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さっぽろごこくじんじゃ

札幌護國神社

公式北海道 幌平橋駅

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 011-511-5421 FAX 011-511-5422

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惣一郎
2022年07月11日(月)
1172投稿

【北海道 古社巡り】

札幌護国神社(さっぽろ・ごこく~)は、北海道札幌市中央区南15条西5丁目にある神社。旧内務大臣指定護国神社。本殿の祭神は北海道開拓祭神、各戦役戦没祭神、公共殉職祭神、其他特殊祭神、多賀殿の祭神は伊邪那岐大神、伊邪那美大神、相殿奉斎(旧・山鼻神社祭神)、天照大御神、大山祗大神、天満宮大神、耳早立雄大神。

1879年(明治12年)に現在の札幌市北区北6条西7丁目に屯田兵招魂碑が建てられ、「札幌忠魂社」と称された。1911年に現社地の中島公園に遷座、1922年に札幌招魂社と改称、1933年に現在地に社殿が建てられた。1939年に札幌護国神社と改称し、内務大臣指定護国神社となった。昭和戦後に札幌彰徳神社と改称するも、日本独立後、旧称である札幌護国神社に復称した。1949年に多賀大社より祭神を勧請し、多賀殿を建立。1968年に社殿を焼失、1970年に再建。1972年に昭和天皇、香淳皇后が親拝した。

当社は、札幌市営地下鉄南北線・幌平橋駅の北西200mちょっとの、中島公園の南西端にある。中島公園との間には塀や垣根はないようで、境内は公園の一部といった感じでとっても広々している。敷地内には創成川が流れ、参道は神橋を渡って社殿に向かう形になっている。本社社殿周りの神域は回廊や建物で囲われていて、拝殿は両翼殿を従えている重厚な造り。綺麗に掃き清められている神域は、凛とした空気に満たされている。神域以外の敷地はのどかな雰囲気で、社務所や多賀殿がある。

今回は、指定護国神社であることから参拝することに。参拝時は平日の午前中だったが、この日は中島公園で北海道神宮の例祭イベントが開催されるせいか、境内にトラックがすし詰めで止まっているなど、なんとなく賑やかな雰囲気だった。自分以外にも何人か参拝者が訪れていた。

札幌護國神社の建物その他

境内東端入口にある<社号標>。公道に面したこの辺りには鳥居はない。

札幌護國神社(北海道)

参道を進んで左側にある<手水舎>。

札幌護國神社の鳥居

少し進むと創成川に架かる<神橋>が現れる。

札幌護國神社(北海道)

神橋を渡ったところにある<鳥居>。

札幌護國神社(北海道)

鳥居をくぐったところからの眺め。参道左側は公園のように一面の芝生。右側はトラックがぎゅうぎゅう詰めで停められている。北海道神宮の例祭の影響かな。

札幌護國神社(北海道)

神域入口にある<神門>。

札幌護國神社の狛犬

神門前左側の<狛犬>。割りと個性的、ちょっとマンガちっくな風貌。

札幌護國神社(北海道)

神門前右側の<狛犬>。こっちはもっと個性的。ギリシャ神話の羊の神みたい...(^_^;)

札幌護國神社の山門

いよいよ<神門>をくぐる。

札幌護國神社(北海道)

<神門>には社号を記した扁額が掛かる。

札幌護國神社の本殿

神門をくぐったところからの眺め。綺麗に掃き清めた地面に立派な社殿が映える。

札幌護國神社(北海道)

神域左側(南側)の建物。

札幌護國神社(北海道)

神域右側(北側)の建物。

札幌護國神社(北海道)

<拝殿>全景。唐破風も屋根も二重になっている。

札幌護國神社(北海道)

<拝殿>正面外側。

札幌護國神社(北海道)

<拝殿>正面内側。

札幌護國神社(北海道)

神域外にある<さざれ石>(左)と<天皇陛下御参拝記念碑>(右)。

札幌護國神社(北海道)

参道の左手、境内の南側にある<社務所>。御朱印はこちら。

札幌護國神社の山門

社務所から見た<神門>。緑が豊かで、気持ちがいい。(o^―^o)

札幌護國神社(北海道)

社務所の近く、東方にある<多賀神社>の鳥居。

札幌護國神社(北海道)

東向きに建つ<多賀神社>の社殿。

札幌護國神社(北海道)

最後に、もっとも印象に残った<社殿>全景。社殿、境内、上空が全てきれい~!(^▽^)/

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てまぽん
2022年09月22日(木)
167投稿

釧路厳島神社さまの境内社・釧路護国神社さまの件で書いた、「護国神社詣り」の一環です。
旭川の北海道護国神社さまの御朱印帳などを拝受しまして、それに「別立て」でお詣りして行こうと思いました。
丁度、今日は「給料日」の上、シフトの関係で「お休み」。「神社仏閣」の「固め打ち」に良い日和です。
「今日の午前」は、自転車で銀行に行ってお金を下ろし、両替機で「初穂料」を細かく両替をして。
そのまま自転車で地下鉄駅に行って、二か所ほど「神社さま」へお詣りしようと思いました。
お昼ご飯(1日1食しか食べません)の関係で、一旦自宅へ戻り、その後、バイクで神社仏閣を巡ろうと思いまして。
銀行の駐車場にしても、マチナカの「神社さま」に伺うにしても、バイクで行くにはちょっと都合が悪いんです。

