御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方
ホトカミを続けていくために、
あなたのサポートが必要です〈特典あり〉
四天王寺聖徳太子1400年限定御朱印大バナー2024年5月
岡崎天満宮ではいただけません
広告

おかざきてんまんぐう

岡崎天満宮
愛知県 東岡崎駅

御朱印について
御朱印
あり
限定
-
御朱印帳
あり
パーキング
駐車場
あり

境内 20台

歴史

宮中の怪異事件
 今から約800年前のことです。人皇第84代順徳天皇の時代、建保2年(1214)秋、宮中に夜な夜な怪しく光る物体が飛来し、その時から、順徳天皇の皇女が病に床伏せられるという事件がありました。
 その当時、宮中警護の任に当たっていた武将・本間三郎重光は、天皇の命を受け、家来の伴隼人とともに、その怪光物を弓で射落とすことにしました。毎夜、 その怪光物との格闘の末、弓の名手であった伴隼人が怪光物を射落とすことに成功しました。射落としたものを良く見てみると、その骸は野狐でした。
 しかし、皇女の病は癒えませんでした。天皇は色々なことを試されました。医者に見せ、薬を飲ませ、神仏に祈り、加持祈祷を何度も何度もしました。でも、 その功なく、ますます皇女の病は重くなる一方でした。病の原因もわからず、対処の方法もなく、順徳天皇は酷く御悩みになり、陰陽博士に御相談なされまし た。博士の卜筮(占い)によると、これは射落とした野狐の祟りが原因であることがわかりました。

当神社の創祀
 博士の提言により、本間三郎重光の領地であった三河国菅生郷に野狐の遺骸を送り、日本全国・六十余州の名山の土を集め、獅子形に仮山を築き、その面を宮中の方角に望ませ、野狐の霊を慰めるために稲荷社をおまつりしました。
 すると、不思議なことに、皇女の病は癒え、すっかり元気になりました。天皇は、とてもお喜びになり、稲荷社の側に瑞生山総持尼寺という尼寺を建立しました。そして、皇女御自ら、尼僧となってこの寺にお入りになったのです。
 建保5(1217)年8月23日、この総持尼寺の鬼門除けとして、あの野狐を射落とした弓弦を御神体にして、本間三郎重光の祖神、道臣命(みちお みのみこと)を勧請し、北野庄(現当神社鎮座地)に天神社を建立しました。これが当神社の御創建で、当時は伴天神とか弓弦天神と称されました。

菅原道真公の神夢奉齋
 さて、時代は下って江戸時代、元禄3年(1690)のことです。、江戸亀戸天神の別当職・菅原信祐(しんゆう)という方が、大宰府天満宮の飛梅の木にて作られた菅公御神像を奉持し、大宰府より江戸へ向かう旅の途中、岡崎本陣中根甚衛門方に一宿されました。
 その夜、信祐の枕元に菅原道真公が立たれ、こう仰せられました。「この岡崎の地に昔よりいいお社がある。そこに私を勧請しなさい。」
 翌朝、信祐はこの神夢のことを主人に話しました。主人は「それはきっと北野の弓弦天神のことでしょう。」と言いました。この話を聞きつけた町中の人は、 大変感激しました。そして、天神社の社殿を一新し、神夢の通り、あの菅公御神像を合祀し、天神様をおまつりしたのです。そして社名を岡崎天満宮と改め、現在に至っています。

歴史をもっと見る|
4

岡崎天満宮の基本情報

住所愛知県岡崎市中町北野1
行き方

(車)
東名高速岡崎ICでおりて国道1号線を市役所方面へ 岡崎市役所の交差点を北へ500m

(電車)
東岡崎下車 徒歩20分 タクシー利用で約5〜6分
東岡崎駅バスターミナル2番のりばから康生町・若宮町経由のバスに乗り「市役所口」下車 徒歩10分

アクセスを詳しく見る
名称岡崎天満宮
読み方おかざきてんまんぐう
通称天満天神
参拝時間

参拝/24時間

御朱印あり

限定御朱印なし
御朱印帳あり
電話番号0564-21-4345
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
ホームページhttps://www.tennjinn.com
SNS

詳細情報

ご祭神《主》菅原道真,道臣命
創建時代1217年
ご由緒

宮中の怪異事件
 今から約800年前のことです。人皇第84代順徳天皇の時代、建保2年(1214)秋、宮中に夜な夜な怪しく光る物体が飛来し、その時から、順徳天皇の皇女が病に床伏せられるという事件がありました。
 その当時、宮中警護の任に当たっていた武将・本間三郎重光は、天皇の命を受け、家来の伴隼人とともに、その怪光物を弓で射落とすことにしました。毎夜、 その怪光物との格闘の末、弓の名手であった伴隼人が怪光物を射落とすことに成功しました。射落としたものを良く見てみると、その骸は野狐でした。
 しかし、皇女の病は癒えませんでした。天皇は色々なことを試されました。医者に見せ、薬を飲ませ、神仏に祈り、加持祈祷を何度も何度もしました。でも、 その功なく、ますます皇女の病は重くなる一方でした。病の原因もわからず、対処の方法もなく、順徳天皇は酷く御悩みになり、陰陽博士に御相談なされまし た。博士の卜筮(占い)によると、これは射落とした野狐の祟りが原因であることがわかりました。

