ひだいちのみやみなしじんじゃ
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楽しみ方飛驒一宮水無神社のお参りの記録一覧
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富山県から帰り道の岐阜県神社⛩️
❻水無神社
高瀬神社で富山県の神社巡りを終了し、帰路の岐阜高山廻りで水無神社さんを参拝させて頂き帰宅しました。
古社の落ち着いた雰囲気と神聖な空気感を味合わせて頂きました。
回廊門の木の狛犬さん歴史感溢れていました。入り口の狛犬さんはそちらを真似て石で再現された感じです。
絵馬殿には干支の絵馬の他に古くからの奉納絵馬が飾られています。
絵馬殿も歴史を感じたところ、現在の拝殿に建て替えられた前の拝殿だと書かれていました。
神馬にも伝説が有ります。
稲喰神馬(黒駒)作者は不詳、古来より名匠「左甚五郎」の作と言い伝えられています。
昔々に毎夜厩舎を出て農作物を荒らし、収穫の頃の稲穂を食ったとして村民が黒駒の両目を抜き取ったところ、以来耕作地を荒らすことが止んだと伝えられます。
此の神馬は極めて素朴な作りだが、解体は至難の業と言われる。
祈晴の神馬(白駒)
元は黒駒で作者は飛騨の工匠の武田万匠とされます。明治15年に大池宮司が体は白く尾と髪が黒い川原毛と呼ぶ彩色に塗り換えました。その時に腹に武田の銘が入っていたといわれます。
古来祈晴れの神馬として連日の降雨、毎年例祭前の祈晴祭には神前に黒駒と共に引き揃えて祈晴祭を執行する古例があります。
明治36年に行われた大祭では、飛騨一円の博労衆が醵金(きょきん)して、再び黒馬に塗りかえ、その後に大正天皇の御大典の記念として現在の白月毛に化粧され、台輪も金具付きの立派なものになったといわれます。これらの神馬は一宮の神馬として牛馬安全の信仰が極めて篤く、神札絵馬等にして授与しています。
御祭神
飛騨一宮水無神社(ひだいちのみや みなしじんじゃ)では、主祭神の御歳大神(御年大神、みとしのおおかみ)と十四柱の相殿神を中心に、飛騨一円の神々を奉祀しています。水無神(みなしのかみ)の名は平安時代中期に編纂された格式「延喜式(えんぎしき)」に記載され、飛騨国の一宮と称されて飛騨国中の宗祀として現在に至るまで篤い信仰を受けています。社名の水無は諸説あり「水主(川の水源をつかさどる神)」の意味であり、『みなし』(水成)または、『みずなし』とも読み、俗に『すいむ』と音読することもあります。
朝5時に出発して富山県で五社と岐阜県で一社の六社を廻らせて頂き、帰宅は午後7時でした。
平日なので参拝者も少なく充実した参拝ができました。(妻からは次の日仕事なのに歳を考えて行動しろと痛い叱責が😅)

本日最後の神社です。一宮だけあって大きな神社です。参拝時にはどなたも参拝者はいませんでした。シンプルで境内社も少なく、拝殿前の境内は何もありません。気温のせいもあるのでしょうが、付近でも歩いている人も見かけません。時間がゆったりど流れているようでした。地方では護国神社・東照宮と一之宮にはできるだけ参拝しようと思っていますので、高山の中心地からは離れていますが最後に訪れました。格の高い神社は往々にして拝殿前まで立ち入ることが出来ないのが残念。祭事などの時には入れるそうですが、なかなかスケジュールを組むことは困難。西南方の位山を神体山としており、頂上には奥宮の社がある。しかし里宮の拝殿はこの位山を拝む方角にはありません。高山で見てきた大原騒動の舞台の一つにもなっている神社で、その際宮司様が処刑され、世襲だった宮司職もよそから派遣されるようになった。当時は寺社も純然たる宗教施設ではなく権力施設だったことも影響しています。昭和の戦時下には熱田神宮より御神体の天叢雲剣(草薙剣)が一時避難していたこともあった由緒のある神社です。末社も回廊内に祀られていることもあり、広大ですっきりとした神社でした。こちらの神社は参拝するまで全く知らなかったので参拝できて良かった!
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