よこくらじ|天台宗|両界山
横蔵寺岐阜県 鍋原駅
10時〜16時(宝物殿と舎利堂)
御朱印 | |||
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限定 | - | ||
御朱印帳 | - | ||
駐車場 | あり(時期により300円) |
本日最後は華厳寺から車で10分ほどの同じ谷汲にある横蔵寺です。ここは知る人ぞ知るミイラ(即身仏)のあるお寺です。なぜかずっと前から知っていました。お寺自体は平安時代開山となっていて多数の文化財を保有している由緒あるお寺です。記念すべき100投稿目になるので頑張ります!
さあ始まりです。
案内図がありました。私の好きな三重塔もあります。
赤い橋を渡ります。
私の好きな風景。
今日は目の保養になる景色が多いです。
仁王門です。江戸時代初期に完成。
そして三重塔。こちらも江戸時代初期に完成。周りの風景に溶け込んでいます。
本堂です。こちらも江戸時代初期に完成です。3棟とも県指定重文です。
扉が閉まっていたので、外からお参りしました。
弁天池。
また川を渡りましたが、向こうに見える橋が気になりました。
これは凄い! 恐れ多くて渡れません!
違う橋を渡ると瑠璃殿がありました。こちらには国指定の重文が数多く収蔵されており、「美濃の正倉院」とも呼ばれています。
瑠璃殿に入るには拝観料が必要です。入りましたが撮影禁止になっていました。1番インパクトがあった仏像がパンフに載っていました。
木造深沙大将立像です。平安時代作です。形相が凄いです。夢に出て来そう😱
反対側の舎利堂にミイラが安置されています。瑠璃殿と共通券で拝観できました。ミイラの主は妙心上人という方です。230年ほど前に横蔵に生まれました。若くして両親に先立たれて、仏道修行のため巡礼の旅に出て、日本各地を巡られました。そして信濃の善光寺で修業して受戒されました。富士山信仰の先達として修行を深めた結果、37歳にして山梨の御正体山の洞窟で断食して入定されました。巡り巡って明治になって生まれ故郷の横蔵寺に祀られることになりました。撮影禁止ですがパンフに白黒写真が載っていましたので次に紹介します。
実際は環境維持のためか照明が暗く、これほどはっきりとは見えませんでした。恐怖心どころか神聖な感じが強かったです。若くして入定する決心した思いを考えると胸が熱くなり、知らないうちに手が合わさっていましたね。🙏 ありゃ、いつの間にか深夜になっていました。なお、御朱印は瑠璃殿で頂けました。ありがとうございました。
延暦二十二年(803)に伝教大師最澄が自作の薬師如来像を安置して創建したと伝えられる。
元亀二年(1571)織田信長の兵火で焼失し、現在ある本堂、三重塔、仁王門などの主要伽藍は江戸時代の復興である。
織田信長の比叡山焼き討ちによって、延暦寺の伽藍が灰になった後、横蔵寺の本尊薬師如来像は、「延暦寺本尊と同じ霊木から造られた、最澄自作の像」という由緒ある像だということで延暦寺に移された。その代わりに、洛北の御菩薩池から移されたのが、横蔵寺の現本尊である薬師如来像であると伝わる。
地元出身の妙心法師は清浄無垢、所行をつんで文化十四年(1817)三十七歳の時に白木の棺に安座し、断食の末に入定を遂げました。
舎利弗(ミイラ)は加工手術を全く加えず天然自然に化身したもので学術的にも貴重な資料とされている。
名称 | 横蔵寺 |
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読み方 | よこくらじ |
参拝時間 | 10時〜16時(宝物殿と舎利堂) |
参拝料 | 500円(宝物殿と舎利堂) |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
電話番号 | 0585-55-2811 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ホームページ | http://www.nisimino.com/nishimino33reijyou/jouhou/01.html |
西美濃三十三霊場 第1番 |
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ご本尊 | 薬師如来 |
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山号 | 両界山 |
宗旨・宗派 | 天台宗 |
創建時代 | 803年(延暦22) |
開山・開基 | 最澄 |
本堂 | 檜皮葺の入母屋造 |
ご由緒 | 延暦二十二年(803)に伝教大師最澄が自作の薬師如来像を安置して創建したと伝えられる。
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体験 | 重要文化財花の名所 |
概要 | 横蔵寺(よこくらじ)は岐阜県揖斐郡揖斐川町谷汲神原にある天台宗寺院。山号は両界山、本尊は薬師如来。西美濃三十三霊場第一番札所。重要文化財を含む多数の文化財を有し、「美濃の正倉院」とも呼ばれる。紅葉の名所でもあり秋の行楽シーズンには特に多くの参拝客が訪れる。このシーズンに「横蔵寺もみじまつり」が開催されライトアップが行われている。 |
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歴史 | 歴史[編集] 西国三十三所観音霊場の最後(33番)の札所である谷汲山華厳寺の西方、さらに奥まった山間の小さな盆地に位置する。平安時代 - 鎌倉時代の仏像等、多くの文化財を有する古寺であるが、草創や沿革については史料が乏しく、平安時代末期ころまでの寺史はほとんど不明といってよい。寺伝によれば、横蔵寺は日本天台宗の宗祖・最澄が自作の薬師如来を安置して創建した寺とされている。伝承によれば、最澄は比叡山延暦寺を開創する際に、本尊薬師如来像を自ら刻んだが、その薬師如来像を造ったのと同じ霊木から、もう1体の薬師如来像を造った。最澄は、その2体目の薬師如来像を笈(おい、山伏や山林修行者が背中に背負う箱...Wikipediaで続きを読む |
アクセス | 交通アクセス[編集] 大垣駅発養老鉄道養老線揖斐駅から揖斐川町コミュニティバス(名阪近鉄バス)横蔵線で42分、終点・横蔵下車 名神高速道路大垣インターチェンジから国道258号、国道21号、国道157号を経て県道40号 寺院内を東海自然歩道が通り[1]、周辺の山域は「岐阜県民いこいの森」として遊歩道が整備されている[2]。 駐車場は紅葉シーズンのみ有料となる。 ^ “東海自然歩道”. 岐阜県. 2012年8月23日閲覧。 ^ “岐阜県民いこいの森”. 岐阜県. 2012年8月23日閲覧。 |
引用元情報 | 「横蔵寺 (岐阜県揖斐川町)」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E6%A8%AA%E8%94%B5%E5%AF%BA%20%28%E5%B2%90%E9%98%9C%E7%9C%8C%E6%8F%96%E6%96%90%E5%B7%9D%E7%94%BA%29&oldid=98150380 |
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