みわじんじゃ
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美和神社について
延喜式内社、桐生の恵比寿講で恵比寿様と対になる大黒様。
普段は無人社で、御朱印は桐生天満宮にて受印可。
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上野国山田郡の式内社です。字は違いますが奈良の大神神社を本宮とする三輪信仰の神社です。
崇神天皇さまの御代に創建されたといわれていますが、ちょうど同じ頃に大和の大神神社では疫病が流行り、大田田根子さんを祭主として祀るよう神託が降ったと伝わります。もしかしたら同じように上野国でも疫病が流行り、その神徳にあやかるために勧請したのかもしれません。
《鳥居と社号碑》
鳥居は近いところに2箇所あります。
《神楽殿》
《手水舎》
水は枯れていました。
《拝殿》
銅板葺きの屋根に中央に破風がついたスタンダードな建築です。
《扁額》🙏
《八意思兼神社》
単立の摂末社で祀られているのは珍しいですね。
《機神神社》
近所の桐生天満宮にもありましたね。
《八坂神社の神輿蔵》
こちらは美和神社に合祀されている八坂神社の祭礼である桐生八木節まつりの神輿が安置されています。この八木節まつりは桐生祇園祭とも呼ばれ桐生市最大のお祭りとして300年の歴史を重ねています。
ここで奏でられる八木節は、世代によっては音楽の授業なんかで触れたことがあるのではないでしょうか。
私も今Youtubeで調べてみましたけど、ものすごく懐かしい思い出が蘇りました。
《社務所》
普段は無人で桐生天満宮が兼務しています。そちらで御朱印を書き置きでいただきました。
美和神社(みわ~)は、群馬県桐生市にある神社。式内社で、旧社格は郷社。祭神は、大物主櫛甕玉命、素戔嗚命。
社伝によると、崇神天皇の御代に、大和国の三輪山から勧請して創建。『日本後紀』には、平安時代初期の796年、同じ上野国の賀茂神社とともに官社に列したとの記載がある。927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載される「上野国 山田郡 美和神社 小」に比定されている。明治時代には、近代社格制度の下、郷社に列し、近隣の八坂神社(もとは牛頭天王を祀る衆生院)を合祀した。
当社は、JR両毛線・桐生駅の北東1kmの、桐生市中心街から少し離れた住宅街のような場所にある。当社の前には<山手通り>という大通りが通っているが、その脇の小丘の上に当社含め、合祀した神社がそれぞれちゃんと社殿を持ち、神社のデパートのようになっている。
今回は、上野国の式内社ということで参拝することに。参拝時は週末の午後、自分以外には特に参拝者はいなかった。
※当社の御朱印は、北東に1km弱離れたところにある桐生天満宮の宮司さん宅で拝受できる。
境内全景。境内は手前の大通りより高い場所にある。
まず境内東端に<鳥居>と<社号標>があるので、ここから境内に入る。
ただ、社号標には<延喜式内 郷社 美和神社>と書かれているものの、鳥居の石扁額と後ろの由緒書きは<桐生西宮神社>のもの。
なんで? (。´・ω・)?
少し登って右側にある大きな<手水舎>。
丘の上方を見上げると、いくつもの鳥居や社殿が見える。さて、どれが<美和神社>でしょう...?
左後ろを振り返ると建物があって、看板には<美和神社社務所>とある。無人社なのに立派な社務所。
では境内左側(南側)に<美和神社>があるのかな?
左方向に進むと、また<手水舎>が現れる。
階段の上の<社殿>を見上げる。<狛犬>はオーソドックスなもので、わりと新しそう。
<拝殿>全景。旧郷社として大き過ぎず小さ過ぎず、ほど良いサイズ。きれいにされている。
<拝殿>正面。無人社だが、ちゃんと扉が開かれている(すばらしい!)。<美和神社>と書かれた扁額が、外側にも内側にも掛けられている。
<社殿>全景。
拝殿後ろの<本殿>。拝殿よりも古いのか、年季が入っているように見える。
社殿右側にある神輿蔵。扁額には<八坂神社 神輿蔵 明治41年建立>とある。隣に<八坂神社と神輿>についての由緒書きも立っている。
美和神社の社殿脇にあるのに、美和神社の物ではないみたい...(^_^;)
拝殿に上がる階段下の左手にある<神楽殿>。
こちらは<八意思兼神社>。
八意思兼神社の右隣にある小祠。両側に常夜燈を従えている。
ここから<美和神社>の右側(北側)を順に見て廻る。まず美和神社の右隣にある<松尾神社>。こちらも独立して鳥居と手水舎がある。
松尾神社の右隣にあるのが<琴平神社>。山頂に社殿がある。
最後、一番左側にある社殿への階段を登る。
こちらが山頂にある<西宮神社>。扁額には<西宮大神宮>と書かれている。
この小山一つに、鳥居、社号標、手水舎がいくつもあって、それぞれに大きな社殿がある不思議な神社。
メインは<美和神社>だと思われるが、<美和神社>の由緒書きはなかった...なんでかな? (。´・ω・)?
桐生天満宮で受印。
式内社ということですが自分はあまり社格自体には興味がないので、むしろ受印したので拝みに行ったという感じw
この神社の何よりのネックは周辺に駐車場かないことなんすよね( ´-ω-)
当初は同じ並びにあるお寺3軒(円満寺、寂光院、妙音寺)も回ろうと思ってたので、そのどれかの駐車場借りて徒歩で回ろうと思ってたのですが、祭りの情報に惑わされて親が着いてきてしまったので寺に寄れなくなった(>_<)
隣の西宮神社の恵比寿講が大変賑わうそうですがその時どうしてるんだろ(´・ω・`) 前の小学校の校庭でも開放されるのかな?
