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はにつじんじゃ

土津神社|こどもと出世の神さまの境内・文化財
公式福島県 猪苗代駅

本殿権現造
文化財

■重要文化財
○太刀 銘吉房
■国指定史跡
○会津藩主松平家墓所(保科正之墓所)
■福島県指定文化財
○絹本著色土津神社霊神画像
○土津霊神之碑
○奥之院
○太刀(銘陸奥大掾 三善長道)
○太刀・刀6口

境内詳細情報

概要

 土田堰の橋を渡り、白大鳥居をくぐって左に奔雷瀑、男坂と呼ばれる石段を登ると拝殿があり、拝殿の右手前のひときわ高い石碑が日本一と言われる「土津霊神碑」です。

 男坂の右隣りには傾斜が緩やかな女坂があり、法面周辺には京都から移植されたと伝えられるイロハモミジが並んでいます。

 拝殿から奥に幣殿・本殿と続き、拝殿の左に神饌所、右に神楽殿があります。本殿の左右には功績のあった家臣などの末社が並んで鎮座しています。

 本殿の横から杉並木が続く玉石を敷き詰めた参道を北に500mほど登った奥之院には、保科正之公の奥津城(お墓)があります。

 春は長野県旧高遠町から寄贈された愛らしいタカトオコヒガンサクラ、夏は爽やかな双葉葵や青もみじ、秋は彩りあざやかな京都イロハモミジ、冬は枯れ木に咲く凛とした雪の花と趣のある静謐で清らかな境内が広がっています。

 御祭神である保科正之公の助言者として活躍した朱子学者・山崎闇斎が選んだとされる「猪苗代八景」にちなんで、平成23年に現代に残る素敵な古里の風景として「いなわしろ新八景」が制定され、当社もその一つに選ばれています。

土田堰

 土津神社の祭祀を永久に続けるためには、御神料を得るための新田を開拓する必要があると考えて造られた用水路が土田堰です。開削の総指揮は家老の友松勘十郎氏興で、土田集落の忠彦神社に祀られています。

 桧原川(現在の長瀬川)から約17kmに渡って開削し、下流の開拓村は土田新田村(現在の土田集落)と呼ばれました。約350年経った今も猪苗代の水田を潤しています。

 この堰は、同時に土津神社の御手洗川とされ、また近世では、堰を使って流木を行い、下流の会津若松に薪の供給をしていました。

 長瀬川の取水口から土田集落までの堰は、当時の面影を残すところも多く、静かな散策を楽しむことができます。

白大鳥居

 表参道・男坂の前にそびえ立っているのが白大鳥居です。鳥居は、一般的に赤色のイメージがありますが、赤色も白色もどちらも「清らかな」「清浄」の意味を持っています。

 当社では、保科公がとても謙虚で控えめな方であったことから「白」を採用しています。タカトオコヒガンザクラ、青もみじ、紅葉・黄葉、雪の花、青空と良く映え、身も心も清められます。

男坂・女坂

 白大鳥居から拝殿へ続く表参道の階段が男坂です。

 社殿の背後にそびえ立つ磐梯山は「天にかかる岩の梯子」の意から「いわはしやま」と呼ばれていました。男坂は、階段下から見上げるとさながら天空に続く梯子のようです。

 男坂の東にある緩やかな階段が女坂です。法面には京都から移植されたと伝えられるイロハモミジが移植されており、季節の移ろいをゆったりと感じることができます。

奔雷瀑

 白大鳥居の西手にあります。奔雷は激しく鳴る雷という意味ですから当時は水量が多かったものと思われます。

 現在は昔ほどではありませんが流れ落ちる音は境内の趣を深めています。

拝殿・幣殿・本殿

 拝殿・幣殿・本殿と奥に続いています。建築様式は、日光東照宮と同様の権現造りです。

 正式参拝・ご祈祷は拝殿にて行い、本殿は春季大祭と秋季大祭のみ開扉し、神饌を奉ります。

 拝殿には、空海筆『應』額が飾られています。これは「弘法にも筆の誤り」の諺の由来になった文字で、京都・応天門に掲げる「應天門」の扁額を書き間違えたことからきています。間違えに気づいた空海は筆を投げつけて見事に点を打ったそうです。

