しょうじょうじ(やばじぞう)
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楽しみ方清浄寺(矢場地蔵)のお参りの記録(1回目)
投稿日:2026年05月15日(金) 22時40分17秒
2017年4月15日に初めてお詣りしました。
多くの人がお詣りしているので、清浄寺の由来もご存じと思いますが、名古屋市史社寺編(大正4年版)を
元に再度お話ししたいと思います。
清浄寺は浄土宗寺院で徳壽山が山号です。
矢場延命地蔵菩薩を寺内で祀っており「矢場地蔵」がこのお寺の通称となっています。
昔ここにあった小林城の上に鎮座しています。
昔、南寺町の尋盛寺塔頭の庚申院に潜居していた曠譽廓龍(こうよかくりゅう)は貞享年間(1684~
1688年)の始めから尾張藩2代藩主の徳川光友と交友があり、貞享4年(1687年)に日置村巣山に屋敷を賜りました。元禄元年(1688年)から2年(1689年)にかけて光友から祈願依頼や六字名号の書写を賜ったり、以後毎年年末には白銀も賜りました。
元禄5年(1692年)に日置村の屋敷に庵を建て清浄軒と号し、光友より軒号額を賜りました。
元禄10年(1697年)に光友が参詣し頭髪一包、歯を3本納めました。
(のちに光友室の松壽院も落髪を納められ、以後、代々の藩主と夫人の落髪が納められたそうです)
元禄11年(1698年)に祈願依頼があり、3月に7昼夜の別時念仏を修しました。
元禄12年(1699年)に清浄軒を寺にするよう命令が出され、海東郡津島村(現在の津島市)の誓願寺を移すと寺号を清浄寺に改めました。
元禄13年(1700年)、現在地に寺地を賜り、清浄軒の庫裏の移築、本堂の建立、本尊の遷座を順次行いました。
元禄14年(1701年)には名古屋城内から地蔵菩薩像を遷座し、15年(1702年)には松平義昌(光友3男)の屋敷から観音堂を移築、弁財天像(伝運慶作)や新作の大黒天像、毘沙門天像、十五童子像を安置しました。
宝永2年(1705年)に地蔵堂を建立し、入仏供養を行いました。
宝永3年(1706年)に眞譽梅鑑が第二世として住持しました。
文化年中(1804~1817年)は荒廃して揚寺となってしまいました。
文政3年(1820年)、寺社奉行が藩祖義直の書像を重装し、4年(1821年)に本堂、地蔵堂などの建物が修繕されました。また、建中寺第24世の申譽辨霊がこの寺に隠棲し、丈室、書斎、庫裏などの建物を再建しました。
太平洋戦争末期の昭和20年(1945年)、名古屋大空襲で伽藍は全焼しました。
昭和32年(1957年)に鉄筋コンクリート造りの本堂を再建、平成3年(1991年)に延命大地蔵菩薩が建立されました。
ちなみに、戦前までは阿弥陀如来仏がご本尊でしたが、大空襲でご本尊も焼けてしまいました。
戦後、大空襲から難を逃れたのでしょうか矢場延命地蔵尊をご本尊としたようです。
多くの人がお詣りしているので、清浄寺の由来もご存じと思いますが、名古屋市史社寺編(大正4年版)を
元に再度お話ししたいと思います。
清浄寺は浄土宗寺院で徳壽山が山号です。
矢場延命地蔵菩薩を寺内で祀っており「矢場地蔵」がこのお寺の通称となっています。
昔ここにあった小林城の上に鎮座しています。
昔、南寺町の尋盛寺塔頭の庚申院に潜居していた曠譽廓龍(こうよかくりゅう)は貞享年間(1684~
1688年)の始めから尾張藩2代藩主の徳川光友と交友があり、貞享4年(1687年)に日置村巣山に屋敷を賜りました。元禄元年(1688年)から2年(1689年)にかけて光友から祈願依頼や六字名号の書写を賜ったり、以後毎年年末には白銀も賜りました。
元禄5年(1692年)に日置村の屋敷に庵を建て清浄軒と号し、光友より軒号額を賜りました。
元禄10年(1697年)に光友が参詣し頭髪一包、歯を3本納めました。
(のちに光友室の松壽院も落髪を納められ、以後、代々の藩主と夫人の落髪が納められたそうです)
元禄11年(1698年)に祈願依頼があり、3月に7昼夜の別時念仏を修しました。
元禄12年(1699年)に清浄軒を寺にするよう命令が出され、海東郡津島村(現在の津島市)の誓願寺を移すと寺号を清浄寺に改めました。
元禄13年(1700年)、現在地に寺地を賜り、清浄軒の庫裏の移築、本堂の建立、本尊の遷座を順次行いました。
元禄14年(1701年)には名古屋城内から地蔵菩薩像を遷座し、15年(1702年)には松平義昌(光友3男)の屋敷から観音堂を移築、弁財天像(伝運慶作)や新作の大黒天像、毘沙門天像、十五童子像を安置しました。
宝永2年(1705年)に地蔵堂を建立し、入仏供養を行いました。
宝永3年(1706年)に眞譽梅鑑が第二世として住持しました。
文化年中(1804~1817年)は荒廃して揚寺となってしまいました。
文政3年(1820年)、寺社奉行が藩祖義直の書像を重装し、4年(1821年)に本堂、地蔵堂などの建物が修繕されました。また、建中寺第24世の申譽辨霊がこの寺に隠棲し、丈室、書斎、庫裏などの建物を再建しました。
太平洋戦争末期の昭和20年(1945年)、名古屋大空襲で伽藍は全焼しました。
昭和32年(1957年)に鉄筋コンクリート造りの本堂を再建、平成3年(1991年)に延命大地蔵菩薩が建立されました。
ちなみに、戦前までは阿弥陀如来仏がご本尊でしたが、大空襲でご本尊も焼けてしまいました。
戦後、大空襲から難を逃れたのでしょうか矢場延命地蔵尊をご本尊としたようです。

