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すごうじんじゃ

菅生神社
公式愛知県 東岡崎駅

現在の御朱印・御朱印帳

菅生神社の御朱印

真ん中に御神紋の三つ巴と木瓜の印が押され、その下に「菅生神社」と墨書きされ、「菅生神社参拝」の印が重ねられています。
右側に「岡崎最古 日本武尊創設 徳川家康公厄除開運守護神」と墨書きされています。
右下に「菅生祭・鉢舟神事」の印が押されています。

限定御朱印

菅生神社では季節や行事によって限定御朱印をいただけます。
ホトカミに投稿された中から、3種類の過去の限定御朱印を紹介します。

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御朱印について
御朱印
あり

右上に岡崎最古 日本武尊創建 徳川家康公厄除開運守護神、真ん中に菅生神社の文字、右下に菅生祭・鉾船神事 八月第一土曜日の印と真ん中に印が押された御朱印です。
月替り御朱印のほか、毎月一日の朔日参り、家康公桜まつりなど、神事・行事にちなんだカラフルな御朱印がいただけます。

限定
あり
御朱印帳にお書き入れ
あり

毎月1日並びにお祭や正月期間等、直接書きを「休止」している時もございます。

郵送対応
-
ありません
御朱印帳
あり
パーキング
駐車場
あり

鳥居をくぐり境内 8台

例祭・神事

1月1日 歳旦祭
2月3日 節分祭
4月29日 春季開運稲荷大祭
6月30日 夏越の祓い
7月19日 宵宮祭
7月20日 例大祭
8月第1土曜 菅生祭鉾船神事
10月中旬 秋季開運稲荷大祭

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歴史

社記によれば、第12代景行天皇の御代(110)、日本武尊が東国平定の為、当地を通過になり、高岩(現、菅生河畔の満性寺あたり)で、賊を討つ為に矢を作らせた時、神風が吹いて、その内の一矢を小川に吹き流された。(その川を吹矢川と名付ける)そこで尊は、その矢を「御霊代」と仰ぎ、伊勢の大神を祀り、この地に神社を建てられた。「吹矢大明神」と申し上げる。当神社はこの時創建された岡崎市最古の神社です。その後、延喜年中(901~922)、「吹矢大明神」を「稲前神社惣社神明宮」と申し上げ、日本武尊・宮簀姫命・乙見皇子も合わせ祀り、三河国二十六社の内に定められた。昔から「吹矢大明神」は武門の神として尊ばれ、松平初代親氏公の祈願を初め、松平一族の崇敬が篤く、社殿の造営・修復等も行われた。また、三代信光公の息、松平七郎左衛門光義の子孫代々神主として奉仕された。
聖武天皇神亀2年(724)御神託により、京都伏見より稲荷大明神をお迎えし、「吹矢大明神」の同殿に合祀する。松平清康公(家康公の祖父)岡崎城入城の時、岡崎城内に「菅生稲荷大明神」の分霊を祀られ、これを称して「開運稲荷大明神」という。けれども、天正19年岡崎城代田中兵部大輔吉政が城地を拡張の為神殿を取り壊されたので、菅生神社の本殿にお迎えした。400年後、昭和57年11月菅生神社境内に社が建てられ、「開運稲荷大明神」は新しい社に祀られている。
永正14(1517)年7月洪水の時、額田郡宮崎郷より「天王宮」御流着あり。合祀して、「菅生天王宮」と改める。岡崎城主松平弾正左衛門信貞公、十二末社を「菅生天王宮」にお迎えして祀る。大神君家康公25才の時、厄除け・開運の祈願、造営せられる等、崇敬が篤く、岡崎城内鎮守の守護神として、御代々の岡崎城主の祈願所となっていた。
明治元年(1868)「菅生神社」と名を改め、現在に至る。
(菅生神社リーフより)

