眞久寺の日常(47回目)|北海道旭川駅
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投稿日:2021年06月07日(月)
今日は、ブッダ(お釈迦さま)の教えを集めた経典『ウダーナヴァルガ』から、皆さまの人生に役立つお言葉をご紹介したいと思います。
【伝道法語】
いかなる理由があっても、怒る者はただの愚か者だ。
怒りの気持ちに振り回されるのは、自分に智慧がないからだ。
【ブッダのことば(中村元訳)】
「愚者は、荒々しいことばを語りながら『自分が勝っているのだ』と考える。しかし謗りを忍ぶ人にこそ、常に勝利があるのだ、と言えよう。」
「心が静まり、身がととのえられ、正しく生活し、正しく知って解脱している人に、どうして怒りがあろうか?はっきりと知っている人に、怒りは存在しない。」
岩波文庫 中村元訳『ブッダの真理のことば 感興のことば』
『ウダーナヴァルガ』第20章 13・17番(221・222頁)より
【拙僧解説】
あなたは今までの人生で怒ったことはありますか?
今まで一度も怒ったことがないという人は誰もいないのではないでしょうか。
しかしお釈迦様に言わせると、「私は怒っています」ということは、「私は智慧のない大馬鹿者です」と言っているのと同じことになるのです。
私たちはよく「自分は完璧に正しいのに、絶対に相手が間違っている」と思ってしまうことがあります。この時、私たちの中には「怒り」が生まれます。しかし、不完全な存在である私たちが「完璧に正しい」ということはあり得るでしょうか。
「自分が絶対に正しい」と思うのは、智慧のない愚か者の妄想に過ぎません。自分が不完全であることを自覚することができれば、そもそも怒りの気持ちは起こらないはずです。そして常に自分自身を省みる姿勢こそが、仏の智慧を得る第一歩となるのです。
つまり、怒ることはとても恥ずかしいことなのですよ!
【伝道法語】
いかなる理由があっても、怒る者はただの愚か者だ。
怒りの気持ちに振り回されるのは、自分に智慧がないからだ。
【ブッダのことば(中村元訳)】
「愚者は、荒々しいことばを語りながら『自分が勝っているのだ』と考える。しかし謗りを忍ぶ人にこそ、常に勝利があるのだ、と言えよう。」
「心が静まり、身がととのえられ、正しく生活し、正しく知って解脱している人に、どうして怒りがあろうか?はっきりと知っている人に、怒りは存在しない。」
岩波文庫 中村元訳『ブッダの真理のことば 感興のことば』
『ウダーナヴァルガ』第20章 13・17番(221・222頁)より
【拙僧解説】
あなたは今までの人生で怒ったことはありますか?
今まで一度も怒ったことがないという人は誰もいないのではないでしょうか。
しかしお釈迦様に言わせると、「私は怒っています」ということは、「私は智慧のない大馬鹿者です」と言っているのと同じことになるのです。
私たちはよく「自分は完璧に正しいのに、絶対に相手が間違っている」と思ってしまうことがあります。この時、私たちの中には「怒り」が生まれます。しかし、不完全な存在である私たちが「完璧に正しい」ということはあり得るでしょうか。
「自分が絶対に正しい」と思うのは、智慧のない愚か者の妄想に過ぎません。自分が不完全であることを自覚することができれば、そもそも怒りの気持ちは起こらないはずです。そして常に自分自身を省みる姿勢こそが、仏の智慧を得る第一歩となるのです。
つまり、怒ることはとても恥ずかしいことなのですよ!
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