さっぽろごこくじんじゃ
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楽しみ方札幌護國神社のお参りの記録一覧
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私が生まれた界隈の神社で、先の大戦で、海軍に行った親戚が、乗っていた戦艦が沈没させられても、無事復員した御礼詣りも兼ねて。
戦艦「比叡」って、何処の「鎮守府」所属だったのでしょうね。
最初は、地下鉄南北線・幌平橋駅近くの、彌彦(伊夜日子)神社だけに、お参りに行く予定でした。
当日は大雪の降った後で、除雪も入っていない状態でした。
勝手がわからず、2番出口を出て、北の方へ向かって行くと、鎮座していたのは、札幌護国神社と、多賀神社でした。
1番出口の方が、彌彦(伊夜日子)神社へお参りに行くのに、解りやすいかも知れません。
これもご縁があると思い、札幌護国神社と多賀神社もお参りしました。、
お神社も、除雪が追いついていないため、人が踏み固めた雪の上、けもの道みたいな歩道を通って行きました。
大雪のためか、境内は参拝客も少なめで、静かにお参り出来ました。
札幌護国神社も、多賀神社(札幌護国神社の境内社)も、同じ社務所で、書き置きの「御朱印」を頂いてきました。
社務所のポスターには、色々「季節限定御朱印」がありましたけれども、今回は、スタンダードの「御朱印」を頂きました。
同じポスターに、「山鼻神社」の「御朱印」も掲載されていたので、「おや? そんな境内社があったのかな?」と思っていましたが。
帰ってから、もらった札幌護国神社と多賀神社の「ご由緒」を見てみると、「多賀神社」にお祀りされている神々には、「旧・山鼻神社」の神々もお祀りになっているでは無いですか。
やられた、と思いつつも、地下鉄沿線と言う事も、場所も解った事もあり、じきにリベンジします。





明治10年の西南戦争(西南の役)に際し、戦病没された屯田兵の御霊みたまの慰霊鎮魂のために、招魂碑を建立し、神式の慰霊祭を御斎行申し上げたのが御創祀となります。以来、屯田兵司令部により、毎年慰霊祭が御斎行され、最初は北六条西七丁目の偕楽園前に建立された招魂碑は、明治40年に現在の中島公園に移され、常設の拝殿も造営されました。 その後、大正11年に内務省より招魂社創立の許可が為されたことにより、円山の札幌神社(現在の北海道神宮)の敷地内に仮社殿を建立し、御神霊を御奉斎申し上げました。そして、境内地の確定を経て、昭和8年に現在地に御神殿が建立され、遷座祭を御斎行し、札幌招魂社の御鎮座と相成りました。 以後、第二次世界大戦までに至る幾多の戦役の戦病没者の御霊みたまと、殉職警察官、殉難消防官の御霊みたまを合祀申し上げ、慰霊祭を御斎行して参りました。 また、昭和14年には、社号が札幌護國神社と改称され、同時に、内務大臣指定護國神社の社格の指定を受け、以降、皇室よりの御崇敬も寄せられることとなりました。 その後、第二次世界大戦の終戦を経て、昭和45年には現在の社殿が建立され、昭和56年に御創祀より百周年を迎え、現在に至っております。
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札幌伏見稲荷から、久々の札幌護国神社へ。
荘厳とした雪の境内〜川面も景色もとても綺麗✨
以前、広島を訪れたことをきっかけに、戦争への思いや護国神社についての見方が変わりました。「コロナはウィルスとの戦争」なんて言った方もいましたが、護国神社に来ると複雑な発言に感じられる… などと考えつつ参拝。
札幌護国神社と北海道護国神社(旭川)は、門から一歩踏み込むと背筋がピンとするような厳粛な空気。靖国神社と繋がっている気がします。(個人的主観😊)
北海道にある指定護国神社三社の中で、立地も様子もかなり違う函館護国神社(海軍や戊辰戦争の影響かな…)こちらも、状況が落ち着いたら、また参拝に伺わなければ😌
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