そくせいじ|真言宗豊山派|愛宕山
即清寺公式東京都 石神前駅
常時参拝可能ですが、早朝・夜間の御朱印は事前にお問い合わせいただくとありがたいです。
檀家以外の参拝 | 歓迎 | ||
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御朱印 | 関東八十八ケ所七十一番(専用御朱印帳購入可) 多摩新四国八十八ケ所五十一番 奥多摩新四国八十八ケ所四十九番(専用御朱印帳押印のみ) 愛宕山 山内四国八十八ケ所霊場(専用色紙押印のみ) | ||
限定 | - | ||
郵送対応 | |||
御朱印帳 | |||
駐車場 | あり「境内に5台程度」「境内下に30台程度、大型車駐車可」
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季節折々の花で彩られたお寺です。1月のロウバイに始まり、フクジュソウ、梅、桜、カタクリ、ボタンと順番に見ごろを迎えます。夏はレンゲショウマ、蓮の花、サルスベリ、秋は萩の花やヒガンバナが見られます。3月終わりから4月の初めにかけて満開を迎えるハクモクレンの大木は、老木のため最近は一年おきの満開ですが、花をたくさんつけたときはまだまだ見事です。
即清寺(そくせいじ)は、東京都青梅市にある真言宗豊山派の寺院。山号は愛宕山。本尊は不空羂索明王。関東八十八ヶ所霊場71番札所。
寺伝によると、平安時代の初めに智証大師円珍が諸国巡錫の折に、堂山と呼ばれる現在の奥ノ院大師堂付近に、不空羂索明王像を刻んで草庵を結んだのが始まり。その後、鎌倉時代に源頼朝が畠山重忠に命じて現在地に伽藍を造営し、僧・元瑜法印(げんゆほういん)を招いて開山した。のちに一時廃れるが、室町時代に高野山無量光院住持を務めた僧・印融によって中興され、真言道場として繁栄した。江戸時代末期に融慧和尚が四国八十八ヶ所巡礼を行い、その砂を持ち帰って裏山の愛宕山に納め、四国八十八ヵ所霊場を開いた。明治時代1898年の火災により伽藍は焼失したが、本尊をはじめ仏像は被災を逃れたとのこと。
当寺は、JR青梅線・二俣尾駅の南方1.5kmほどの愛宕山の麓にある。幹線道路(都道45号線)から少し入った場所に大きな境内を構えている。参道周辺を含め、草木はきれいに整えられていて気持ちが良い。
今回は、関東八十八霊場の一つであること、『東京百の古寺と古社をめぐるガイド』という書籍に記載のある古社であることから参拝することに。参拝時は週末の夕方で、子供連れの家族など、数組の参拝者が来ていた。
※2021年5月に参拝した愛宕神社(青梅)は、平安時代の元慶年間(877年~884年)に即清寺の守護のために創建されている。ともに1100年以上存続しているのはすごい!
大通りから少し逸れたところにある境内入口。本堂は小高い場所にある。
参道を進むと階段の先にある大きな<仁王門>。
仁王門には<愛宕山>の扁額が掛かる。
左側の<吽形仁王像>。
右側の<阿形仁王像>。
仁王門をくぐると、階段の上右手に<鐘楼>と<本堂>が見える。
仁王門をくぐると、階段手前左側に<慈母観音像>。
階段を上がって、斜めから<本堂>全景。それなりに年季は入っているが、大きく綺麗で立派、
本堂の右手にある<袴腰鐘楼>。
<本堂>全景。堂内には明治期の火災を免れた、江戸期・享保年間造立の百観音が祀られている。
<本堂>正面。<即清寺>と書かれた扁額の字体が個性的で美しい。
<本堂>の前、左手にある<弘法大師像>。
仁王門からの階段を上がって突き当りにある、<山内新四国八十八ヶ札所 一番>。境内裏手の愛宕山に八十八の札所がある。
仁王門からの階段を上がって左前方向に進むと<客殿(納経所)>。御朱印はこちら。
仁王門の近くにある、1473年の銘がある石碑。
本尊御開帳:12月30日~1月3日、7月13日~16日、10月第一日曜
1月1日午前0時 初護摩供養・午前11時元旦祭
2月15日 涅槃会(大涅槃図公開)
4月8日 花まつり(甘茶接待)
4月第一日曜午前11時 不動堂護摩供養
5月第二日曜午前11時 山王権現社祭礼
10月第一日曜午前11時 百観音祭礼護摩供養
12月8日 成道会(ポン菓子接待)
12月31日午後11時30分 除夜の鐘
住所 | 東京都青梅市柚木町1-4-1 |
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行き方 | JR青梅線、石神前または二俣尾より徒歩約20分
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名称 | 即清寺 |
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読み方 | そくせいじ |
通称 | 即清寺 |
参拝時間 | 常時参拝可能ですが、早朝・夜間の御朱印は事前にお問い合わせいただくとありがたいです。 |
参拝にかかる時間 | 境内のみなら15分、奥ノ院大師堂、不動堂も参拝すると40分、四国八十八か所お砂ふみ2時間 |
参拝料 | なし |
トイレ | 境内下の駐車場にあります。 |
御朱印 | あり 関東八十八ケ所七十一番(専用御朱印帳購入可)
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限定御朱印 | なし |
御朱印の郵送対応 | あり |
御朱印帳 | あり |
電話番号 | 0428-76-0454 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
メールアドレス | info@yoshinohoikuen.com |
ホームページ | www.sokuseiji.com |
多摩四国八十八箇所 第51番 | 御本尊:不空羂索大忿怒明王 |
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ご本尊 | 不空羂索大憤怒明王 |
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山号 | 愛宕山 |
院号 | 明王院 |
宗旨・宗派 | 真言宗豊山派 |
創建時代 | 877~885年(元慶年間) |
開山・開基 | 智證大師圓珍(本尊造立)/元瑜和尚(伽藍開山)/源頼朝・畠山重忠(開基) |
本堂 | 入母屋造 |
ご由緒 | 伝説では平安時代の初め、弘法大師の甥、智証大師円珍和尚が諸国巡礼の折、寺の裏山、現在の吉野山園地の辺りに明王像を祀ったことが始まりといわれています。 鎌倉時代に明王像の霊験を聞いた征夷大将軍源頼朝が、畠山重忠(はたけやましげただ)に命じて、現在地に伽藍(がらん)を築かせ、関東に真言の教えを広めていた元瑜僧正(げんゆそうじょう)を開山に迎えたといわれています。 寺号の即清寺は重忠の真言宗での戒名、勇讃即清大禅定門から名づけられています。 火災など数度の盛衰を経て、室町時代に入ると、高野山で弘法大師の再来といわれた学僧、印融法印(いんゆうほういん)を中興住職に迎え、寺勢はますます盛んになりました。 江戸時代以降は、将軍家光の頃の慶安年間、吉宗の享保年間に伽藍を大きく造営した記録が残っていますが、明治の火災で、本尊である明王像をはじめとする仏像以外はすべて失われました。裏山の愛宕山に残る石仏や石碑などにより、江戸の町民や当時の山伏達から信仰を集めていたと思われます。 現在は明治三十八年再建の庫裡客殿(くりきゃくでん)、昭和十四年再建の本堂、鐘楼(しょうろう)昭和五十五年再建の山門が、それぞれ檀信徒の貴重な浄財を基に整備され、かつての様子を今に伝えています。 |
体験 | 坐禅(座禅)写経・写仏祈祷お祓いお宮参り結婚式七五三仏像傾聴御朱印お守り祭り武将・サムライ花の名所札所・七福神巡り除夜の鐘伝説法話 |
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