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菅生神社の基本情報

住所愛知県岡崎市康生町630-1
行き方

名鉄名古屋本線「東岡崎駅」下車 徒歩10分

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名称菅生神社
読み方すごうじんじゃ
参拝時間

参拝/24時間

御朱印あり

右上に岡崎最古 日本武尊創建 徳川家康公厄除開運守護神、真ん中に菅生神社の文字、右下に菅生祭・鉾船神事 八月第一土曜日の印と真ん中に印が押された御朱印です。
月替り御朱印のほか、毎月一日の朔日参り、家康公桜まつりなど、神事・行事にちなんだカラフルな御朱印がいただけます。

限定御朱印あり
御朱印帳に直書きあり

毎月1日並びにお祭や正月期間等、直接書きを「休止」している時もございます。

御朱印の郵送対応なし

御朱印帳あり
電話番号0564-23-2506
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
メールアドレスwebmaster@sugojinja.jp
ホームページhttp://sugojinja.jp
おみくじあり
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巡礼の詳細情報

第二弾 名鉄御朱印めぐり

名鉄御朱印めぐり

詳細情報

ご祭神《主》天照皇大神,豊受姫命,須佐之男命,《配》菅原道真公,徳川家康公
創建時代110年10月
創始者日本武尊
ご由緒

社記によれば、第12代景行天皇の御代(110)、日本武尊が東国平定の為、当地を通過になり、高岩(現、菅生河畔の満性寺あたり)で、賊を討つ為に矢を作らせた時、神風が吹いて、その内の一矢を小川に吹き流された。(その川を吹矢川と名付ける)そこで尊は、その矢を「御霊代」と仰ぎ、伊勢の大神を祀り、この地に神社を建てられた。「吹矢大明神」と申し上げる。当神社はこの時創建された岡崎市最古の神社です。その後、延喜年中(901~922)、「吹矢大明神」を「稲前神社惣社神明宮」と申し上げ、日本武尊・宮簀姫命・乙見皇子も合わせ祀り、三河国二十六社の内に定められた。昔から「吹矢大明神」は武門の神として尊ばれ、松平初代親氏公の祈願を初め、松平一族の崇敬が篤く、社殿の造営・修復等も行われた。また、三代信光公の息、松平七郎左衛門光義の子孫代々神主として奉仕された。
聖武天皇神亀2年(724)御神託により、京都伏見より稲荷大明神をお迎えし、「吹矢大明神」の同殿に合祀する。松平清康公(家康公の祖父)岡崎城入城の時、岡崎城内に「菅生稲荷大明神」の分霊を祀られ、これを称して「開運稲荷大明神」という。けれども、天正19年岡崎城代田中兵部大輔吉政が城地を拡張の為神殿を取り壊されたので、菅生神社の本殿にお迎えした。400年後、昭和57年11月菅生神社境内に社が建てられ、「開運稲荷大明神」は新しい社に祀られている。
永正14(1517)年7月洪水の時、額田郡宮崎郷より「天王宮」御流着あり。合祀して、「菅生天王宮」と改める。岡崎城主松平弾正左衛門信貞公、十二末社を「菅生天王宮」にお迎えして祀る。大神君家康公25才の時、厄除け・開運の祈願、造営せられる等、崇敬が篤く、岡崎城内鎮守の守護神として、御代々の岡崎城主の祈願所となっていた。
明治元年(1868)「菅生神社」と名を改め、現在に至る。
(菅生神社リーフより)

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Wikipediaからの引用

概要
菅生神社(すごうじんじゃ)は、愛知県岡崎市康生町にある神社。毎年夏に行われる菅生祭(後述)は、能見神明宮大祭(5月)、岡崎天満宮の例祭(9月)とともに岡崎三大祭の一つに数えられている。
引用元情報菅生神社 (岡崎市)」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E8%8F%85%E7%94%9F%E7%A5%9E%E7%A4%BE%20%28%E5%B2%A1%E5%B4%8E%E5%B8%82%29&oldid=98882258

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