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よこくらじ|天台宗両界山

横蔵寺の御由緒・歴史
岐阜県 鍋原駅

ご本尊薬師如来
創建時代803年(延暦22)
開山・開基最澄
ご由緒

延暦二十二年(803)に伝教大師最澄が自作の薬師如来像を安置して創建したと伝えられる。
元亀二年(1571)織田信長の兵火で焼失し、現在ある本堂、三重塔、仁王門などの主要伽藍は江戸時代の復興である。
織田信長の比叡山焼き討ちによって、延暦寺の伽藍が灰になった後、横蔵寺の本尊薬師如来像は、「延暦寺本尊と同じ霊木から造られた、最澄自作の像」という由緒ある像だということで延暦寺に移された。その代わりに、洛北の御菩薩池から移されたのが、横蔵寺の現本尊である薬師如来像であると伝わる。
地元出身の妙心法師は清浄無垢、所行をつんで文化十四年(1817)三十七歳の時に白木の棺に安座し、断食の末に入定を遂げました。
舎利弗(ミイラ)は加工手術を全く加えず天然自然に化身したもので学術的にも貴重な資料とされている。

歴史
歴史[編集] 西国三十三所観音霊場の最後(33番)の札所である谷汲山華厳寺の西方、さらに奥まった山間の小さな盆地に位置する。平安時代 - 鎌倉時代の仏像等、多くの文化財を有する古寺であるが、草創や沿革については史料が乏しく、平安時代末期ころまでの寺史はほとんど不明といってよい。寺伝によれば、横蔵寺は日本天台宗の宗祖・最澄が自作の薬師如来を安置して創建した寺とされている。伝承によれば、最澄は比叡山延暦寺を開創する際に、本尊薬師如来像を自ら刻んだが、その薬師如来像を造ったのと同じ霊木から、もう1体の薬師如来像を造った。最澄は、その2体目の薬師如来像を笈(おい、山伏や山林修行者が背中に背負う箱...Wikipediaで続きを読む
引用元情報横蔵寺 (岐阜県揖斐川町)」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E6%A8%AA%E8%94%B5%E5%AF%BA%20%28%E5%B2%90%E9%98%9C%E7%9C%8C%E6%8F%96%E6%96%90%E5%B7%9D%E7%94%BA%29&oldid=98150380

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