かったじんじゃ
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楽しみ方刈田神社のお参りの記録一覧

この日は洞爺湖町にある虻田神社で年に5回しか頒布しないお守りがどうしても欲しく車中泊をして
まで行ってきました。頒布3日目だったのですがお守りは無事に拝受することができまして・・・
ただ、翌日は早朝出勤での仕事が待っていたので虻田神社でお参りをしたあとはすぐに家路に就きました
ちょっと遠回りにはなるのですが、帰り道の途中で1社だけ神社に寄り道をすることにしました
行き着いたのは登別市にある刈田神社だったのですが、私の住む町とは違って鳥居の付近には赤く
色付いた木々がまだありました。道南地方はやっぱり暖かいんだな
そして、せっかく登別市で寄り道をしたので・・・











お参りを済ませてから社務所に行って直書きで御朱印を頂いたのですが、受付の窓口の
横をよーく見てみると

書置きでの限定御朱印が視界に入ったので、こちらも拝受しました



最後は登別温泉にある銭湯に行って小一時間ほど湯浴みをしてから家に帰りました
銭湯とはいっても登別温泉の総配湯元なのでいちばん濃い硫黄泉が堪能できたりします

登別総鎮守『刈田神社』
茅の輪をくぐり夏越の大祓 (^-^*)
厳かで凛とした境内には、今年も立派な青梅が実っていました♪
(地獄谷といえば〜の) 赤鬼と青鬼のおみくじ♡可愛いかったけれど、先にお詣りした虻田神社から蛇さんを連れてきたので、こちらは次回のお楽しみにしました。
初夏を彩るハマナスが綺麗に咲き、撫で牛さんは真夏のような太陽で火傷しそうに熱々。涼しいはずの北海道も最近は6月から真夏日… 今年の夏も暑くなるのかな💦💦

〜茅の輪〜
夏越の大祓

青梅がしっかり実っていました😊

可愛いおみくじ🥰
鬼のとぼけた表情がいい🎵

さぁ、参拝へ

ハマナスがきれい✨

神門を抜けて

茅の輪をくぐり

参拝🙏

熱々撫で牛さん
夏は気を付けないと火傷しそう😅

美しいサツキがまだ楽しめる🌿

ランチは Gotham drive in
タコスを食べました〜😄

登別に有ります、道内でも歴史の古い神社さんです、大安吉日に参拝出来た事に感謝です、登別は仕事も新婚旅行でも、来たことが有りますが、同行者のおかげでまた来れました😊ゆっくりと社内を歩き、癒やされて来ましたよ😌御朱印を書いてる時に、宮司さんと沢山お話が出来ました、足の悪い私を案じてくださり感謝です😌

刈田神社の御朱印、宮司さん手書きしてくださり感謝🙇

鷲別神社の御朱印もいただきました、前に一度行った事があると思いますので🤔

神社入口一の鳥居(同行者撮影)

御祭神石碑(同行者撮影)

二の鳥居から参道を写しました

二の鳥居です

手水舎

神社門

門を入ると撫で牛さんがお出迎え、悪い場所を撫でて、治ります様にお願いしました

由来が書いてます

説明書きがありました

古い石碑さん達や沢山の祷り物が有りました🙏

小さい神社も参拝🙏

天照皇大神様🙏

縁結びの神様、男石と女石、御賽銭して参拝

拝殿です、ゆっくりと家族の無病息災と、私の後厄や同行者の厄除をお願いしました🙏

室蘭から札幌ヘ向かう途中寄りました。

由緒書

鳥居


社号標


御祭神碑

参道


灯籠

社号標

二の鳥居


灯籠

刈田神社御造営記念碑

手水舎

手水鉢

神門

狛犬


鯉のぼり

さざれ石

忠魂碑



撫で牛

拝殿

扁額

本殿


開拓記念碑

境内社 大山祇神社

馬頭観世音

馬像

狛犬


境内社 三貴子神社


手水鉢

縁むすび
男石、女石

境内社

神輿庫



当神社の創祀は明らかではないが、『北海道縁起物語』によると、平安朝には前身となる妙見菩薩の祠があったという。
天明6年(1786)
幌別郡(現・登別市)が松前藩士細田儀右衛門の給地に指定されたのを契機に、妙見菩薩の祠を再建し、胆振地方の鎮守社とするため保食神を合祀し、妙見稲荷社と称した。
明治3年(1870)
白石藩城主片倉小十郎邦憲が家臣百五十余名を従え胆振国幌別郡へ移住し、片倉氏の総守護神刈田嶺神社(延喜式内社、陸奥国刈田郡総鎮守、別名・白鳥大明神)の御祭神である日本武尊の御分霊を奉じて合祀し、幌別郡開拓の守護神とする。
明治4年(1871)
御社殿を幌別村字浜七十番地(現・幌別町一丁目)に新しく建立し、社名を刈田神社と改称し、これより幌別郡の開拓者の心の支えとして御鎮座する。
明治6年(1873)
四国からの開拓者が金比羅宮(式内社、旧国幣中社)の御分霊を奉じて合祀する。
明治8年(1875)
幌別郡の郷社と公称する。
大正15年(1926)
現在の境内地(中央町六丁目)へ御遷座する。
終戦後、神社本庁包括宗教法人となる。
令和3年には、社名を刈田神社に改称してから150周年を迎える
由緒より































