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るべしべじんじゃ

留辺蘂神社
公式北海道 留辺蘂駅

参拝/24時間
授与所受付時間/午前9時~午後5時

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御朱印について
御朱印
あり

現在5種類の御朱印があり、全て別紙でのお渡しとなります。
御朱印帳をお持ちでなくても受けられますので、御参拝の折には是非。
①留辺蘂神社【通常版御朱印】
②留辺蘂神社【月参り御朱印】
③留辺蘂神社【四季参り御朱印】
④聖徳太子神社の御朱印
⑤温根湯神社の御朱印

限定
あり
御朱印帳にお書き入れ
-
書き置きのみ
御朱印帳
-
ありません
パーキング
駐車場
あり

社務所前 5台ほど

おすすめの投稿

くま
2024年04月08日(月)
12投稿

本日は、事前に参拝日時をお知らせして参拝しました。
昨年11月より新たな着任した宮司さまと禰宜さまの情報発信や色々な御朱印に興味があり参拝しました。
また、境内社の聖徳太子神社の由緒等の情報色々勉強させていただきました。
月参りの御朱印もあるので、できるだけ参拝に伺いたいと思っています。

留辺蘂神社の御朱印

留辺蘂神社通常の書置き御朱印です。

留辺蘂神社の御朱印

留辺蘂神社月参りの御朱印です。
十二支月毎変わるので、4月は卯。

留辺蘂神社の御朱印

留辺蘂神社四季参り『春』の御朱印

留辺蘂神社の御朱印

留辺蘂神社境内社の聖徳太子神社の御朱印

留辺蘂神社(北海道)

留辺蘂神社の左手制札と石燈籠と参道

留辺蘂神社(北海道)

一ノ鳥居と遠くニノ鳥居

留辺蘂神社(北海道)

ニノ鳥居から社殿を伺います

留辺蘂神社(北海道)

留辺蘂神社の由緒書き

留辺蘂神社(北海道)

手水舎になります。

留辺蘂神社(北海道)

伏せた珍しい左手狛犬です。
大正8年の記載。

留辺蘂神社(北海道)

伏せた珍しい右手狛犬です。

留辺蘂神社(北海道)

神輿殿になりますが、保管している神輿の出番は秋祭りの際ですが担ぎ手不足で
今はトラック🚚で渡御との事で、時代仕方ないですが寂しい限りです。

留辺蘂神社(北海道)

留辺蘂神社の拝殿になります。

留辺蘂神社(北海道)

達筆な留辺蘂神社の扁額です。

留辺蘂神社(北海道)

聖徳太子神社の碑文になります。

留辺蘂神社(北海道)

聖徳太子神社の幟と鳥居⛩️になります。

留辺蘂神社(北海道)

聖徳太子神社の社殿になります。
千木等の老朽化がめだちますが、歴史を感じられていいですね。

留辺蘂神社(北海道)

留辺蘂神社の社殿内了解いただき撮影しました。

留辺蘂神社(北海道)

社殿内の様子です。

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歴史

【留辺蘂神社】
明治45年7月30日明治天皇崩御在らせられた際、市街地有志の斉藤喜一郎外7名が謀り現在明治天皇の碑の箇所に遥拝所を設け、市街住民一同御遺徳を仰ぎ奉り遥かに哀悼の微意を表わしてきた。爾来此の地を記念し小祠を建て天照皇大神の神霊を奉斎し、年次例祭を執行した。大正15年留辺蘂神社として創立の許可を受ける。昭和2年に村社に列せられ昭和21年宗教法人となる。

【聖徳太子神社】留辺蘂神社の境内社
現存している昭和五十七年の聖徳太子神徳讃仰之碑より、明治40年~同43年(西暦1907年〜同1910年)頃に留辺蘂町で太子講が設立され、聖徳太子を祀る標柱(神社の前身)を建立し、聖徳太子の神徳を仰ぎ毎年例祭を斎行して来たことがわかる。
かつて存在した太子講という組織は実質すでに無く、当時を語り継ぐ者は居ない。
現存する聖徳太子神社の社殿が具体的にいつ創建されたかは不明であるが、御幣に「昭和5年6月15日奉納」と記されているため約94年程前には社殿が存在していたと推測される。(令和6年現在)
それ以前の太子講設立から20年余りという空白の期間は、社殿がどのような形状をしていたのか不明である。

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名称留辺蘂神社
読み方るべしべじんじゃ
参拝時間

参拝/24時間
授与所受付時間/午前9時~午後5時

トイレなし
御朱印あり

現在5種類の御朱印があり、全て別紙でのお渡しとなります。
御朱印帳をお持ちでなくても受けられますので、御参拝の折には是非。
①留辺蘂神社【通常版御朱印】
②留辺蘂神社【月参り御朱印】
③留辺蘂神社【四季参り御朱印】
④聖徳太子神社の御朱印
⑤温根湯神社の御朱印

限定御朱印あり
御朱印帳に直書きなし

御朱印帳なし
電話番号0157-42-2253
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詳細情報

ご祭神天照皇大神、大山津見大神、布都御魂大神、布留御魂大神、布都斯御魂大神
創建時代明治45年
本殿神明造
ご由緒

【留辺蘂神社】
明治45年7月30日明治天皇崩御在らせられた際、市街地有志の斉藤喜一郎外7名が謀り現在明治天皇の碑の箇所に遥拝所を設け、市街住民一同御遺徳を仰ぎ奉り遥かに哀悼の微意を表わしてきた。爾来此の地を記念し小祠を建て天照皇大神の神霊を奉斎し、年次例祭を執行した。大正15年留辺蘂神社として創立の許可を受ける。昭和2年に村社に列せられ昭和21年宗教法人となる。

【聖徳太子神社】留辺蘂神社の境内社
現存している昭和五十七年の聖徳太子神徳讃仰之碑より、明治40年~同43年(西暦1907年〜同1910年)頃に留辺蘂町で太子講が設立され、聖徳太子を祀る標柱(神社の前身)を建立し、聖徳太子の神徳を仰ぎ毎年例祭を斎行して来たことがわかる。
かつて存在した太子講という組織は実質すでに無く、当時を語り継ぐ者は居ない。
現存する聖徳太子神社の社殿が具体的にいつ創建されたかは不明であるが、御幣に「昭和5年6月15日奉納」と記されているため約94年程前には社殿が存在していたと推測される。(令和6年現在)
それ以前の太子講設立から20年余りという空白の期間は、社殿がどのような形状をしていたのか不明である。

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