さるたひこじんじゃ
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神戸市兵庫区にある神社です。
この地佐比江は 昔は 深く湾入している内海のような地でした。
現在の海岸線から500mほど戻り 明治に埋め立てて市街地として整備されました。
猿田彦大神が道案内を務められる神とされていますから 平安時代あたりに ここ大輪田泊の海岸線に建立(奉遷)されたと考えられます。
町中の大きくない神社ですが しっかり管理されていることが分かります。
由緒書に書かれています。
当社は猿田彦の大神を奉斎している。
猿田彦大神は「魁の神」として常に神々の先頭に立って道案内を務められる神で 天孫降臨の時 皇孫瓊瓊杵尊を天八衢に立ち迎えて云々とあり 災難除けの信仰がある。
即ち海上では船霊神 陸上にあっては交通の守護神として衆庶の尊崇が篤い。
さて 当社の創立は詳かではないが 口碑によれば 元矢田郡白川村に鎮祭されていたが 平清盛福原に都を定め 兵庫築港に際し七日七夜参籠し 祈願を込めたるところ 難事業に成功したので 後年 此の佐比江の地に奉遷したと伝えられている。
往古は 社殿宏壮にして境域も拡がりしが 市街地の発展と共に狭隘となり 殊に先の大戦により戦災を受け その後都市計画によって現今の社地となった。
現在の社殿造営に際し 当時の日本画家・森月城、版画家・川西英等の絵画で拝殿天井を飾り 更に本殿衛扉の左右の羽目板には 彫刻家・新谷秀夫の手になる彫刻が施されており 一見の価値がある。
明治6年(1873)に村社となったが 戦後は神社本庁所属の神社となった。

外観

佐江江の入り江を埋め立ててつくられた町

社号の石柱

本殿

本殿内陣(見えにくいです)

境内社 稲荷社・辨天社

境内社の石柱

由緒書
佐比江町にある猿田彦神社。
JR神戸線とR2の間にある入り組んだ住宅街。
駐車場なし。
写真のまんまで、鳥居なしの小さな神社。
石灯篭の間を通り、正面すぐに朱色の拝殿。
左手に気持ち御手水と、社務所。
右手に小さなお稲荷さん。
社務所は無人のためお札とお砂が欲しかったら神社前の清水さんか高橋さんか前田さん家にお越しください、と書かれてる。ご丁寧にマップがあるが高橋さんの家が載ってない笑。
拝殿天井を覗くと綺麗なお花が描かれている。
日本画家・森月城や、版画家・川西英らの絵画だそうです。
川西英はこの辺出身で『神戸百景』とかで有名な版画家。
申し訳ないが、こんな小さな神社の天井画描いてるなんて何故?って感じがする。
お散歩ついでに参拝です。
ちなみに佐比江町は江戸時代頃の花街で、兵庫髷発祥の地だそうです。
今じゃ全然そんな名残がない古い住宅街です。

全体

拝殿

拝殿天井画

後ろから
境内・文化財
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当社は猿田彦の大神を奉斎している。
猿田彦大神は魁の神として常に神々の先頭に立って道案内を務められる神で、天孫降臨の時、皇孫瓊瓊杵尊を天八衢に立ち迎えて云々とあり、災難除けの信仰がある。
即ち海上では船霊神、陸上にあっては交通の守護神として衆庶の尊崇が厚い。
さて当社の創立は詳かではないが口碑によれば、元矢田郡白川村に鎮祭されていたが平清盛福原に都を定め、兵庫築港に際し七日七夜の参篭の後、祈願をこめたるところ難事業に成功したので、後年此の左比江の地に奉遷したと伝えられる。
往古は社殿宏壮にして境域も拡がりしが市街地の発展と共に狭隘となり、殊に先の大戦により戦災を受け、その後都市計画によって現今の社地となった。尚又昭和二十五年現在の社殿を造営し、その当時の日本画家森月城版画家川西英等の絵画で拝殿天井を飾り、更に本殿御扉の左右の羽目板は新谷秀夫の手になる彫刻など一見の価値がある。
明治六年六月村社に列せられたが、戦後は神社本庁所属の神社となった。
| 名称 | 猿田彦神社 |
|---|---|
| 読み方 | さるたひこじんじゃ |
詳細情報
| ご祭神 | 《主》猿田彦命 |
|---|---|
| ご由緒 | 当社は猿田彦の大神を奉斎している。
|
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