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ほうこうじ|天台宗山門派

方広寺
京都府 七条駅

境内自由。本堂は特別公開時のみ公開。

方広寺について

豊臣家滅亡のきっかけとなったお寺


方広寺は徳川家康の命で豊臣秀頼により、慶長5(1610)年に造立されました。同年の八月、徳川家康は大仏供養を催すつもりでしたが、鐘銘の「国家安康」が「家康の名前を2つに割いているから不吉だ」という理由で延期にしました。この鐘の文字を選んだのは清韓文英(せいかんぶんえい)という人物ですが、恨みのつもりで選んだ訳ではありません。清韓に嫉妬する人物が家康に耳打ちをし清韓を貶めた可能性があると考えられています。理由は定かではありませんが、これがきっかけとなり大阪の陣が開戦し、豊臣氏は滅びました。

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くるくるきよせん
くるくるきよせん
2026年02月05日(木)3164投稿

「京の冬の旅」の特別公開で参拝しました。
京都市東山区にあるお寺です。
大河ドラマ「豊臣兄弟」にちなんで本堂が特別公開されています。
方広寺には有名な鐘銘事件の鐘があり 通常も鐘を見ることはできますが 特別拝観では鐘楼殿の中に入って鐘に触ることができます。
まずは大黒殿と本堂の拝観から。
以前に訪れた時には外から見るだけでしたが 内部に入って説明を伺うことができました。
本堂には第3代大仏の1/10スケールの大仏がありました。
文化元年(1804年)に開眼供養が行われた座高約2mの大仏です。
往時の大仏の造形を伝えるものは数が少なく 貴重なものです。
通常非公開ですが 外からガラス戸越しに若干は見られるよう配置されています。
大黒堂には 桓武天皇の勅命により最澄が延暦寺を建立するため比叡山登山中のお告げにより彫刻されたと伝えられている大黒天像があります。
また その像を秀吉が気に入り1/10サイズで作らせ 手元に置いていたとする像も大黒天堂に安置されていています。
通常は非公開です。
ガイドさんの説明を伺い こちらをじっくり拝観するだけで30分以上かかります。
それから外に出て鐘楼殿です。
梵鐘は 慶長19年(1614年)京都三条釜座の名越三昌により鋳造されました。
大きさは高さ4.2m 外形2.8m 厚さ0.27m 重さは82.7トンで 日本第二位の重さだそうです。
ちなみに第一位は京都市東山区にある知恩院の鐘と仰っていましたが 知恩院の鐘は約70トンの重さだそうです。ガイドの方は90トンと仰っていましたが。
ということは方広寺が一位?
かなり分厚い鐘で 私の掌が縦にすっぽり収まります。
鐘の内部には 白く女性の顔らしきものが見えます。
徳川家康公のいちゃもんつけにより豊臣家が滅んだことに対する 君の怨念だと伝わるそうです。
そりゃそうですよね。
この鐘は秀頼公と淀君が鋳造したものですから。
約1時間 すべての説明を聞いた後は御朱印ですね。
今までの参拝では御朱印をいただくことができませんでした。
今回は御朱印帳と御朱印とお守りをいただきました。
そして最後は 大仏殿跡にも行きました。
公園になっていて その中央がこんもり高くなっていました。
そこが大仏殿跡と説明に書いてありました。
豊国神社と方広寺の参拝だけで2時間以上 大満足でした。
すぐ近くにある[世界カフェ]世界の留学生と話せるカフェで昼食。
留学生とお喋りしながらお食事を楽しめます。
これも楽しかった~。

ネット情報です。
山号なし
宗派は天台宗
ご本尊は盧舎那仏
創建年は文禄4年(1595年)
開山は古渓宗陳
開基は豊臣秀吉
別称は大仏殿
文化財は梵鐘(重要文化財)・大仏殿跡および石塁・石塔(国の史跡)です。
豊臣秀吉が発願した大仏(盧舎那仏)を安置するための寺として文禄4年(1595年)に創建された。
豊臣時代から江戸時代の中期にかけて新旧3代の大仏が知られ それらは文献記録によれば 6丈3尺(約19メートル)とされ 東大寺大仏の高さ(14.7メートル)を上回り 大仏としては日本一の高さを誇っていた。
そのため江戸時代には 3代目大仏が寛政10年(1798年)に落雷で焼失するまでは 日本三大仏の一つに数えられた。
大田南畝著とされる『半日閑話』(街談録)には3代目大仏が落雷で焼失した時について「(大仏は)御鼻より火燃出 誠に入滅の心地にて京中の貴賎 老若 其外火消のもの駆け付け 此時に至りいたし方なく感涙を催し ただ合掌十念唱えしばかり也」とあり 3代目大仏の焼失は京都民衆に大変惜しまれた。
東大寺大仏と異なり 3代目大仏は木造であったため 大仏は(台座・基壇を除き)跡形もなくなってしまった。
東大寺大仏殿の再建が完了した宝永6年(1709年)から 方広寺大仏・大仏殿が落雷で焼失した寛政10年(1798年)までは 京都(方広寺)と奈良(東大寺)に 大仏と大仏殿が双立していた。
江戸時代の東大寺大仏殿再建にあたり 方広寺2代目大仏殿を手本として大仏殿が設計されたことから 現存の東大寺大仏殿の建築意匠は方広寺大仏殿のそれを引き継いだものと言っても過言ではない。
天保14年(1843年)に規模が縮小されつつも再建された4代目大仏は 1973年(昭和48年)まで存続していたが 失火により焼失し 方広寺から大仏は姿を消した。
大仏について。
初代:1595年 - 1596年(約1年間):慶長伏見地震で損壊
( - ):完成前に鋳造工事中の事故で焼失 膝部分まで鋳造が完了していた
2代目:1612年 - 1662年(約50年間):寛文近江・若狭地震で損壊?
3代目:1667年 - 1798年(約131年間):落雷で焼失
4代目:1843年 - 1973年(約130年間) :失火で焼失
鐘銘事件については記述が長すぎるため割愛させていただきます。

