報

摂津国八十八箇所

第72番

御本尊:大日如来

御詠歌:

ほうらいの やまにきよしの あらみかみ
ひびにりやくも あらたなりけり

真言宗十八本山

第3番

御本尊:大日如来

役行者霊蹟札所

第34番

西国七福神

第7番

御本尊:布袋尊

神仏霊場巡拝の道

詳細情報

ご本尊大日如来
山号蓬莱山
宗旨・宗派真言三宝宗
創建時代寛平八年(896年)
開山・開基静観(開山)・宇多天皇(開基)
文化財

本尊(重要文化財)

ご由緒

清荒神清澄寺は平安時代の初め、宇多天皇の創意による理想の鎮護国家、すなわち諸国との善隣友好を深め戦争のない平和社会、万民豊楽の世界を開く勅願寺の一つとして創建されました。天皇は讃岐国の名工、定円法眼に命じて曼陀華の香木で本尊大日如来像を刻ませ、寛平8年(896)に、叡山の高僧静観僧正を迎え、開山の祖としました。
当時は猪名の平野や武庫の浦が一望に見渡せる旧清と呼ばれる山の尾根に清澄寺を、そして西の谷に鎮守神として三宝荒神社を祀りました。山号である蓬莱山の由来とする現在の長尾山系の七嶺七渓に、七堂七十二坊の荘厳な伽藍を造営し、宇多天皇より日本第一清荒神の称号を与えられ蓬莱山清澄寺としておおよそ300年栄えました。
その後、平安時代末期の源平合戦や、天正年間の荒木村重の乱などの戦火により何度も焼失しましたが、荒神社のみはいずれも難を免れ、やがて清澄寺も西の谷である今の地に再建され、江戸時代末期、一代の名僧浄界和上の諸堂再興により現在の山容が形づくられ伽藍が発祥しました。
浄界和上の諸堂再興に続き、先々代 第37世法主 光浄和上に至り寺運ようやく開け、昭和22年「三宝三福」の教理に基づく真言三宝宗を開き、荒神信仰の総本山清荒神清澄寺として新しく法幢をかかげました。

体験祈祷おみくじ御朱印博物館お守り重要文化財札所・七福神巡り

Wikipediaからの引用

概要
清荒神清澄寺(きよしこうじんせいちょうじ)は、兵庫県宝塚市にある真言三宝宗の大本山の寺院。山号は蓬莱山。本尊は大日如来。しかし、境内には三宝荒神社もあってこちらの方が著名である。神仏習合の形態が色濃く残っており、このことから「清荒神清澄寺」と呼ばれている。境内には鉄斎美術館がある。
歴史
歴史[編集] 寛平8年(896年)11月18日に宇多天皇の勅願寺として静観僧正により旧清(もときよし)と呼ばれる山の尾根に建てられた。鎮守神として現在地である西の谷の地に三宝荒神社も建立された。宇多天皇より「日本第一清荒神」の称号を下賜され、最盛期には七堂七十二坊の荘厳な伽藍を誇った。 平安時代末期の治承・寿永の乱や戦国時代の有岡城の戦いに巻き込まれて炎上しているが、三宝荒神社は被害を免れている。 江戸時代の安政年間(1855年 - 1860年)には清澄寺本堂が旧清から現在地に移築され、浄界和上によって清澄寺が再興されて伽藍が整えられた。 1947年(昭和22年)に「三宝三福」の教理に基...Wikipediaで続きを読む
アクセス
交通[編集] 清荒神駅(阪急宝塚本線)徒歩20分(駅前より山門まで、坂道の参道に店舗と露店が約200軒並び、途中に大林寺がある) 年末年始と1月の土日祝日は、宝塚駅・歌劇場前より阪急の臨時バスが参道入口(駐車場)まで運行。パークアンドライドのため。 駐車場:有り。ただし、大晦日から正月三が日と1月の土日祝日は交通規制がしかれ、周辺は車の乗り入れが出来ないので、宝塚駅近辺の駐車場を利用すること。 2009年(平成21年)2月からは、宝塚から清荒神駐車場まで、日曜祝休日に限り6往復運行。
引用元情報清荒神清澄寺」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E6%B8%85%E8%8D%92%E7%A5%9E%E6%B8%85%E6%BE%84%E5%AF%BA&oldid=102246494
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