当初はチト距離があるが、桐生が岡動物園の駐車場でも借りて山を下ってくるかとか考えたのですが、周辺を回ってたら神社の裏の方の高台にちょっとした空き地があったので、そこに止めさせてもらっちゃいました(^^;
ここ西宮神社と続き境内になってるのでどちらかがどちらかの境内社だろうと思ってたのですが、一応別枠で登録されてるんですね。
ちょっと境内社の一部がどちらに属するのかわからなかったのですが、立地的にとりあえず松尾神社までは美和神社、琴平神社は西宮神社の領分として投稿することにしました。
兼宮神社の由緒に載せたのですが、桐生には桐生七社というのも定められてるそうです。
二渡神社・桐生天満宮・兼宮神社・日枝神社・常祇稲荷神社・美和神社・白髭神社
はからずもこれで六社制覇。 もう一つの二渡神社も前日行った梅田にあったのですが、その時点では兼務関係がわからなかったので寄らず。
調べたところなんと桐生天満宮が兼務してるらしいので、後で桐生天満宮再訪ののち行ってみようかと思ってます。
できれば七社全部受印したいので、白髭神社の本務社の常祇稲荷神社にももう一度行ってみるつもり。
・・・まぁ受印情報が出てこないのでたぶんこの二社は御朱印ないと思うが(^^;
神社の裏手に急な坂道があり、そこを登った所にちょっとした草むらの空き地があったのでお借りしちゃいました
神社西側の道を歩いて正面に向かう途中、横から入れる鉄階段があったがここからは上がらず
表に回ってすぐ入口がありましたが、どうもこれは脇参道っぽかった
脇参道の鳥居
階段がかなり歪んでる(^^;
山神社じゃよく見るけど市街地の神社ではあまり見ない、そんだけ古社ってことか・・・
脇参道よりさらに右、西宮神社に近い方にもう一つ鳥居あり
こちらが表参道らしい
左を見ると先ほどの鉄階段
上はちょっとしたトラップになってた・・・こちらから上がらなくて正解w
右手側に社務所
なかなか立派ですが普段は無人(*_*)
式内社でも無人のところもあれば、無格社でも参拝客がひっきりなしに来るところもある
やはり現代において社格など無意味w
拝殿
開放されてましたが特にこれといったものはなし
境内社多し、まず左から
おっと!昨日に引き続きここも八意思兼神の神社
足利じゃあまり見ない祭神だけど桐生は多いな
左の石祠は機神神社
八坂神社
ここも八坂神社が御輿蔵を兼ねてるのか
なぜどこの神社でも八坂社が御輿蔵になってるのか調べてみたけど明確な理由はわからず
やはり祇園祭りが関係してるっぽいんですが・・・
筆塚
後ろの祠は母衣輪神社だそうです
無人社なのでまだ未踏だが(^^; うちの近くにも母衣輪神社あり
母衣=武具のことでヤマトタケルとかニニギを祀ってるそうです
右側にも境内社あり
水なしですが境内社独自の手水舎あり
松尾神社
この右に琴平神社がありますが、どうもそちらは西宮神社の領分ぽいのでまた次回
松尾神社側から見た美和神社の本殿
歴史
崇神天皇の代に大和国の三輪山から勧請したと伝わる。 『日本後紀』に、延暦15年(796年)に賀茂神社とともに官社に列したと記されている。
明治41年(1908年)に本町三丁目の八坂神社(もとは牛頭天王を祀る衆生院)を合祀した。
名称 | 美和神社 |
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読み方 | みわじんじゃ |
参拝時間 | 参拝自由 |
参拝にかかる時間 | 約10分 |
参拝料 | なし |
トイレ | なし |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | なし |
電話番号 | 0277-22-3628(桐生天満宮) お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
詳細情報
ご祭神 | 大物主櫛甕玉命 素戔嗚尊 |
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ご神体 | 不詳 |
創建時代 | 崇神天皇代 |
創始者 | 不詳 |
ご由緒 | 崇神天皇の代に大和国の三輪山から勧請したと伝わる。 『日本後紀』に、延暦15年(796年)に賀茂神社とともに官社に列したと記されている。
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体験 | 御朱印祭り札所・七福神巡り夏詣 |
Wikipediaからの引用
概要 | 美和神社(みわじんじゃ)は、群馬県桐生市宮本町にある神社。式内社で、旧社格は郷社。 |
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歴史 | 歴史[編集] 崇神天皇の代に大和国の三輪山から勧請したと伝わる[1]。 延暦15年(796年)に賀茂神社とともに官社に列した(『日本後紀』)[2]。 元慶4年(880年)賀茂神社、甲波宿禰社、小祝社とともに正五位下勲十二等(『三代実録』)[2]。 『上野国神名帳』では「従一位美和大明神」として見える[1]。 天正年間に火災で旧記社宝を悉く焼失したという[1]。 もとは円満寺が別当寺であったとされ、江戸時代には小島一族が両者を管轄した[3]。 明治5年(1872年)11月、郷社に列せられる[1]。 明治41年(1908年)に本町三丁目の八坂神社(もとは牛頭天王を祀る衆生院)を合祀した[4]...Wikipediaで続きを読む |
引用元情報 | 「美和神社 (桐生市)」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E7%BE%8E%E5%92%8C%E7%A5%9E%E7%A4%BE%20%28%E6%A1%90%E7%94%9F%E5%B8%82%29&oldid=101958614 |
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