当神社の創祀
 博士の提言により、本間三郎重光の領地であった三河国菅生郷に野狐の遺骸を送り、日本全国・六十余州の名山の土を集め、獅子形に仮山を築き、その面を宮中の方角に望ませ、野狐の霊を慰めるために稲荷社をおまつりしました。
 すると、不思議なことに、皇女の病は癒え、すっかり元気になりました。天皇は、とてもお喜びになり、稲荷社の側に瑞生山総持尼寺という尼寺を建立しました。そして、皇女御自ら、尼僧となってこの寺にお入りになったのです。
 建保5(1217)年8月23日、この総持尼寺の鬼門除けとして、あの野狐を射落とした弓弦を御神体にして、本間三郎重光の祖神、道臣命(みちお みのみこと)を勧請し、北野庄(現当神社鎮座地)に天神社を建立しました。これが当神社の御創建で、当時は伴天神とか弓弦天神と称されました。

菅原道真公の神夢奉齋
 さて、時代は下って江戸時代、元禄3年(1690)のことです。、江戸亀戸天神の別当職・菅原信祐(しんゆう)という方が、大宰府天満宮の飛梅の木にて作られた菅公御神像を奉持し、大宰府より江戸へ向かう旅の途中、岡崎本陣中根甚衛門方に一宿されました。
 その夜、信祐の枕元に菅原道真公が立たれ、こう仰せられました。「この岡崎の地に昔よりいいお社がある。そこに私を勧請しなさい。」
 翌朝、信祐はこの神夢のことを主人に話しました。主人は「それはきっと北野の弓弦天神のことでしょう。」と言いました。この話を聞きつけた町中の人は、 大変感激しました。そして、天神社の社殿を一新し、神夢の通り、あの菅公御神像を合祀し、天神様をおまつりしたのです。そして社名を岡崎天満宮と改め、現在に至っています。

体験祈祷お祓いお宮参り結婚式七五三御朱印お守り祭り

Wikipediaからの引用

概要
岡崎天満宮(おかざきてんまんぐう)は、愛知県岡崎市中町にある天満宮。
歴史
由緒[編集] 社伝によれば、建保5年(1217年)8月23日、総持尼寺の鬼門除けとして、道臣命(みちおみのみこと)を勧請し、北野庄(現当神社鎮座地)に天神社を建立した。当時は伴天神や弓弦天神と称された。 元禄3年(1690年)、菅原道真を合祀して岡崎天満宮に改められた。社務は総持尼寺が掌握していたが、明治維新後の神仏分離令により分離された。
アクセス
アクセス[編集] 鉄道 名鉄名古屋本線 東岡崎駅から車・タクシーで約5分。 路線バス 名鉄バス「市役所口」バス停下車、徒歩で約5分。
行事
祭事[編集] 9月23日から9月26日にかけて行われる例大祭は、両町、中大門、中天神、東中の4町のみ長持ち唄を歌いながら天満宮まで練り込み行列する。名物であった大規模な奉納花火は規模が縮小され、現在は中大門のみが境内で手筒花火を上げている[1]。 上半期 1月1日 - 元旦祭 1月25日 - 初天神祭 2月3日 - 節分祭(豆撒き) (2月中旬 - 3月上旬) - 梅まつり 3月25日 - 春季大祭 4月3日 - 御鍬社祭 5月25日 - 英霊神社祭 6月29日 - 6月30日 - 夏越大祓式(茅の輪くぐり神事) 下半期 9月23日 - 9月26日 - 例大祭 11月25日 - 新嘗祭...Wikipediaで続きを読む
引用元情報岡崎天満宮」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%B2%A1%E5%B4%8E%E5%A4%A9%E6%BA%80%E5%AE%AE&oldid=98882274

この神社の神主様へ

公式アカウント(無料)にご登録いただくと、

ご自身の神社の情報を編集することができます。

無料登録して、参拝者が必要な情報を直接伝えてみませんか?

詳しくはこちら

最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう

利用開始をもって利用規約プライバシーポリシー
同意したものとみなします。

※購読はいつでも解除できます。

This site is protected by reCAPTCHA and the Google
Privacy Policy andTerms of Service apply.

御朱印背景
行きたい
投稿する
お問い合わせ
ホトカミを続けるために、あなたのサポートが必要です。

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから

お問い合わせ