清浄寺で頂いたご朱印です。

2017年4月15日撮影
大津通沿いの清浄寺の入口です。「矢場地蔵尊」と「清浄寺表参道」の石柱標が建っています。
大津通沿いの清浄寺の入口です。「矢場地蔵尊」と「清浄寺表参道」の石柱標が建っています。

2021年2月26日撮影
参道は4年前と変わりませんが、脇のビルのお店がセブンイレブンから「ナゾ・コンプレックス名古屋」という看板に変わりました。
参道は4年前と変わりませんが、脇のビルのお店がセブンイレブンから「ナゾ・コンプレックス名古屋」という看板に変わりました。

2019年6月11日撮影
小林城跡の説明板です。ここはお寺の前は小林城というお城だったそうです。
小林城跡の説明板です。ここはお寺の前は小林城というお城だったそうです。

2021年2月26日撮影
参道の先に第一門が建っています。軒下に提灯が掛かっていて華やかな感じがします。
参道の先に第一門が建っています。軒下に提灯が掛かっていて華やかな感じがします。

2017年4月15日撮影
第一門の奥に第二門が建っています。「南無地蔵大菩薩」と刻まれた石柱標も建っています。
第一門の奥に第二門が建っています。「南無地蔵大菩薩」と刻まれた石柱標も建っています。

2021年2月26日撮影
4年後に第二門です。
4年後に第二門です。

2017年4月15日撮影
本堂の矢場地蔵堂です。鉄筋コンクリートの現代的お堂です。
本堂の矢場地蔵堂です。鉄筋コンクリートの現代的お堂です。

2021年2月26日撮影
4年経っても相変わらず変わらない矢場地蔵堂です。アーチ型の庇が近代的でお詣りしやすい雰囲気を作っているように感じられます。
4年経っても相変わらず変わらない矢場地蔵堂です。アーチ型の庇が近代的でお詣りしやすい雰囲気を作っているように感じられます。

2021年2月26日撮影
地蔵堂の前にある延命子育地蔵です。
地蔵堂の前にある延命子育地蔵です。

2021年2月26日撮影
地蔵堂の向かい側にある寺務所です。
地蔵堂の向かい側にある寺務所です。

2021年2月26日撮影
地蔵堂の裏手にある六地蔵です。
地蔵堂の裏手にある六地蔵です。

2021年2月26日撮影
東参道脇に建っている大地蔵菩薩像です。平成3年(1991年)に建立されました。
東参道脇に建っている大地蔵菩薩像です。平成3年(1991年)に建立されました。

2021年2月26日撮影
お地蔵様についての説明板です。
お地蔵様についての説明板です。

2017年4月15日撮影
前津通沿いにある清浄寺の山門です。
前津通沿いにある清浄寺の山門です。

2021年2月26日撮影
山門に徳壽山の山号が掛かっています。
山門に徳壽山の山号が掛かっています。

2024年11月21日撮影
門構えが大津通側の門よりりっぱです。もとはこちらを表側にしようとしてたのでしょうか。
3年を経て小林城趾の石柱標が建てられました。
門構えが大津通側の門よりりっぱです。もとはこちらを表側にしようとしてたのでしょうか。
3年を経て小林城趾の石柱標が建てられました。

2021年2月26日撮影
前津通沿いからの参道です。「清浄寺東参道」の石柱標が建っています。
前津通沿いからの参道です。「清浄寺東参道」の石柱標が建っています。
すてき
投稿者のプロフィール

しんめいしゃ37投稿
若い頃から歴史が好きでした。仕事場が奈良県で歴史の真っただ中にいました。定年に近くなった頃、長年思っていた事ーー寺社巡り&遺跡巡りを始めました。定年後は名古屋に居を移し、名古屋市内を皮切りに尾張...もっと読む
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