 『應』額は、鶴ヶ城三層楼に掲額されていましたが、廃城後若松県庁に掲額され、明治11年に庁職員19名により当社に奉納されました。

主祭神

  • 保科正之:會津松平家初代藩主

相殿神

  • 松平正容:會津松平家3代藩主
  • 松平容貞:會津松平家4代藩主
  • 松平容頌:會津松平家5代藩主
  • 松平容住:會津松平家6代藩主
  • 松平容衆:會津松平家7代藩主
  • 松平容敬:會津松平家8代藩主
  • 松平容保:會津松平家9代藩主

相殿客神

  • 武内宿禰

神饌所・神楽殿

工事中です。

土津霊神碑

 初代藩主保科正之公の生い立ちと事蹟を刻んだ石碑で、碑文は山崎闇斎、筆者は当時第一の能筆家・上高庸です。

 全高7.6m、重さ30トン、面積22畳分で、碑の大きさは日本一と言われ、竿石は約12kmの距離を人夫1日2,000〜3,000人で7ヶ月かかって運んだと言われています。石碑には1943文字刻まれており、文字1つの大きさは三寸角(約9cm)です。

 台座(亀趺)は亀石の愛称で呼ばれ、中国の故事による竜生九子(竜が生んだ9匹の子)の筆頭で死者の霊を護る神獣「贔屓(ひいき)」です。財貨を多く抱えるなど重い物を持つのが得意な一生懸命働く力持ちです。あなたが辛いときには代わりに心身の荷物を背負ってくれます。出世や商売繁昌、金運招福、心身平穏、健康長寿のご利益があります。

 当初亀石は、猪苗代湖がある南向きでしたが、夜になると水恋しさ猪苗代湖に向かって歩き出すため、磐梯山がある北向きにしたところ納まったとの伝説があります。

日清日露戦役「鉛套弾(えんとうだん)」

 日清日露戦役という国難に打ち勝った記念品として奉納されたものです。

 白大鳥居の西側には「忠魂碑」もあり、その隣の「平和之礎」には日清日露戦役に携われた方の名前が刻まれています。

 日本の存亡の危機を一丸となって乗り越えたという民族の記憶を残している、また、その後の受難も乗り越えてきた貴重な砲弾です。

末社7社

 社殿の両脇には、正之公に仕えた家臣と早世した子を祀った末社があります。

 土津神社初代神官を務めた服部安休は、森蘭丸の孫にあたります。

東側4社

  • 磐彦霊社(いわひこ):正之公の嫡男・正頼
  • 信彦霊社(のぶひこ):大老・田中三郎兵衛正玄
  • 久彦霊社(ひさひこ):家老・井深茂右衛門重光
  • 幸彦霊社(ゆきひこ):家老・簗瀬三左衛門正真

西側3社

  • 石彦霊社(いわひこ):正之公の七男・正純
  • 忠彦霊社(まめひこ):家老・友松勘十郎氏興
  • 進功霊社(ことゆき):土津神社初代神官・服部安休

フタバアオイ−双葉葵−

 葵の葉は、古くより加茂信仰、加茂一族の間で用いられ、現在も5月の京都で催される「葵祭」では、行列の祭員全員が頭飾りとして付けています。徳川家の「丸に三ツ葉葵紋」、本多家の「本多立ち葵紋」、會津松平家の「會津葵紋」のモチーフになった植物です。

 拝殿前の階段両脇に植えられております。例年5月上旬頃より地を這うように葉が大きく広がり、秋から冬にかけて枯れ、また翌年春に芽を出します。

 會津葵紋は土津神社の御神紋であり、花言葉が「細やかな愛情」で「縁結び」「夫婦円満」「家内安全」のご利益があることから大切にしています。

コウヤマキ−高野槇−

 とても真っ直ぐに大きく育ち、「健全成長」のご利益があることから御神木として祀っております。花言葉は「奥ゆかしさ」で、秋篠宮家悠仁親王のお印(徽章・シンボルマーク)になっています。