方広寺(京都府)

「京の冬の旅」特別公開の看板

方広寺(京都府)

まず目に入るのはこの鐘楼殿

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soo_cyan
soo_cyan
2026年01月25日(日)4788投稿

「京の冬の旅」非公開文化財特別公開でのお詣り。今年は大河ドラマ「豊臣兄弟」ゆかりの地ということで方広寺とお隣豊国神社ももちろんエントリーされています。本堂・大黒堂内は残念ながら撮影NGです😥入場料を支払い、まずは大黒堂へ。御前立の大黒様は甲冑を着た珍しい武闘派の大黒さん。その奥に小さな大黒さんが祀られており、こちらが秀吉公の護持大黒とのことで伝:伝教大師作とのこと。ただ双眼鏡でもないとまず見えません😅これから拝観予定の方は双眼鏡などお持ちの方が良いかもです😅両脇侍には向かって右手に学者風の毘沙門天😲武具はおろか鎧も来ておらず何の説明もなければ天神さんとかそっちの像だと思ってしまいます。まあ毘沙門天と伝えられているのでそういうことに😅左には辨財天。まあこれはいかにもでした。左脇壇には六臂の如意輪観音と厨子の聖天さん。右脇壇には不動明王がおられました。
続いて本堂へ。御本尊は外からでもお詣りできる廬舎那仏。三代目の大仏の1/10スケールらしい。ちなみに三代目大仏が焼失した際の記録が、昨年の大河で桐谷健太さんが演じた太田南畝の『半日閑話』に記されている。残念ながら現在の御本尊のサイズは「大仏」の規定には入らないとのこと。四代目の大仏が昭和48年に焼失したのが惜しいですね・・・😥御本尊の横には大黒堂の内陣天井にあった吉川霊華筆の龍図、その隣の部屋には三代目大仏の遺品や大仏殿の欄干に施されていた左甚五郎作の龍の彫刻も展示されておりました。
本堂を出て鐘楼へ。梵鐘も間近で見ることが出来、梵鐘の内側に淀君の亡霊と言われている人の顔っぽいものがあるとのこと😱で見せていただきました。まあそう言われたらそう見えなくも・・・信じるか信じないかはあなた次第です🤣最後に御朱印を拝受。特別公開限定の大黒天御朱印には出世開運のお守りがついておりました😊

方広寺(京都府)

京の冬の旅看板

方広寺(京都府)

鐘楼

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歴史

天正14(1586)年、豊臣秀吉により創建された天台宗山門派の寺院。創建時は本尊として19mもの木造大仏が安置されていたが、慶長元年(1596)慶長の大地震により大仏は倒壊。
慶長9年頃、放火により炎上したあと、豊臣秀頼が再興しました。大仏の全高18mという東大寺大仏殿をもしのぐ壮大さであった。偉容を誇った大仏殿は、寛政10年(1798)に落雷による火災で大仏もろとも焼失。天保年間に寄進された旧大仏木造半身像も昭和48年、火災によって焼失。現在は、当時の大仏の大きさの10分の1サイズのご本尊「毘盧舎那如来」が本堂に安置されている。
同寺「梵鐘」は三条釜座の鋳物師、名越(名護屋)三昌らによって慶長17年(1612)に、制作されました。方広寺鐘銘事件(京都大仏鐘銘事件)の引き金となった「国家安康、君臣豊楽」の銘で有名な梵鐘が現在も残されており、国の重要文化財に指定されています。

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方広寺の情報

住所京都府京都市東山区茶屋町527-4
行き方

京阪電車「七条駅」下車、徒歩約8分

方広寺の基本情報

名称方広寺
読み方ほうこうじ
通称大仏殿方広寺
参拝時間

境内自由。本堂は特別公開時のみ公開。

御朱印あり
限定御朱印なし
電話番号075-531-4928

お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。

SNS

詳細情報

ご本尊毘盧舎那如来
宗旨・宗派天台宗山門派
創建時代文禄4年(1595年)
開山・開基開山:古渓宗陳  開基:豊臣秀吉
文化財

梵鐘(重要文化財)

ご由緒

天正14(1586)年、豊臣秀吉により創建された天台宗山門派の寺院。創建時は本尊として19mもの木造大仏が安置されていたが、慶長元年(1596)慶長の大地震により大仏は倒壊。
慶長9年頃、放火により炎上したあと、豊臣秀頼が再興しました。大仏の全高18mという東大寺大仏殿をもしのぐ壮大さであった。偉容を誇った大仏殿は、寛政10年(1798)に落雷による火災で大仏もろとも焼失。天保年間に寄進された旧大仏木造半身像も昭和48年、火災によって焼失。現在は、当時の大仏の大きさの10分の1サイズのご本尊「毘盧舎那如来」が本堂に安置されている。
同寺「梵鐘」は三条釜座の鋳物師、名越(名護屋)三昌らによって慶長17年(1612)に、制作されました。方広寺鐘銘事件(京都大仏鐘銘事件)の引き金となった「国家安康、君臣豊楽」の銘で有名な梵鐘が現在も残されており、国の重要文化財に指定されています。

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