だいこういん|曹洞宗|興国山
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大光院について
成田長親公の菩提寺
小説『のぼうの城』等で有名な、忍城の水攻めに対抗した武将・成田長親のお墓がある。
愛知県のおすすめ2選❄️
おすすめの投稿

曹洞宗 興國山 大光院
大名古屋八十八ヶ所霊場 第5番札所
御本尊 釈迦牟尼仏坐像
名古屋市の大須にある赤門通り。
その赤門の名前の由来となっている大光院の山門・・・なのですが、写真を撮り忘れました😅
というか、この日は大須大道町人祭が行われており、大須の至るところで全国から集まった大道芸人の方たちがパフォーマンスを披露。
大光院さんを訪れたところ、ちょうど境内で大駱駝艦さんによる金粉ショウが行われるところで参拝どころではありませんでした😅
境内にも多くの見物客が入り、とても大盛況でしたが、結局参拝できずだったのでまた機会がありましたら参拝させていただきたいと思います。

大サービスでポーズも取っていただきました😆


とても不思議な世界観でした

参 拝 興國山 大光院 (こうこくさん だいこういん)
名古屋市中区大須2-15-7
” 山門をでたら良い香り プンプン 〜♬〜”
当寺の横側に大須のベトナムサンドイッチ店
「アオサンズ」🌮が・・
🐷豚肉バラ肉ヌクマム、ニンニクなどで
下味つけて焼きあげてある‼️
〜豚肉のヌクマム焼き〜
アボカドがトッピング🥑おススメでよ
是非‼︎ 食べたってちょ🌻
▪️当院は慶長8年(1603年)、尾張国春日井郡清須に清善寺(せいぜんじ)として創建された。開山の明嶺理察は武蔵国埼玉郡忍(現・埼玉県行田市)の清善寺6世で、松平忠吉は清須城に移ると、城下で廃寺となっていた雲門寺を再興するにあたって明嶺を招き、寺号を清善寺として、当寺も忍清善寺の末寺となった。
▪️忠吉が慶長12年(1607年)に没すると明嶺が授けた忠吉の法名・大光院を取って寺号を改め、慶長15年(1610年)の清洲越しで愛知郡日置村(現・大須2丁目)に移転、 山号を日置山としたが元禄年間(1688年 - 1704年)には興國山へと戻している。享保19年(1734年)6月には火災で山門を含めて焼失、諸堂が再建されたのは安永8年(1779年)であった。文化5年(1808年)には烏瑟沙摩明王の別殿として明王殿が建立され、腰部の疾病に霊験があるとして女性の参拝が多く、その様子は「尾張名所図会」などにも描かれた。
安政年間(1854年 - 1860年)になると大光院の西側、大須観音や清安寺の墓地に囲まれた通称「北野新地」に旅役者のための宿が作られたが、やがてここに遊女が置かれるようになって事実上の遊廓となった。遊女の外出先として大光院への参拝を許していたことから、縁日には遊女も多く訪れて賑わった。
結局、納経所は空いてましたが人影もなく御朱印は頂けませんでした💦💦

御朱印 大光院 (だいこういん)
授与品
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毎月28日
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| 名称 | 大光院 |
|---|---|
| 読み方 | だいこういん |
| 御朱印 | あり |
| 限定御朱印 | なし |
| 御朱印帳に直書き | あり |
| 御朱印の郵送対応 | なし |
| 御朱印帳 | なし |
| 電話番号 | 052-231-5413 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
詳細情報
| ご本尊 | 烏枢沙摩明王 |
|---|---|
| 山号 | 興国山 |
| 宗旨・宗派 | 曹洞宗 |
| 創建時代 | 慶長八年(1603) |
| 開山・開基 | 松平忠吉 |
| 体験 | 祈祷おみくじ御朱印お守り有名人のお墓 |
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