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すごうじんじゃ

菅生神社の御由緒・歴史
公式愛知県 東岡崎駅

ご祭神《主》天照皇大神,豊受姫命,須佐之男命,《配》菅原道真公,徳川家康公
創建時代110年10月
創始者日本武尊
ご由緒

社記によれば、第12代景行天皇の御代(110)、日本武尊が東国平定の為、当地を通過になり、高岩(現、菅生河畔の満性寺あたり)で、賊を討つ為に矢を作らせた時、神風が吹いて、その内の一矢を小川に吹き流された。(その川を吹矢川と名付ける)そこで尊は、その矢を「御霊代」と仰ぎ、伊勢の大神を祀り、この地に神社を建てられた。「吹矢大明神」と申し上げる。当神社はこの時創建された岡崎市最古の神社です。その後、延喜年中(901~922)、「吹矢大明神」を「稲前神社惣社神明宮」と申し上げ、日本武尊・宮簀姫命・乙見皇子も合わせ祀り、三河国二十六社の内に定められた。昔から「吹矢大明神」は武門の神として尊ばれ、松平初代親氏公の祈願を初め、松平一族の崇敬が篤く、社殿の造営・修復等も行われた。また、三代信光公の息、松平七郎左衛門光義の子孫代々神主として奉仕された。
聖武天皇神亀2年(724)御神託により、京都伏見より稲荷大明神をお迎えし、「吹矢大明神」の同殿に合祀する。松平清康公(家康公の祖父)岡崎城入城の時、岡崎城内に「菅生稲荷大明神」の分霊を祀られ、これを称して「開運稲荷大明神」という。けれども、天正19年岡崎城代田中兵部大輔吉政が城地を拡張の為神殿を取り壊されたので、菅生神社の本殿にお迎えした。400年後、昭和57年11月菅生神社境内に社が建てられ、「開運稲荷大明神」は新しい社に祀られている。
永正14(1517)年7月洪水の時、額田郡宮崎郷より「天王宮」御流着あり。合祀して、「菅生天王宮」と改める。岡崎城主松平弾正左衛門信貞公、十二末社を「菅生天王宮」にお迎えして祀る。大神君家康公25才の時、厄除け・開運の祈願、造営せられる等、崇敬が篤く、岡崎城内鎮守の守護神として、御代々の岡崎城主の祈願所となっていた。
明治元年(1868)「菅生神社」と名を改め、現在に至る。
(菅生神社リーフより)

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