仕事が早く終わったので、借りているレンタカーでおまいりに行けました。


刈田神社のご由緒書きです。


大変きれいで立派で大きな神社でした。

直書きでいただきました。
初穂料は500円です。

仕事がお休みだったこの日はなんと運悪く?妻もバイトがお休みでして・・・
ならばと疲れを癒しお腹を満たすべく遠出をして神社めぐりもしてきました
向かった先は登別市にある神社なのですが、登別市ということで登別神社かと思いきやふり仮名が
ないと読めないどころか私の車のナビですら「かったじんじゃ」と入力しても該当なし・・・
ということで鳥居を通り抜けてなかに入ると撫で牛の他に境内社も2社あって危うくお賽銭不足に
なるところでした。お参りを済ませてから新しく拝受した御朱印帳を持って社務所に行って御朱印を
お願いするのですが・・・











窓口で御朱印を手渡してくれたのは画像のようなとっても可愛らしい巫女さん?でした

『刈田(かった)神社』参拝
厳かな空気感の立派な境内を回り、最後に社務所へ向かいました。宮司様が美しい御朱印を書いてくださる間、奥様より昔の鯨の鳥居のお話しを伺い、貴重な鳥居の一部(鯨の骨)とお写真を見せていただきました。鯨の顎の骨でできた鳥居は(根室参拝の際)北方四島の神社史で知り、レプリカの鳥居も見たので興味深いものでした。北海道の広い範囲で捕鯨が盛んだったことがわかりました~
春に参拝した兼務社『鷲別神社』の御朱印も拝領。昨年は根宜様より御朱印いただき、今回は宮司様でしたので違う雰囲気の御朱印がまた嬉しい!!
◆御由緒
創祀は明らかではないが『北海道縁起物語』によると、平安朝には前身となる妙見菩薩の祠があったという。
天明6年(1786)~幌別郡(現・登別市)が松前藩士細田儀右衛門の給地に指定されたのを契機に、妙見菩薩の祠を再建し、胆振地方の鎮守社とするため保食神を合祀し、妙見稲荷社と称した。
明治3年(1870)~白石藩城主片倉小十郎邦憲が家臣百五十余名を従え胆振国幌別郡へ移住し、片倉氏の総守護神刈田嶺神社(延喜式内社、陸奥国刈田郡総鎮守、別名・白鳥大明神)の御祭神である日本武尊の御分霊を奉じて合祀し、幌別郡開拓の守護神とする。
明治4年(1871)御社殿を幌別村字浜七十番地(現・幌別町一丁目)に新しく建立し、社名を刈田神社と改称し、これより幌別郡の開拓者の心の支えとして御鎮座する。
明治6年(1873)四国からの開拓者が金比羅宮(式内社、旧国幣中社)の御分霊を奉じて合祀する。
明治8年(1875)幌別郡の郷社と公称する。
大正15年(1926)現在の境内地(中央町六丁目)へ御遷座する。
終戦後、神社本庁包括宗教法人となる。
令和3年には、社名を刈田神社に改称してから150周年を迎える

広く厳粛な雰囲気の境内~神門も美しい✨

御本殿
《御祭神》日本武尊、大物主神、
保食神(食物の神~その体から五穀・牛馬・蚕が生まれた)

御神木の梅も色付いていました🌿

可愛らしい馬像は道産子かな、、和む😊

二社の御朱印は異なる書体。
どちらも大変に美しいです🙏

社務所も新しく綺麗✨
真ん中に浅沓(あさぐつ)~実物はとてもステキ!
使用していたものではないそうです

昔の御社殿の写真
小さな社殿から今の立派な刈田神社へ、開拓の歴史を感じます😌
木製の鳥居前にある鯨の骨の鳥居~実物が次の写真⤵

当時の鳥居の一部☆鯨の骨です
社務所の右奥に飾られており、「上がって見てください」とのありがたいお言葉に、素足にサンダルだったので恐縮してしまいました、、

北海道が蝦夷地と呼ばれていた頃、、
(こちらは社務所窓口の上部にある写真)


社務所前の御神木(梅)

御神輿
鳥居に奥に下がる鈴は牛さん!!🐮可愛い💕
あちこちに隠れキャラ!ステキ😄

『三貴子神社』
御祭神~天照皇大神、月讀命、建速須佐之男命

『大山祇神社』
御祭神~天之御中主大神、大山祇大神、少彦名命、大己貴神




手水舎~舟形が素敵

さざれ石

ニノ鳥居

社号標③


社号標② 一番古そう

一ノ鳥居と社号標①
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