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おかざきてんまんぐう

岡崎天満宮
愛知県 東岡崎駅

御朱印について御朱印
あり
限定
あり
御朱印帳にお書き入れ
あり
御朱印帳
あり
パーキング
駐車場
あり

境内 20台

例祭・神事

1月1日 元旦祭
正月中 鷽替(うそかえ)神事
1月25日 初天神祭・新入学特別祈願祭
2月3日 節分祭(豆まき)
梅花開花期 梅まつり
3月25日 春季大祭 春季奉賛会祈祷祭
4月3日 御鍬社祭
5月25日 英霊神社祭
6月25日 菅公生誕祭
6月29日~30日 輪くぐり神事・大祓式
9月23日~26日 天満天神祭
11月1日~30日 七五三祭
11月25日 新嘗祭
12月31日 大祓式・除夜祭
毎月25日 月次祭
毎朝6時 日供祭

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歴史

宮中の怪異事件
 今から約800年前のことです。人皇第84代順徳天皇の時代、建保2年(1214)秋、宮中に夜な夜な怪しく光る物体が飛来し、その時から、順徳天皇の皇女が病に床伏せられるという事件がありました。
 その当時、宮中警護の任に当たっていた武将・本間三郎重光は、天皇の命を受け、家来の伴隼人とともに、その怪光物を弓で射落とすことにしました。毎夜、 その怪光物との格闘の末、弓の名手であった伴隼人が怪光物を射落とすことに成功しました。射落としたものを良く見てみると、その骸は野狐でした。
 しかし、皇女の病は癒えませんでした。天皇は色々なことを試されました。医者に見せ、薬を飲ませ、神仏に祈り、加持祈祷を何度も何度もしました。でも、 その功なく、ますます皇女の病は重くなる一方でした。病の原因もわからず、対処の方法もなく、順徳天皇は酷く御悩みになり、陰陽博士に御相談なされまし た。博士の卜筮(占い)によると、これは射落とした野狐の祟りが原因であることがわかりました。

当神社の創祀
 博士の提言により、本間三郎重光の領地であった三河国菅生郷に野狐の遺骸を送り、日本全国・六十余州の名山の土を集め、獅子形に仮山を築き、その面を宮中の方角に望ませ、野狐の霊を慰めるために稲荷社をおまつりしました。
 すると、不思議なことに、皇女の病は癒え、すっかり元気になりました。天皇は、とてもお喜びになり、稲荷社の側に瑞生山総持尼寺という尼寺を建立しました。そして、皇女御自ら、尼僧となってこの寺にお入りになったのです。
 建保5(1217)年8月23日、この総持尼寺の鬼門除けとして、あの野狐を射落とした弓弦を御神体にして、本間三郎重光の祖神、道臣命(みちお みのみこと)を勧請し、北野庄(現当神社鎮座地)に天神社を建立しました。これが当神社の御創建で、当時は伴天神とか弓弦天神と称されました。

菅原道真公の神夢奉齋
 さて、時代は下って江戸時代、元禄3年(1690)のことです。、江戸亀戸天神の別当職・菅原信祐(しんゆう)という方が、大宰府天満宮の飛梅の木にて作られた菅公御神像を奉持し、大宰府より江戸へ向かう旅の途中、岡崎本陣中根甚衛門方に一宿されました。
 その夜、信祐の枕元に菅原道真公が立たれ、こう仰せられました。「この岡崎の地に昔よりいいお社がある。そこに私を勧請しなさい。」
 翌朝、信祐はこの神夢のことを主人に話しました。主人は「それはきっと北野の弓弦天神のことでしょう。」と言いました。この話を聞きつけた町中の人は、 大変感激しました。そして、天神社の社殿を一新し、神夢の通り、あの菅公御神像を合祀し、天神様をおまつりしたのです。そして社名を岡崎天満宮と改め、現在に至っています。

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岡崎天満宮の情報

住所愛知県岡崎市中町北野1
行き方

(車)
東名高速岡崎ICでおりて国道1号線を市役所方面へ 岡崎市役所の交差点を北へ500m

(電車)
東岡崎下車 徒歩20分 タクシー利用で約5〜6分
東岡崎駅バスターミナル2番のりばから康生町・若宮町経由のバスに乗り「市役所口」下車 徒歩10分

岡崎天満宮の基本情報

名称岡崎天満宮
読み方おかざきてんまんぐう
通称天満天神
参拝時間

参拝/24時間

御朱印あり
限定御朱印あり
御朱印帳に直書きあり
御朱印の郵送対応なし
御朱印帳あり
電話番号0564-21-4345

お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。

ホームページhttps://www.tennjinn.com
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詳細情報

ご祭神《主》菅原道真,道臣命
創建時代1217年
ご由緒

宮中の怪異事件
 今から約800年前のことです。人皇第84代順徳天皇の時代、建保2年(1214)秋、宮中に夜な夜な怪しく光る物体が飛来し、その時から、順徳天皇の皇女が病に床伏せられるという事件がありました。
 その当時、宮中警護の任に当たっていた武将・本間三郎重光は、天皇の命を受け、家来の伴隼人とともに、その怪光物を弓で射落とすことにしました。毎夜、 その怪光物との格闘の末、弓の名手であった伴隼人が怪光物を射落とすことに成功しました。射落としたものを良く見てみると、その骸は野狐でした。
 しかし、皇女の病は癒えませんでした。天皇は色々なことを試されました。医者に見せ、薬を飲ませ、神仏に祈り、加持祈祷を何度も何度もしました。でも、 その功なく、ますます皇女の病は重くなる一方でした。病の原因もわからず、対処の方法もなく、順徳天皇は酷く御悩みになり、陰陽博士に御相談なされまし た。博士の卜筮(占い)によると、これは射落とした野狐の祟りが原因であることがわかりました。

当神社の創祀
 博士の提言により、本間三郎重光の領地であった三河国菅生郷に野狐の遺骸を送り、日本全国・六十余州の名山の土を集め、獅子形に仮山を築き、その面を宮中の方角に望ませ、野狐の霊を慰めるために稲荷社をおまつりしました。
 すると、不思議なことに、皇女の病は癒え、すっかり元気になりました。天皇は、とてもお喜びになり、稲荷社の側に瑞生山総持尼寺という尼寺を建立しました。そして、皇女御自ら、尼僧となってこの寺にお入りになったのです。
 建保5(1217)年8月23日、この総持尼寺の鬼門除けとして、あの野狐を射落とした弓弦を御神体にして、本間三郎重光の祖神、道臣命(みちお みのみこと)を勧請し、北野庄(現当神社鎮座地)に天神社を建立しました。これが当神社の御創建で、当時は伴天神とか弓弦天神と称されました。

菅原道真公の神夢奉齋
 さて、時代は下って江戸時代、元禄3年(1690)のことです。、江戸亀戸天神の別当職・菅原信祐(しんゆう)という方が、大宰府天満宮の飛梅の木にて作られた菅公御神像を奉持し、大宰府より江戸へ向かう旅の途中、岡崎本陣中根甚衛門方に一宿されました。
 その夜、信祐の枕元に菅原道真公が立たれ、こう仰せられました。「この岡崎の地に昔よりいいお社がある。そこに私を勧請しなさい。」
 翌朝、信祐はこの神夢のことを主人に話しました。主人は「それはきっと北野の弓弦天神のことでしょう。」と言いました。この話を聞きつけた町中の人は、 大変感激しました。そして、天神社の社殿を一新し、神夢の通り、あの菅公御神像を合祀し、天神様をおまつりしたのです。そして社名を岡崎天満宮と改め、現在に至っています。

ご利益
体験
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