つしまじんじゃ
津島神社
公式愛知県 津島駅
授与所/8:30~16:30
参拝/24時間
津島市✖️名鉄
"つしまちあるき"beyond家康つしま湊
参加の寺社仏閣を散策。
久しぶりの津島神社参拝
信長好きの私のお目当ては信長デザインの
限定御朱印の拝受でした
【尾張国 式内社巡り】
津島神社(つしま~)は、愛知県津島市にある神社。旧国幣小社で、現在は神社本庁の別表神社。主祭神は建速須佐之男命、配祀神は大穴牟遅命(大国主)。古くは「津島牛頭天王社」と称した。尾張五社の1社とされる(※)。東海地方を中心に全国に3千社ある津島神社(津島信仰)の総本社。本殿と楼門は国指定の重要文化財。
社伝によると、建速須佐之男命が朝鮮半島から日本に渡った際、荒魂は出雲に鎮まり、和魂は考霊天皇45年(紀元前245年)に一旦対馬(旧称津島)に鎮まった後、欽明天皇元年(540年)に現在地近くに移り鎮まったとしている。平安時代の810年に現在地に遷座し、嵯峨天皇から正一位の神階と日本総社の称号を贈られている。ただし『延喜式神名帳』や国史には記載がない。正暦年間(990年~994年)に一条天皇から「天王社」の号を贈られている。
戦国時代には織田氏が当社近くに勝幡城を築き、交通の要衝で経済拠点の津島を重視し、当社を手厚く保護した(当社神紋は織田氏の家紋と同じ木瓜紋)。豊臣氏も社殿の修造と社領の寄進をし、江戸時代には尾張藩主に1293石の神領が認められ、朱印地とされた。明治時代の神仏分離令により、仏教的要素を廃し、社名から牛頭天王の名を外して、祭神を建速須佐之男命として「津島神社」と改称し、近代社格制度のもと県社に列格、のちに国幣小社に昇格した。
当社は、名鉄津島線・津島駅の西方1kmの市街地、平地にある。さすが津島信仰の総本社だけあって、境内は広々としており、社殿や楼も門などの建物はいずれもかなり大きく立派。境内にはたくさんの境内社があり、一通り参拝して廻るのも大変で、神社のデパートのよう。見応え十分。
今回は、尾張国の式内社、旧国幣小社、別表神社であることから参拝することに。参拝時は平日の午前中で、大雨だったが、家族連れや職場で参拝に来ているサラリーマンなど、途切れることなく参拝者が訪れていた。
※尾張五社とは、尾張藩士で国学者の天野信景(1661年~1733年)の著した『尾張五社略記』に記載される尾張国を代表する五つの神社。熱田神宮、尾張大國霊神社、津島神社、針綱神社、千代保稲荷神社を指す。
境内南方の<鳥居>と<社号標>。<南門>までまっすぐに参道が伸び、左側には境内社、右側には参集所・結婚式場などの建物が並ぶ。
参道進んで左側にある摂社<居森社>の鳥居。居森社の社殿は安土桃山時代の1591年、豊臣秀吉大政所の寄進。
<居森社>の拝殿。
中央が<居森社>、右は<疹社>、左は<大日孁社>。
参道右側にある<参集所>。
参道進んで左側にある末社<菅原社>の鳥居。
鳥居くぐって、右側にある<与謝野晶子歌碑>。
鳥居くぐって進み、右側にある<三つ石>。
参道の突き当りにある<菅原社>。
菅原舎の右側にある境内社。
菅原社を出て、境内方向を望む。
参道右側にある<手水舎>。
手水舎の<花手水>。
手水舎の左手にある<照魂(てるたま)社>。
<照魂社>の拝殿。
<照魂社>の社殿。
境内南端入口の<南門>。四脚門、檜皮葺。安土桃山時代の1598年、豊臣秀頼が父・秀吉の病気平癒のため寄進したと伝わる。
南門の先には、拝殿ではなく<蕃塀(ばんぺい)>が見える。
南門をくぐってすぐ左手にある境内社。左から順に<多度社>、<秋津比咩社>、<内宮>。
南門をくぐって左手にある、摂社<弥五郎殿社>。写真右側に見える小さな社は<戸隠社>。
鳥居の右側にある、9種類の<奉納樽>。
<弥五郎殿社>の拝殿。本殿・拝殿は江戸時代前期1673年の再建。南北朝時代の1346年に堀田弥五郎正泰が建立したためこの名が付いている。
ここから蕃塀の後ろの社殿に向かう。中央は<拝殿>、両側は<回廊>。
当社社殿は典型的な「尾張造」の社殿配置として知られており、門、蕃塀、拝殿、祭文殿、回廊、釣殿(渡殿)、本殿を南北軸線上に一直線に並んでいる。
<拝殿>全景。江戸時代前期の1649年の建立。桁行6間、梁間3間、切妻造、妻入、檜皮葺。
<拝殿>正面。内部は広々として、かなり奥まで見渡せる。
社殿の左手に進む。手前に見える<回廊>は、江戸時代後期1825年の建立。桁行9間、梁間2間、中央1間中殿、切妻造、中殿正面軒唐破風付、檜皮葺。
社殿最後部に位置する<本殿>。1605年に尾張清洲藩主・松平忠吉の妻・政子による寄進。国指定の重要文化財。
本殿の左隣にある摂社<八柱社>。社殿は江戸時代前期1672年の造営。
八柱社の左隣にある<稲荷社>の鳥居。
<稲荷社>の社殿。
稲荷社の左手にある境内社群。左から順に<忍穂耳社>、<龍田社>、<庭津日社>、<塵社>、<久斯社>、<多賀社>、<熊野社>。
境内社群と本社社殿との間の古木群。コントラストがなかなか美しい。
ここで南門まで戻って、南門をくぐってすぐ右手にある境内社群。左から順に<瀧之社>、摂社<和御魂社>、<大歳社>、<熱田社>、<米之社>、<児之社>、<大社>、<外宮>、<船付社>。
瀧之社の左手に、1社だけ瑞垣に囲われた摂社<柏樹社>。
柏樹社から本社社殿を望む。
柏樹社から<授与所>を望む。その左側を抜けたところにも境内社があるので向かう。
右側手前が摂社<荒御魂社>。社殿は江戸時代初期の1619年建立。一間社流造、瓦葺形銅板葺。左側奥が<稲田社>。
稲田社と荒御魂社の間の奥にある境内社。左から順に<大国玉社>、<若宮社>、<大屋津姫社>。
境内中央から<授与所>(左)と<楼門>(右)。<楼門>は安土桃山時代の1591年、豊臣秀吉による寄進。国指定の重要文化財。
楼門の後ろにも大きな鳥居が見えるので見に行ってみる。
境内東端入口にある<鳥居>と<社号標>。鳥居の後ろは駐車場。楼門がこちら側(東側)にあるということは、中世はこちらが正門だったのかな。
鳥居の左手(南方)には<御神木>。
東の鳥居からまっすぐ進むと、大きな<石橋>と<楼門>がある。
楼門の手前、左側にある<橋守社>(左)と<愛宕社>(右)。
角度を変えて、ダイナミックで美しい<楼門>。
最後に<社殿>全景。大社巡礼をしていても、なかなか見ないぐらいの大きく立派な社殿。素晴らしい~! (^▽^)/
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