つしまじんじゃ
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楽しみ方津島神社のお参りの記録一覧
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全国天王総本社、津島神社さん**(ू•ω•ू❁)**
🏮🏞日本三大川祭りの一つ、尾張津島天王祭の
巻藁舟と車楽舟の模型が5月5日まで展示されていました🚢


巻藁舟は実物の高さが20mにもなり、
提灯の蝋燭をつけるのに1時間半かかるのだそう🕯🏮
(ó﹏ò。)タイヘン・・・
そういえば職場の人が小さい頃舟に乗ったなぁ…って
しみじみ話していたな(*´艸`)🚢
小さい頃の記憶って、その人を形作る
大事なものだよなぁ…😌

【尾張国 式内社巡り】
津島神社(つしま~)は、愛知県津島市にある神社。旧国幣小社で、現在は神社本庁の別表神社。主祭神は建速須佐之男命、配祀神は大穴牟遅命(大国主)。古くは「津島牛頭天王社」と称した。尾張五社の1社とされる(※)。東海地方を中心に全国に3千社ある津島神社(津島信仰)の総本社。本殿と楼門は国指定の重要文化財。
社伝によると、建速須佐之男命が朝鮮半島から日本に渡った際、荒魂は出雲に鎮まり、和魂は考霊天皇45年(紀元前245年)に一旦対馬(旧称津島)に鎮まった後、欽明天皇元年(540年)に現在地近くに移り鎮まったとしている。平安時代の810年に現在地に遷座し、嵯峨天皇から正一位の神階と日本総社の称号を贈られている。ただし『延喜式神名帳』や国史には記載がない。正暦年間(990年~994年)に一条天皇から「天王社」の号を贈られている。
戦国時代には織田氏が当社近くに勝幡城を築き、交通の要衝で経済拠点の津島を重視し、当社を手厚く保護した(当社神紋は織田氏の家紋と同じ木瓜紋)。豊臣氏も社殿の修造と社領の寄進をし、江戸時代には尾張藩主に1293石の神領が認められ、朱印地とされた。明治時代の神仏分離令により、仏教的要素を廃し、社名から牛頭天王の名を外して、祭神を建速須佐之男命として「津島神社」と改称し、近代社格制度のもと県社に列格、のちに国幣小社に昇格した。
当社は、名鉄津島線・津島駅の西方1kmの市街地、平地にある。さすが津島信仰の総本社だけあって、境内は広々としており、社殿や楼も門などの建物はいずれもかなり大きく立派。境内にはたくさんの境内社があり、一通り参拝して廻るのも大変で、神社のデパートのよう。見応え十分。
今回は、尾張国の式内社、旧国幣小社、別表神社であることから参拝することに。参拝時は平日の午前中で、大雨だったが、家族連れや職場で参拝に来ているサラリーマンなど、途切れることなく参拝者が訪れていた。
※尾張五社とは、尾張藩士で国学者の天野信景(1661年~1733年)の著した『尾張五社略記』に記載される尾張国を代表する五つの神社。熱田神宮、尾張大國霊神社、津島神社、針綱神社、千代保稲荷神社を指す。

境内南方の<鳥居>と<社号標>。<南門>までまっすぐに参道が伸び、左側には境内社、右側には参集所・結婚式場などの建物が並ぶ。

参道進んで左側にある摂社<居森社>の鳥居。居森社の社殿は安土桃山時代の1591年、豊臣秀吉大政所の寄進。
名鉄の「つしまちあるき」キャンペーンの最後はやはり津島神社。七五三のファミリーで賑わっていました。
今回の津島神社参拝のテーマは「境内社を制覇しよう!」です。津島神社は本殿を含め34の社があるそうです。同じ様な写真ばかりですがご勘弁を。
それでは、レッツらゴー!

津島の町を歩いていると、こんな道標が。歩き巡りならではの発見かな。

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「燻製Dining Bar琉」ランチメニューのハンバーガーをいただきました。めっちゃくちゃ旨かった。満足。
愛知県のおすすめ2選🎌
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