しんとつかわじんじゃ
新十津川神社のお参りの記録一覧
新十津川には若いころ3年ほど長期出張しており、ちょっと思い入れのある町です。
なのに新十津川神社には初参詣でした。
鳥居の神額にはうっすらと玉置神社と書かれています。
もともと奈良県十津川村から移住して開拓された町ということもあり、神社も十津川村の玉置神社の分社として創建されたという歴史があります。
昭和42年に新十津川神社と名前を改めたようですが、鳥居と拝殿にかかる神額はには、当時のまま玉置神社と記されています。
参道には一組の狛犬がありました。
阿形の狛犬は玉をくわえており、口の中で動きます。
かなり古そうに見えましたが、台座には平成元年6月建立と書かれており、意外と新しい狛犬でした。
拝殿前にも小さな狛犬が置かれていました。
こちらは明治33年9月と刻まれており、神社が創建されてまもない時期に奉納されたもののようです。
参拝後、授与所に行くと、インターホンが設置されていました。
いちおう押してみたものの、反応はありません。
社殿付近にも住居の方にも、車は1台も見当たりません。
宮司さんはお忙しい方で不在のことも多いとの事前情報を目にしていたので、想定内のことです。
また参拝にいらっしゃいということだと思い、新十津川神社を辞しました。
母と一緒に温泉帰りにお詣り。御朱印いただけるかな〜と建物に向かってぶらぶら歩いていたら丁度宮司さんの車が帰ってきて、初めてお書き入れが叶いました。兼務社が多くて超多忙なことで有名な宮司さんなので、ラッキーでした。
雪のない時期のお詣りは久しぶりです。
車を止めた途端に目に飛び込んでいたのは一面のエゾエンゴサク。
カタクリとエゾエンゴサクは浦臼神社が有名ですが、母を連れては難しそうなので、こちらで見ることができてよかったです。
石造りの神輿殿とカタクリの花。
せっかく新十津川まで行ったので、新十津川神社にもお詣りに。今日は色々な神様にお詣りできました。(追記:数えてみたら20柱くらいいらっしゃいました)
この先、北の方の空は曇り。お天気がいいうちに帰ります。
授与所を覗いていたら獅子頭を発見。帰宅して袋から出したら、口がバネで開く構造になっており、嬉しくなって家族の頭にカチカチしました。
持って歩いているうちにちょっとシワシワになっちゃいましたが、授与品を入れてくださった袋も可愛い。
【北海道 古社巡り】
新十津川神社(しんとつかわ~)は、北海道樺戸郡新十津川町字中央にある神社。旧社格は県社。祭神は國常立尊、伊弉諾尊、伊弉冉尊、天照大神、神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこ)。
1890年、新十津川村の村人が神社設立の協議を行い、奈良県十津川村の玉置神社の分社を創建することとなり、翌年徳富川畔に仮殿を設置した。1894年近隣に社殿を完成するも、1898年に石狩川の大氾濫で被災、1899年に高台に遷座し、1900年に社殿を造営した。1923年に村社に列し、その後1930年に郷社、1943年に県社に昇格した。
当社は、JR函館本線・滝川駅の北西3kmの小高い丘の上にある。石狩川の西岸から、国道451号線を西方に600mほど緩やかに登った場所で、周りは広々とした耕作地が広がっている。国道に面して広がる境内も広々としていて、柵や壁はなく、鳥居が道から奥まっているため、クルマで国道を走っていても気付きにくいかもしれない。樹木がほど良く間引かれているため境内は明るく、アスファルトの参道を歩くと、公園を歩いているような気持ち良さがある。
今回は、北海道の旧県社ということで参拝することに。参拝時は午後、自分以外には参拝者は見掛けなかった。
境内南端東寄りにある<社号標>。ただし、ここは参道入口ではない。
参道は先ほどの場所の西寄りにあるこちら。入口から広々。
こちらは、石製の<一の鳥居>。
参道左側の<狛犬>。北海道でよく見かける黒色の石材。凛々しい風貌。
参道右側の<狛犬>。古い狛犬でよく見かける風車の模様は入っていない。
参道左側の、簡素な<手水舎>。
参道を進むと、青銅製の<二の鳥居>。
<拝殿>全景。
<拝殿>正面。面白い形の扁額には「玉置神社」とある。
<拝殿>内部。
拝殿後ろの<本殿>。
拝殿に向かって右手にある<社務所>。
拝殿に向かって左手にある<鎮座百年記念碑>。
御朱印は、写真後ろの宮司さん宅にて。
記念碑の後ろにある<御神輿庫>。扉の脇には「本村居住四國出身者」、「大正九年(1920年)六月」と書かれている。百年前の建物ですね。
最後に<社殿>全景。銅板葺の屋根、木造の躯体ともに良い味わいが出ている。(^▽^)/
