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土津神社|こどもと出世の神さまのお参りの記録一覧
公式福島県 猪苗代駅

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Kou
Kou
2026年06月27日(土)1245投稿

所在地:福島県耶麻郡猪苗代町字見祢山3

主祭神:保科正之公

社 格:

創 建:1675年(延宝3年)

由 緒
寛文12年8月11日、正之は重臣と共に見祢山へ登り、磐椅神社へ参拝した。その時にこの地を気に入り、自らの墓所と定めたという。翌年に正之が死去すると、遺言どおりにその地に葬られ、神式の葬儀によって埋葬された。この時期、江戸幕府は葬式は仏式によるものと定めていたが、吉川惟足が老中稲葉正則と交渉し、神式で執り行う旨の許可をとった。
その後、前述したとおり2年後の延宝3年に墓所の南側約1キロメートルの地に土津神社が造営された。古来の正式に則った神殿造で、日光東照宮と比較されるほどの絢爛豪華な建物だったという。
しかし、江戸幕府においては大名を神として祀る神社を創建することは禁じられていた(徳川家康が東照大権現として祀られており、大名が神となることは家康と並び立つ意思があるものと疑われた)。このため、会津藩は磐椅神社の末社を正之の墓の近くに建立したことにしたが、天和元年(1681年)の幕府の監察で神社のことが指摘されると、藩は葬儀奉行であった友松氏興に責任を押し付けて責任を回避した。更に正徳4年(1714年)に藩の働きかけにより京都の吉田家から「大明神」の神号を授けられるが、享保20年(1735年)になって幕府から老中名義で「日光(東照大権現)への憚り」を理由に神額を掲げることを禁じられている。
その後、慶応4年(1868年)の戊辰戦争時、母成峠の戦いで会津藩が敗れた後、猪苗代城代高橋権大夫の命で土津神社には火が放たれ、全焼してしまった[5]。その後、会津藩が斗南藩(現・青森県下北半島)に移封されると、土津神社の御神体も斗南藩に遷された。明治4年(1871年)の廃藩置県によって斗南藩が廃されると、御神体は猪苗代へ戻り、磐椅神社に祀られた。この後、明治7年(1874年)から土津神社の再建が始まり、同13年に完成し、御神体が遷されて現在に至っている。(Wikipediaより)

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