しょうじょうじ(やばじぞう)|浄土宗|徳寿山
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清浄寺(矢場地蔵)の御朱印・御朱印帳
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2017年4月15日に初めてお詣りしました。
多くの人がお詣りしているので、清浄寺の由来もご存じと思いますが、名古屋市史社寺編(大正4年版)を
元に再度お話ししたいと思います。
清浄寺は浄土宗寺院で徳壽山が山号です。
矢場延命地蔵菩薩を寺内で祀っており「矢場地蔵」がこのお寺の通称となっています。
昔ここにあった小林城の上に鎮座しています。
昔、南寺町の尋盛寺塔頭の庚申院に潜居していた曠譽廓龍(こうよかくりゅう)は貞享年間(1684~
1688年)の始めから尾張藩2代藩主の徳川光友と交友があり、貞享4年(1687年)に日置村巣山に屋敷を賜りました。元禄元年(1688年)から2年(1689年)にかけて光友から祈願依頼や六字名号の書写を賜ったり、以後毎年年末には白銀も賜りました。
元禄5年(1692年)に日置村の屋敷に庵を建て清浄軒と号し、光友より軒号額を賜りました。
元禄10年(1697年)に光友が参詣し頭髪一包、歯を3本納めました。
(のちに光友室の松壽院も落髪を納められ、以後、代々の藩主と夫人の落髪が納められたそうです)
元禄11年(1698年)に祈願依頼があり、3月に7昼夜の別時念仏を修しました。
元禄12年(1699年)に清浄軒を寺にするよう命令が出され、海東郡津島村(現在の津島市)の誓願寺を移すと寺号を清浄寺に改めました。
元禄13年(1700年)、現在地に寺地を賜り、清浄軒の庫裏の移築、本堂の建立、本尊の遷座を順次行いました。
元禄14年(1701年)には名古屋城内から地蔵菩薩像を遷座し、15年(1702年)には松平義昌(光友3男)の屋敷から観音堂を移築、弁財天像(伝運慶作)や新作の大黒天像、毘沙門天像、十五童子像を安置しました。
宝永2年(1705年)に地蔵堂を建立し、入仏供養を行いました。
宝永3年(1706年)に眞譽梅鑑が第二世として住持しました。
文化年中(1804~1817年)は荒廃して揚寺となってしまいました。
文政3年(1820年)、寺社奉行が藩祖義直の書像を重装し、4年(1821年)に本堂、地蔵堂などの建物が修繕されました。また、建中寺第24世の申譽辨霊がこの寺に隠棲し、丈室、書斎、庫裏などの建物を再建しました。
太平洋戦争末期の昭和20年(1945年)、名古屋大空襲で伽藍は全焼しました。
昭和32年(1957年)に鉄筋コンクリート造りの本堂を再建、平成3年(1991年)に延命大地蔵菩薩が建立されました。
ちなみに、戦前までは阿弥陀如来仏がご本尊でしたが、大空襲でご本尊も焼けてしまいました。
戦後、大空襲から難を逃れたのでしょうか矢場延命地蔵尊をご本尊としたようです。


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