と言う事で、まずは札幌護国神社さまへ伺いました。
地下鉄「幌平橋」に着きますと、彌彦(伊夜日子)神社さまと鎮座なさっております場所が似てますので、スマホの「グーグルマップ」に頼ることにしました。
今回は、「護国神社さま」のみをお詣りし、静かに退散するつもりでしたが・・・。
「ギャル」が10人ほど束になって、ワタシの後にお詣りを? とてつもなくやかましく、まるで「レジャーランド」のよう。
それが、「御朱印」を拝受する社務所まで続き、とてもとても、穏やかに「お詣り」できる雰囲気ではありませんでした。
普通の時期の「神社さま」とは思えなかったですね。「例祭」など「参道の露店」でなら解るのですけれども。
平日で、「祈りの場」、しかも国難で殉死した霊を祀る「護国神社」で、この様な「騒ぎ」に遭うとは、思ってもいませんでした。
本当にたまりません。
「御朱印」を拝受したら、そこそこに引き揚げてきました。

札幌護國神社の御朱印

花手水詣 御朱印

札幌護國神社の建物その他

標柱

札幌護國神社(北海道)

鴨々川をはさみ一の鳥居

札幌護國神社(北海道)

花手水

札幌護國神社(北海道)札幌護國神社(北海道)

本殿

札幌護國神社(北海道)

社務所・授与所

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歴史

 明治10年の西南の役に戦病没した屯田兵の霊を祀る。 有栖川熾仁親王により屯田兵招魂碑と題し、明治12年8月2日屯田兵司令部に於て祭祀を斎行する。明治40年2月中島公園に移転し、明治27・28年の日清戦争の戦病没者を合祀し、明治37・38年の日露戦争の戦病没者の合祀のため忠魂碑を建て、乃木将軍之を題す。昭和8年11月17日現在地に札幌招魂社を造営し官幣大社札幌神社に奉斎せる神霊を此処に奉還する。昭和11年昭和天皇北海道行幸の砌、祭粢料御下賜。昭和14年4月1日内務省指定の護国神社となる。終戦により昭和21年4月30日神社本庁に所属、同年12月12日札幌彰徳神社と改称する。昭和26年10月23日境内社多賀殿を奉斎神社本庁承認。昭和47年2月3日昭和天皇皇后両陛下御親拝。昭和54年7月6日札幌護國神社御創祀百年奉祝祭。平成7年8月15日天皇陛下奉幣臨時大祭執行。

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札幌護國神社の基本情報

住所北海道札幌市中央区南15条西5丁目1番地
行き方

地下鉄南北線幌平橋下車徒歩5分、市電行啓通下車徒歩5分

アクセスを詳しく見る
名称札幌護國神社
読み方さっぽろごこくじんじゃ
通称札幌護国神社
御朱印あり

限定御朱印あり
御朱印の郵送対応あり

御朱印帳あり
電話番号 011-511-5421 FAX 011-511-5422
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
ホームページhttp://s-gokoku-jinja.sakura.ne.jp/
おみくじあり
お守りあり
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詳細情報

ご祭神護国の神霊 25,537柱
ご由緒

 明治10年の西南の役に戦病没した屯田兵の霊を祀る。 有栖川熾仁親王により屯田兵招魂碑と題し、明治12年8月2日屯田兵司令部に於て祭祀を斎行する。明治40年2月中島公園に移転し、明治27・28年の日清戦争の戦病没者を合祀し、明治37・38年の日露戦争の戦病没者の合祀のため忠魂碑を建て、乃木将軍之を題す。昭和8年11月17日現在地に札幌招魂社を造営し官幣大社札幌神社に奉斎せる神霊を此処に奉還する。昭和11年昭和天皇北海道行幸の砌、祭粢料御下賜。昭和14年4月1日内務省指定の護国神社となる。終戦により昭和21年4月30日神社本庁に所属、同年12月12日札幌彰徳神社と改称する。昭和26年10月23日境内社多賀殿を奉斎神社本庁承認。昭和47年2月3日昭和天皇皇后両陛下御親拝。昭和54年7月6日札幌護國神社御創祀百年奉祝祭。平成7年8月15日天皇陛下奉幣臨時大祭執行。

Wikipediaからの引用

概要
札幌護国神社(さっぽろごこくじんじゃ、札幌護國神社)は、北海道札幌市中央区にある神社。護国神社の一つである。 1879年(明治12年)に、西南戦争で戦没した屯田兵の霊を祀るために建立され、以後各戦争における戦死者の霊を合祀してきたが、1949年(昭和24年)9月より多賀大社の祭神を勧請し、次いで1971年(昭和46年)9月に山鼻の鎮守であった山鼻神社の祭神を合祀し、現在に至る。 そのため、同社は創建当初からの祭神を祀る本殿と、多賀大社より勧請した神々および旧・山鼻神社の祭神を祀る多賀殿(多賀神社)から構成される。
歴史
沿革[編集] 1879年(明治12年) – 現在の札幌市北区北6条西7丁目に屯田兵招魂碑が建てられ、札幌忠魂社と称される[1]。 1911年(明治44年)2月 – 中島公園に移る[1]。 1922年(大正11年)7月1日 – 札幌招魂社と改称する[1]。 1933年(昭和8年) – 現在地に社殿が建てられる[1]。 1939年(昭和14年)4月1日 – 札幌護國神社と改称し、内務大臣指定護国神社となる[2]。 1946年(昭和21年) 4月30日 – 神社本庁の所属となる[2]。 12月12日 – 札幌彰徳神社と改称する(日本の独立承認後、札幌護國神社に復称)[2]。 1949年(昭和2...Wikipediaで続きを読む
引用元情報札幌護国神社」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E6%9C%AD%E5%B9%8C%E8%AD%B7%E5%9B%BD%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=91936971

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