 初宮詣や七五三などのお参りの際は、優しくお手を触れてあやかってください。

京都イロハモミジ

 女坂がある法面周辺には、會津松平家九代藩主・松平容保公が京都守護職を務めた縁で京都から移植されたと伝えられるイロハモミジ16本が並んでいます。

 葉はヤマモミジなどに比べて一回り小さく、鮮やかな紅色になるのが特徴です。花言葉は「美しい変化」「調和」で、葉の形が手に似ていることから、運をつかむ「開運」の意味を持っています。

 境内の中から見ると緑・黄・紅のコントラストを、境内の外から見ると鮮やかな紅色を楽しむことができます。例年ライトアップも行っており、日中から夜間まで色とりどりの紅葉を味わうことができます。

 また、色づき初めは緑・黄・紅のグラデーションを、落葉後は真っ赤な紅葉絨毯と、長く季節の移ろいの美しさを感じることができるのが当社の紅葉の特徴です。

 紅葉は、天候にもよりますが、例年10月下旬か11月中旬頃までが見頃です。

 一方で、夏は、身も心も清々しい爽やかな青もみじを楽しむことができます。

タカトオコヒガンザクラ

 ご祭神の保科正之公が高遠藩主保科正光の養子として育てられ、後に高遠藩主を務めた縁で境内に12本植樹されています。

 「天下第一の桜」と言われており、小振りでピンクの強い可憐な花を咲かせるのが特徴です。

 花言葉には「心の平安」「精神的な美」などがあります。

エゾムラサキツツジ

 札幌・琴似神社様より奉植いただいたもので、琴似神社には土津霊神(保科正之公の神号)が分霊されています。

 花言葉は「節度」「慎み」で、葉の展開に先立って紅紫色の花をつけます。

円清水

 境内には、正之公が寿蔵地(墓地)を決めるために見禰山を歩いているときに、正之公の足元から清水が湧き出た円清水があり、井戸の底にはその時の正之公の足跡が残っていると言われています。

奥之院

 社殿の北500mの位置にある保科正之公の奥津城(お墓)が奥之院です。玉石が敷き詰められた杉並木が続く参道がなんとも厳かです。

 正面に會津葵紋が入ったご神門があり、ご神門を抜け、表石「會津中将源君之墓」の奥にある小高い盛土の中に棺が収められています。

 奥之院は八角形の敷地になっており、盛土の頂上には、これもまた八角形の「土津神鎮石」があります。

 神葬祭(神式のお葬式)が一般に開かれ始めたのが1785年と言われていますので、保科正之公の神葬祭が黎明に当たると思われます。

戊辰150周年記念事業

 戊辰戦勝終結から150周年を迎えた平成30年。幕末とは外交史であるとの観点のもと、海外目線で戊辰戦争を見つめ直し、会津藩が辿った歴史から見えてきた「義」を矜持とした会津武士道の本質を探求したドキュメンタリー作品です。

 徳川家綱公の後見人として幕政に携わり、会津藩政では会津家訓十五箇条を制定するなどした保科正之公は会津武士道「義」の根源であり、当社でも撮影が行われました。

 オランダ(大義編)、アメリカ(道着編)、フランス(信義編)、イギリス(忠義編)の視点で見えてきた未来へのメッセージを是非ご覧ください。

戊辰150周年記念ドキュメンタリー作品

戊辰150周年記念特典映像

戊辰150年記念ドキュメンタリー作品トレーラー

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 歴史、文化、大自然、食、アウトドアなど優れた地域資源に溢れている福島県、栃木県、茨城県を結ぶダイヤモンド・ルート。

 ディープな日本を感じられるこの広大なエリアでの全ての体験を是非ご覧ください。

DRIVING Fukushima

 地域の人が地域の魅力を再発見し、映像にして世界に発信するプロジェクト「Local Experience Design "LxD"」。美しい福島県の魅力を是非ご覧ください。

euro news

 磐梯高原エリアの紅葉の特集の中で当社の禰宜が自然と神道の関係性について紹介しています

土津神社|こどもと出世の神さまの境内・文化財の写真一覧

鳥居

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