鳥居がある参道は比較的新しいのか、駐車スペースから社殿までは明るく開けていますが、来る時から気になっていた、右側の社号標が残る立派な石段側にも行ってみました。旧参道でしょうか、木立に囲まれた厳かな雰囲気です。脇にたつ大きな碑の辺りに足を踏み入れると、パキパキという音が。他にも誰かいるのかな?と見回すも、だれもいません。再び音が上の方から聞こえてきたので見上げてみると、頭上は忙しなく行き交う鳥達で賑わっていて、音を立てていたのはアカゲラでした。
一ノ鳥居
ニノ鳥居
鄙びた感じの佇まいも趣があります。屋根がかかる賽銭箱を初めて見ました。
社号標が残る石段
石段から進むと左手に出てくる鳥居。突き当たりはニノ鳥居の手前。
立派な石の御神輿庫がありました。扉横には奉納された時期と、四国出身者の文字が大きく刻まれていました。
奉納者の個人名が壁に直接刻まれています。
本殿の扁額は「玉置神社」(๑•̀ㅂ•́)و✧
豪雪地帯❄「新十津川神社」雪の本殿に参拝です。
「力仕事の後だから(手のコンディション)大丈夫かなー」と、鮮やかな色のツナギが決まった宮司さん✨
エネルギッシュな方で、素晴らしい御朱印とパワーいただきました。
除雪に雪下ろし、忙しい中でのご対応に感謝です。
故郷の地名を繋ぎ🗾故郷の神様を祀った神社⛩なんだか優しい気持ちになりました。
以前、奈良に住んでいた時「玉置神社」を知らなかったことが悔やまれます。
でも、マップで確認すると和歌山の方が近い…
御朱印にも、玉置神社への思いが感じられます。
(初穂料は500円)
扁額〜玉置神社
本殿右側は、旧社務所へと繋がります
本殿〜趣きある佇まい
五柱の御祭神に参拝🙇
社務所(ご自宅)本格的な屋根の雪下ろし!
ホントにすごい雪で大変そうでした😣
一の鳥居も玉置神社でした!
拝殿の狛犬さん
御賽銭箱
参道の狛犬さん
参道は1mくらいの高さの雪
こちら、本殿の右側~入口上部の欄間が素敵でした!
二の鳥居
一の鳥居
明治22年奈良県十津川村の有する吉野郡一帯の豪雨により、生活の方途を失った人々が北海道へ移住し奈良県十津川の玉置神社5柱の御分霊を奉斎
母村の玉置神社は上代神武天皇がご東征の折玉置山で休まれたと伝えられ白河法皇9回、鳥羽法皇は20数回、後白河法皇は32回、後鳥羽法皇31回、後嵯峨法皇2回、亀山上皇1回という大変な数の参拝を数えると伝わる高貴な由緒の神社。
御祭神は
國常立尊(くにのとこたちのみこと)
伊弉諾尊(いざなぎのみこと)
伊弉冊尊(いざなみのみこと)
天照大神(あまてらすおおかみ)
神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと)の五柱。
宮司様のお話ではこの御祭神をお祀りしている神社を探し全国から参拝にくるとか。
「昨日も埼玉から来た人に三回目でやっと会えて御朱印を書いたんだよ、電話してくれればいいのに。飛行機代もかかるのに、運試しだというんだよ、この三回目に人生賭けたっていうんだよ、凄いよね~」
「きのうは沢山御朱印をかいたんだよ」
「昨日は大雨でしたよね」
「みんな根性だね」
「・・・・」
「今日はだれも来なくていい感じに仕事してたんだよ」
「す、すみません・・・・」
「いいんだよ、8社兼務してるから、いない事多くて、電話してから来た方がいい
よ」
「でも、電話もご迷惑かと思って…。頂けなければまた来ようと…」
「神社にはそれぞれの≪気≫があるからね。御朱印はもらったほうがいいんだよ」
御朱印を書きながらお話してくださいました。
9月4日のお祭りに向けて氏子(多分)の方々と大掃除の最中にありがとうございました。
そして、シャツに作業ズボンで脚立に乗って作業したらっしゃった方に
「神社の方はいらっしゃいますか?」と尋ねたら「俺、ここの宮司」と…😱😱
沢山の人が灯篭や行灯に脚立をたてて作業中。工事中かとおもうほど。
なので写真少な目です。
お賽銭箱の前に「はしご」がかかっておりますがお参りさせていただきました。
氏子総代の方と間違えてしまって、平誤りの私に、本物?の氏子さんが「いいんだよ、一番下っ端なんだからガハハ!」
温かい神社さんです。
今年の初御朱印は念願かなって新十津川神社の御朱印でした。今日一日で最悪の天気の時に参拝となりましたが、力強い御朱印にパワーをいただきました。
写真では人影が少ないですが、駐車待ちになるくらいに人が来ていました。
厳しい自然環境と対峙しなくてはならなかった開拓の昔を偲ばせるような吹雪の参拝。
駐車場→鳥居→表参道→社殿→授与所という人の流れができているようで、逆行する人が見当たらず、かつての参道は除雪されておらずで、帰りは鳥居をくぐらないまま鳥居横から駐車場に出るというルートでした。
御朱印が一緒に表示されないので、こちらにも写真を載せておきます。
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